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哲学企画の事1

皆様、反応遅くて申し訳ございません。
哲学企画についての色々を。

はじめに何を話しましょう。
何度も言いますが、参加表明をして下さった方々に心からの感謝を。


私のもとに一つの意見が来ました。
「対話の中でその人自身の考えが変わってしまったら、その人にとって不利益では無いか。」と言うものです。
これについて私の考えを述べさせて貰うと、
これについてはケースバイケースであり、絶対に変えたくないのならそれ相応の理論武装をして下さい、
という風に思います。

それで、考えたのですよ。
皆さん、予行練習をしましょう。
ルールは以下の通り(予行練習なのでこのルールは予行練習だけのルールです。)

①予行練習の開始日は4/29。
②この日に皆、お題についての考えをここに投稿して下さい。500字を越えてしまう場合は、そこにレスをして続けて下さい。
③一通り読み終えて、出来ればでいいですが、気になる考えには質問や感想をレスしてみましょう。しかし、否定をしてはなりません。つまり、「これは間違っている!」と断言してはなりません。そういう場合には「どうしてこの考えに至ったのですか?」と聞いてみましょう。
④対話、討論は1週間まで続けていいです。
⑤哲学企画とタグ付けして下さい。
⑥参加表明した方は必ず参加しろという訳でもありませんし、必ずしも参加表明が必要という訳ではありませんし、質問したりするだけでも良いのです。

以上のルールで予行練習をします。

それで、肝心のお題なのですが、今回に限り私が出します。
ずばり、『何故上を向くとポジティブになるのか』にしましょう。(なんとか難し過ぎないのに落ち着いて良かった。)
2日間考えて、文に落としてみてください。


そして、企画名・ルール案・参加表明は募集していますが、締切が明日明後日なのでお早めにー。
では、また会いましょう。

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哲学企画始動のお知らせ

こんにちは、Key-towerです。
はじめに、企画参加のレスありがとうございます。
貴方方のお陰で立ち消えにはなりませんでした。
心からの感謝を。

さて、決めることは様々ですのよ。
はじめにルールが必要ですね。
これについては皆さんから募集します。以下の項目にある程度該当する様なモノをお願いします。
(本来なら自分で考えなければいけないのですが如何せん私のアタマは少々パンク寸前なのです。)
①特定の誰かが不利になる事の無いもの。
②意見交換が盛んに行えるもの。
③相手の考えを尊重するもの。
④以下の項目に同意出来るもの。
1、募集されたものからくじ引きで決めます。
2、ルールは5回に一回変わります。つまりそのたび同じことをします。
3、私の所にレスで募集すること、それ以外は対象外とします。
4、期間は4/27までとします。
以上でございます。様々な案を募集するのですのよ。


次に、企画名。
これも募集します。
特に縛るつもりは無いですが、関係あるようなモノを募集します。
これは多数決で決めるつもりです。
これは4/28まで募集します。

募集するのはこれくらいですね。
募集も参加表明も何時でも歓迎致しますのよ。
どうぞよろしくお願いします。

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なまいとつむぎ #1

きこきこ、きこきこ。
私は生糸を紡ぐ。
そう、見えない布を創るために。


ノスタルジックな気持ちの時ほど出かけたい時はない。
足は自然とペダルを踏む。
その時私はこう思うのだ。
はるか先まで見える直線の線路を見たい、
誰もいない田園の稲穂に囲まれたい、
河川敷で自分の住んでいる街を見たい、と。

当然、
直線の線路を見たからと言って、
稲穂に囲まれたからと言って、
街を眺めたからって、何かが起こるわけじゃない。
そこに言った時に思うことは一つ。

ああ、来るところまで来てしまったな。
それだけである。

達成感と言えば片付くのだろうか。
否、それはきっと違う。
私が自ら体験したかったのは達成感等ではなく、
時間という名の虚無感、それにつきる。

時間というのは幾つものレイヤーの重なりだというのは自明の理であろう。
私はその景色にきっと死んでしまったレイヤーを見つけようとしているのだろう。
もし時間というモノを死んでしまったレイヤーの重なりと定義するならば、死んでしまったレイヤーを確認できない時間とは、そのレゾンデートルを満たしていないということだろう。

つまり、私はそのノスタルジックな気分に動かされ見に行く景色に、今を生きる時間のレゾンデートルを求めているのである。

しかし、私は何処かで真逆の思いを求めてはいないであろうか。
つまり、
そのレイヤーが生きているという期待である。

何処かでこんな話があった。
『もし、亡くなった家族が居たとして、その家族が急に朝に「やあ、元気かい?」ってドアを開けて来ても私達は何の違和感も感じない。
つまり、私達は心の何処かで諦めとともに叶うはずもない願いに無意識に期待しているのだ。』と。

私は期待しているのであろうか。
もし期待しているならば、私は先に定義した時間が壊れることを望んでいるのか。
私はそれに、イエスともノウとも応える。

此処で私は筆を置くことにする。
後は君たちが考える番だ。