深夜、人々が寝静まった頃。
少し古めかしい雰囲気の住宅の一室のベッドで、誰かが布団を頭まで被って眠っている。
傍に白いウサギのぬいぐるみを置いて眠るその人物は、布団の中で部屋の壁の方を向いて丸くなっていた。
…と、静かに部屋の扉が開き、誰かが入ってくる。
音を立てないように入ってきたその人物は、誰かが眠るベッドにそっと近付くと、枕元にいかにもクリスマスプレゼントが入っているような袋を置いた。
そしてその人物は先程開けた扉へ向かおうとした。
「おい」
不意に後ろから低い声がして、扉から部屋を出ていこうとしていた人物は立ち止まる。
その人物が静かに振り向くと、布団を被り壁の方を向いて眠っているはずの黒髪のコドモが扉の方を見ていた。
「…起きてたのかい」
「起きてたって…」
別に寝ている所を起こされただけだしと黒髪のコドモは布団から起き上がる。
部屋から出ていこうとしていた老人はそうかいと答えた。
「…クリスマスプレゼントのつもりかよ」
ベッドの傍の卓上の明かりを点けた黒髪のコドモが老人に目を向けると、老人はあぁと呟く。
「毎年いらないって言ってるのに」
俺は子どもじゃないんだしさと黒髪のコドモがこぼすと、老人はいいじゃないかと微笑む。
「“彼女”だって、毎年送ってたじゃないか」
「うっ」
黒髪のコドモはそううろたえる。
「だ、だからって、こんな風に続ける必要なんて」
ない、じゃん…と黒髪のコドモは赤くなりながら思わず俯く。
そんな黒髪のコドモを見て老人はまた微笑む。
「…と、とにかく、俺はもう寝るから!」
寒いからお前もさっさと寝ろ!と黒髪のコドモは壁の方を向いて布団に潜る。
老人はじゃあ、おやすみナツィと呟くと部屋から出て扉をそっと閉めた。
黒髪のコドモことナツィは、1人布団の中で悶えざるを得なかった。
「お前のことなんか心配してないし」
とにかくかすみと一緒にその辺隠れてろとナツィは言う。
金髪のコドモはうんと頷くとかすみと共に近くの建物の陰に隠れた。
「…」
ナツィは目の前の“何か”に向き直ると、服のポケットから鞘に収まった奇妙な形の短剣を取り出す。
そして短剣を振って鞘から抜くと、目の前で威嚇している“何か”に向けた。
「失せろ」
ナツィがそう言うと、短剣から紫色の火球が撃ち出され“何か”に直撃する。
“何か”の目の前が煙幕で見えなくなった隙を突いて、ナツィは短剣を投げ捨てて右手に大鎌を生成すると“何か”に飛びかかる。
すぐに煙が晴れて“何か”は目の前にナツィが迫ってきていることに気付き、“何か”は咄嗟にそれを避ける。
しかしナツィは黒い翼を羽ばたかせて高く飛び上がり、空中で姿勢を整える。
そして再度翼を羽ばたかせて地上に向かって飛び込んだ。
“何か”はナツィの動きに驚いて動けなくなり、そのまま大鎌に斬り裂かれた。
ナツィは地上に舞い降りると大鎌を一振りする。
大鎌は音もなく消えていった。
鶏が先か卵が先かは、進化の視点で見ればすぐにこたえの出る問題である。
鳥類は爬虫類から進化している。
爬虫類は成体の段階でいきなり変異したのだろうか。
否である。
突然変異説を支持しようがエピジェネティック説を支持しようが結果は同じ。変異したのは生殖細胞内の段階でだ。
鶏に進化する前の祖先の鳥でも、それはもちろん変わらない。
ということはつまり。
卵が先である。
こんな小学校六年生でもちょっと考えればわかるようなことをいつまでも論争しているというのは、おそらく結論を出したくないからだ。
なぜか。
永遠におしゃべりしていたいから。
きっとそいつらは口から先に生まれてきたのだろう。
おしゃべりの度合いの高さに比例して女性性は高くなる。
女性的な協調性、男性的な探究心が文明の発達につながり、人類は繁栄してきた。つまり女性性の高い男性ほど進化しているといえるし、また、男性性の高い女性ほど進化しているといえる。
だがしかし、けっこうなことじゃないかと手放しで喜べないのは、逆に文明が発達しすぎて栄養過多となり、男性ホルモン、女性ホルモンの分泌過剰なハイパーが増えているように感じられるからである。豊かさが三代続かなければ脳は発達しないと最近よくきくが、発達しすぎなのだ。男性的な寛大さもなく、女性的な穏やかさもない、ヒステリックで自己愛の強い、頭でっかちで統合失調症ぎみの自分病の未来人が牽引する世界。終わってる。
といった内容のことを得意になって担任のクリスチャンの生物の先生に話したら、わたしは進化論は信じない、というセリフとほぼ同時に胸ぐらをつかまれ、顔面に拳を叩き込まれた。
先生は拳から生まれてきたんだな、と鼻血をたらしながら思いましたとさ。
