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舞台の上から見えたもの

去年のちょうど今頃、通信制の高校を卒業する直前に最初で最後の軽音楽発表会に出ました。通信制で部活は任意という特色もあってか、部員が二人しかいなかった軽音部。さらに大会に向けて部員集めに動き出した矢先、誰よりも軽音部を心地よい居場所にしたいと考え、誰よりも私達のことを考えてくれた顧問は突然、交通事故でこの世を去りました。クラスメイトのベーシストとふたりきり残されたわたしでしたが、先生が守ってくれていたやさしい居場所を守るのは今度は私の番だ!と奔走しました。ドラムをやっていてたまたま私のいる高校に追って入学した弟を誘い、初めてのバンドを結成しました。全員ほぼ初心者からのスタートでした。通信制なのでスクーリングの日数も少ない中、大会に向けてフジファブリック先生の茜色の夕日を練習しました。当日の大会はあまりにもアウェイ。通信制で、初心者からのスタートのスリーピースバンド。私達のバンド名を呼ぶアナウンス、震えながらステージに上がりました。照明が暑い、熱い。事前に照明さんに夕日をイメージしたライティングをお願いしていました。コードをチェンジする手が覚束無くて、でもふと横に目をやると、いつものクラスメイトがいて。真っ暗でほぼ顔の見えない客席。怖い。みんなどんな顔をしているんだろう。それでも必死にかき鳴らしました。ここまで来たのに、ここでへこたれてどうする!とにかく無我夢中、ギターソロをあんなに練習したのに、頭が真っ白になりもしましたが、急遽バッキングに切り替えて弟とクラスメイトの方を見ました。震える手、震える声のわたしを精一杯支えてくれる、頼もしい背中でした。そしてソロ終わりの歌いだし、マイクに向き直った瞬間、感情がこみ上げてきて、なんだかそこに亡き顧問の先生がいる気がして。でもステージを降りるまで、泣きませんでした。現顧問で亡き先生と仲の良かった先生が、「〇〇先生は、確かにそこにいたと思う」と言ってくれたとき、わたしは演奏に使った亡き先生のギターを抱えて泣きじゃくりました。わたしも、先生は確かに見てくれていたと思います。あれは先生と見た、忘れられない景色です。

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Chevon先生はじめまして!

Chevon先生こんばんは!
私は今年高校に入学して、元々の知り合いは一人しかいない環境にいます。そこで新たに人間関係を築く上で、少し困っていることがあります。私は軽音楽部に所属しているのですが、部活終わりにみんなで帰るときによく恋愛の話になるんです。友達が彼氏と水族館デートに行った話やいい感じの人がいるという話など、いつも話が盛り上がっています。しかし、私は恋愛感情が理解できないので、話についていけません。私は後ろの方にいてみんなに着いて行くだけになってしまいます。友達に私も好きな人いないの?と聞かれてもよく分からないし、恋愛をするつもりもありません。恋愛は興味ないからしないと伝えてもあまり納得してもらえてない感じがします。無理に恋愛をする必要はないと思うのですが、周りの雰囲気的にしないと変なのかなとも思ってしまいます。その結果、部活の友達とは少し距離を感じることがあります。Chevon先生は誰かと違うことで距離を感じてモヤモヤしたことはありますか?また、こんなとき皆さんならどうしますか?
最後に私は今年のフェスでChevon先生のライブを観てからChevon先生に一目惚れしました。Chevon先生の人生の深いところに目を向けた作品が大好きです。いつも寄り添ってもらっています。そして、今度のChevon preよしなに〜全国編〜に参戦します。すっごく楽しみにしています!北海道という自分も住んでいる場所にChevon先生のような素敵なバンドがいてとても嬉しいです。これからも活動頑張ってください!

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舞台の上

こもり校長、
アンジー教頭こんばんは!
今夜はいきたかったイベントを断念し、
地元にいるのでしんどすぎて泣いてばかりいます。
なのでこもり校長とアンジー教頭の声をきいて安心したいです。

わたしは中学校と高校で約6年間、
合唱部に所属していました。
現在は大学で伝統芸能のサークルに入っています。

わたしが当時、
舞台の上から見えたもの、
それはたくさんの光とたくさんの人でした。
たくさんステージに立たせていただく機会があり、
さまざまな景色を見てきました。

見ている人たちの顔ははっきり見えて、
どんな表情をしているかもわかります。
今この一瞬で届けたいうたを、
自分のできるせいいっぱいをこめてうたいました。
時には泣いてくれている人の声も聞こえ、
人の心を動かすことができる感動を知りました。

青春時代は合唱部にすべてをささげ、
自分の時間は一切ありませんでしたがそれでもあの時の貴重な経験は、
ずっとわたしの中にのこっています。
終わった後も、
地域の方々からいただいた励ましの言葉や感謝の言葉が、
声が、
表情が、
目を閉じると今でも鮮明に思い出されます。

一生忘れられないあの景色を、
あの経験を、
今後とも胸に刻んで歩いていきたいです。
自分の未来に向かって、
また一歩歩き出します。

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いい経験になったこと!