振動が心地よく、うとうとしてしまう。腕をつつかれ目を覚ます。窓外の景色が、田舎のそれに変わっている。
「終点みたい」
バス停看板に、廃墟前と書かれていた。女のすすり泣く声が、どこかからきこえた。僕と元カノは顔を見合わせ、どちらからともなく声のするほうに歩き出した。
緑のなかにぽつんと、小さなメリーゴーランドがあった。泣き声の主が、そこにいた。木馬に横座りして、顔を両手でおおい、肩を震わせているもっさりとしたベージュ色のワンピース姿の女。今カノだった。
僕は声をかけることをためらった。元カノと一緒にいることが気まずかったからではない。元カノに、もっさりベージュが今カノだと知られてしまうことが嫌だったのだ。なぜか。ファッションセンスがないのはともかくとして、絵に描いたようなブスだから。
そんな僕の事情、心情などわかりようもない元カノは今カノに近づき、「どうして泣いてるの?」とたずねた。すると今カノは顔を上げ、「この人、誰?」と僕に言った。元カノが振り返って僕を見る。
「元カノだよ」
頭をかきながら僕はこたえた。
「で、どうして泣いてるの?」と元カノが今カノに顔を戻して再びたずねる。
「……だって、今日は初デート記念日なのに、ユウちゃん忘れてるんだもの」
「なんだ、そんなこと」
「そんなことって……あなただって同じ目にあったら傷つくでしょ!?」
「全然。そもそも記念日なんて作らないし……美人は毎日が特別な日。常に向こうから特別なことがやってくる。ブスは特別な日を自分で作るしかない。ブスほど記念日にこだわるのはそのため」
「ふんぎー!」
「ま、いいじゃない。わたしがこうして彼を思い出の場所に連れてきてあげたんだから」
元カノがそう言い終えると、光が降りてきた。元カノは光に導かれ、天高く昇ってゆき、消えた。
狭量な僕と今カノは、いつまでも地上をさまようしかない。
いくら自然が好きだといっても、鬱蒼としたジャングルのなかに身を置きたいという人はそうはいない。現代人が最も好むのは、人間のコントロール下にある自然である。つまり、人工的な自然。
人は廃墟にひかれる。自然にはかなわないということを実感させられるのと同時に、自然に取り込まれたいという気持ちが湧き上がることで現実をいっとき忘れられるからだ。
と、枕元のメモ帳に書いてあったのだが、何度読み返しても意味がさっぱりわからない。あきらめてスーツに着替え、リュックしょって部屋から出た。
そういえばもう正月休みに入っていたのだったと、バスターミナルで気づいた。
部屋に戻ってもしょうがないので適当なバスに乗った。すると、元カノがいた。隣に座れとジェスチャーで元カノがうながす。素直にしたがう。バスが走り出す。乗客は僕たちだけだった。久しぶりに会った元カノは、さらに美しくなっていた。「どこ行くの?」
「運転手にきいてくれ。君はどこに行くんだい?」
「運転手さんにきいてみて」
世界中の飢餓を救い、不毛と考えられていた極寒の地への民族の進出を促進し、また、その地における人口の増大にもつながった生命力の強い作物といえば何か。
じゃがいもである。
その性質、人類への貢献度から花言葉は、恩恵、慈愛、慈善、情け深い、である。ちなみに、5月17日の誕生花。5月17日生まれの人の誕生日にはぜひ、じゃがいもの花を贈ってほしい(じゃがいもの品種は2,000種類以上あるそうだから選ぶのも楽しいね)。
そんなじゃがいもの消費量世界一はベラルーシ。生産量も当然多く、ウォッカの原料として輸出もしている。
そうそう、じゃがいもは酒の原料にもなっているのだった。
飢餓を救ったばかりでなく、日々のうさを晴らす薬のもととしても重宝されるじゃがいも、果てしなく懐が深い。
ところで、ベラルーシだけでもじゃがいも料理のレシピは1,000種類におよぶといわれている。ベラルーシほどレパートリーが豊富な国はまずないだろうが、民族の数だけじゃがいも料理があるわけだから、もしかしたら卵料理よりも多いかもしれない。いや、多いに違いない。
わたしのおすすめのじゃがいも料理は、ドラニキである。ロシアやウクライナにもあるが、発祥はベラルーシ。じゃがいもを使ったパンケーキだ。
千切りもしくはすりおろしたじゃがいもと、みじん切りにした玉ねぎを卵、薄力粉、ベーキングパウダーと混ぜ両面をきつね色になるまで焼く。それ、卵が入っているから卵料理でもあるよね、なんて突っ込みは無用。あくまでメインはじゃがいもなのだ。これにサワークリームをのせ、いただく。両脇にはベラルーシ美女、なんて演出も欠かせない。 ベラルーシ美女といってもぴんと来ないという人はロシアの元プロテニスプレイヤーのマリア・シャラポワ(両親はベラルーシ人)を思い浮かべてほしい。知らない人は検索してね。
だいたいあんな感じ。
お顔、スタイルはともかく、ベラルーシの女性の平均身長は178センチ(シャラポワは188センチ)だから日本人男性は萎縮してしまうかもしれない。 そうですね。ベラルーシ美女のことは忘れてください。
さて、つらつらじゃがいもについて書いてきたが、カレーが好きな人はともかく、意外とそんなに普段、じゃがいもって食べないよね。
嫌な予感がする。
「みつけた」
林檎がぶるるっと震えた。未知の場所で、その場所のことをよく知る者から逃走するのはかなり高難度であることは身にしみている。つまり、あの挙動不審な人間から逃げ切れるかどうかは賭けだ。
『こはく』
不安げな声を聞き、琥珀は低く喉を鳴らして安心させるように応えた。
人間の背中から生えた触手のようなものは伸びて廊下に突き刺さる。人間はぐるりとブリッジのような体勢をとって、触手を廊下に刺しながら迫ってきた。
『ひぇえ』
琥珀は急いで逃げた。腰を打ったおかげでいつもよりスピードが出ない。
「こ…ども…」
廊下は長く、完全に直線なためなかなか差がつかない。ようやく曲がり道に辿りき慌てて曲がるが、その先の道は瓦礫で潰れている。
『いきどまり!』
琥珀は唸り、逡巡する。人間はいつの間にか迫ってきていた。琥珀は振り被り、林檎を人間の背中と床の間に滑らせた。林檎は廊下をすごい勢いで滑る。
『こはく!』
『行ってろ』
私の好きな人は腕相撲が強い。
おそらく世界一
…言い過ぎかな?(*^_^*)
妹の手のひらから転がり落ち、湖につかった沼貝たちは息を吹き返した。
「ほらね。元気になったでしょう」と得意げに妹は言ったが、オキクルミには、とくに何か変わったようには感じられなかった。
しばらくして、自分たちを虐待したのはサマユンクルの妹、助けてくれたのはオキクルミの妹だと知った沼貝たちはその年、サマユンクルの妹の村は凶作にして、オキクルミの妹の村には豊作をもたらした。
これはあのときの貝の力によるものだと気づいたサマユンクルの妹の村の人たちとオキクルミの妹の村の人たちは、畏怖の念から沼貝の殻を加工し、あわ、ひえ、もちきびの穂を摘む農具とした。
以来、どこの村でも収穫には、沼貝の殻を使うようになった。
収穫をコントロールする能力があるのに自力で湖に移動する能力はないなんておかしくないかと突っ込みたくなるだろうが、この話で本当に伝えたいのは、すべては連鎖していて、ちっぽけな貝といえども雑に扱ったら報復を受け、逆にていねいに扱えば恵みが与えられるということなのである。だからこれでいいのだ。
ところでこのエピソードは、知里幸惠(ちりゆきえ)のアイヌ神謡集をもとにしているのだが、地域によってサマユンクル側が助けるバージョンがあることをつけ加えておく。
アイヌは畑作は行っていたが、水稲には手を出さなかった。これはもっぱら民族的な気質によるものだろう。そのおかげでアイヌは自らが神になることはなく、自然神(カムイ)とともに生きることになった。
雑穀を収穫するのにアイヌは、貝で作った穂摘み具を使っていた。紐を通し、フラメンコのカスタネットのようにした二枚貝でちぎり取るのである。鎌を使ったほうがはかどる思うが、鎌は魔を断つためのもので、神の恵みである食物には使用しなかった。
なぜ貝を用いるようになったのかについて、こんなエピソードがある。
日照り続きで沼の水が枯れ、パニックにおちいった沼貝たちは、口ぐちに助けを求めた。
「誰かー」
「どうかわたしたちを水のある場所に移してくださーい!」
と、そこにサマユンクルとその妹が通りかかった。
生理前でいらいらしていた妹は、手を差し伸べようとしたサマユンクルを制し、「おめーら、うるせえんだよ!」と言って沼貝たちを踏みつけ、蹴飛ばし、「はー、すっきりした。お兄ちゃん、お昼ごはんはかわうその脳みそがいいなー」と言って、兄の手を引き、去った。
まさに踏んだり蹴ったりで、救助を呼ぶ気力まで奪われ、瀕死の沼貝たちのもとに、今度はオキクルミとその妹が通りかかった。
沼貝たちを見下ろして妹は言った。
「お兄ちゃん、なんだかこの貝、ぐったりしてるように見えない?」
妹がそう言うとオキクルミは、「貝なんてみんなこんなもんだろ」とめんどくさそうにこたえた。
すると頑固な性格の妹はオキクルミをきっとにらんで、「絶対ぐったりしてる! わかるもん、わたし」と言って沼貝たちを両手ですくい上げ、湖の方向に歩き出した。オキクルミは、「なぜわかるのかエビデンスを示せ」などとぶつぶつ言いながらも、妹について行った。