私は中1と中2の時に、人前に立つことをしました。
まず、中1の時に、地域の音楽イベントに出ました。
外でカラオケができるというもので、「楽しそうだったから」という理由で飛び入り参加。
出番が迫るたびに、心臓がドキドキしていました。
道を行く一般の方にも聞こえるような音量でイベントが行われていたので、「たくさんの人に自分の歌が聞かれるんだ」と、上手く行かない前提で怖がっていました。
でも、いざ人前に立ってみると、不思議と力が湧いてきました。
目の前で、私の歌を聞いてくれる人がいる。
その人たちに「聞いてよかった」「来てよかった」と思ってもらいたい。
そんな思いが、私を奮い立たせてくれたのです。

その時に「人前で歌うことの楽しさ」を知った私は、中2の時の3年生を送る会で歌うことを選びました。
卒業する3年生を楽しませたい。その一心でした。
舞台の上に立つと、1年前のイベントの時とは全く違う景色が広がっていました。
クラスメイト、同じ学年の人、他学年の人、先輩方、先生たち。みんなの意識が、私に向けられていました。
すごく恥ずかしかったけれど、歌っているとやはり楽しくて楽しくて……………あっという間に出番が終わってしまいました。
だけど、あの時の感動が今の私に夢をもたらしてくれました。
2つの大きな経験をした私の今の夢は、歌手になること。
歌で多くの人に笑顔を届けたい。感動させたい。
そのために、もっともっと頑張りたいです!

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舞台の上から見えたもの

私が舞台の上から見えたものは「友達や先生の笑顔と感謝」です!!私は高校3年間ダンス部に所属していました。ここでは、高3の文化祭披露について語りたいです!私は高校3年生でダンス部の部長となり、受験もあった為、この文化祭が最後の披露の舞台でした。部長という肩書きを背負い毎日練習もしていく中、プレッシャーから焦りを感じ、ほかの部員との意思の行き違いで本番2週間前から喧嘩をしてしまいました。でもそんな時、当時顧問をしてくれた先生や担任の先生、クラスメイトが沢山相談にのってくれて、「ばんちょすならやれる!!」「やれば出来る子!」など明るい前向きな言葉をかけてくれて、部員と話し合った結果本番3日前ギリギリで仲直りすることが出来ました。そして文化祭当日。緊張や不安も抱えながら「最後のステージやりきるぞ!」って円陣を組んでステージに立ちました。曲が流れ始める前から私の名前を呼んでくれて盛り上げてくれる友達の笑顔、みんな仲良く踊ることを嬉しそうに見る先生達の優しい笑顔を見ることができ、それと同時にここまで支えてきてくれていた友達や先生に感謝の気持ちが込み上げてステージ終わりはみんなで泣き合いながらお菓子パーティーをしました。色んな人の支えがあってからこそなりたった最高のステージは今でも忘れられません。

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舞台の上から見えたもの

私が舞台の上から見えたものは、たくさんのお客さんです。

私は年中から中3の初めまで、約9年間バレエをやっていました。私が通っていたバレエ教室では、毎年発表会があります。普段週3回のレッスンですが、発表会の準備が本格化すると週4回〜多いと毎日レッスンがありました。

小学6年生のときくらいから、ありがたいことに作品ごとに主要な役を任せてもらうことが増えました。プレッシャーはありましたが、発表会当日、舞台の上で踊り、大勢のお客さんに見てもらえることが嬉しくて楽しかったです。
また小学3年生、6年生のときにコンクールにも挑戦しました。特に、小6の時のコンクールは人生で1番と言っても過言ではないくらい、緊張したのを覚えています。周りの子のレベルの高さに圧倒されて、そのときは「観客席を見て笑顔で踊る」ことができませんでした。ただ踊りきることしか考えてなかった笑。

でも、やっぱり舞台上から見る景色はキラキラしていて、バレエを通じて、人前で発表するのが苦手で自信を持てない自分を変えることができたと思います。
ちなみに、舞台上はほんとにたくさんの照明があるのでとっても暑いです。1番暑いのは横からの照明です笑。

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舞台の上から見たもの

私が合唱祭で見たものは、
小学生の時や中学生の時に各学年が歌う
合唱曲や合奏曲などの看板です!
この看板を見て、自分自身が知っている曲を
見たことがあった時は、自分もあー!知ってる!
と感じました!
ちなみに歌った曲は、大切なものとか
COSMOS、平和の鐘、
花は咲く、島唄、正解とかなどを
歌いました!
私は中学生3年生の頃の合唱祭で
ラトインプスの正解で最優秀賞を取りました!
この時に、小学生時代の先生(恩師)が来てくれたので
その先生達のおかげで自分だけではなく、
当時のクラスもみんなも頑張ってくれたなと
思います!
ちなみに私が歌ったパートは、 
男子のパートで、違う音程や歌い方も
あって難しかったです!
特に一番難しかったのが、中学生1年生の
頃に課題曲でもあった 私の地元宮崎県西都市
出身のシンガーソングライターのジルさんの
きっとという曲が一番難しかったです!
逆に歌いやすかったのが、
中2の頃に歌っていた平和の鐘や
正解などが歌いやすいです!
今日は平和の鐘の1番だけの歌詞を
校長、教頭の前(生放送)で生で歌おうと思っていますが、
今日、風邪をひいていまして、歌えるかどうかわからないので、
2人に喜ばせたいので、
逆電(電話)していただけませんか?

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まって!!

今日忙しくてテーマ見れてなかったけど!
前に書き込みも結構してたけど!
今日が絶好のタイミングだ!!

部活引退しました!!
1年生の時、こもり校長COCO教頭に部活のことで相談して色々話した時のこと、校長は覚えてますか…?
先輩に当たられて怪我もしてしまい、部活が辛い…と相談させていただきました!
あの日以来、少し気持ちが楽になり、部活もほぼ毎日行きました!
そして沢山挫折しながら今年の春には個人戦で2回勝ってベスト8、高総体では勝てませんでしたがその悔しさをバネに夏季大会(国体予選)で1回勝ってベスト8になりました!
そして、柔道二段の申請が通り、認定証が来れば正式に昇段します!
大学では柔道はできませんが、中高6年間続けたことで、心も体も強くなりました!
今考えれば、あの事件や理不尽すぎる顧問からの指導を乗り越えてさらに自分自身強くなれたなぁと感じています!
あの事件の先輩とは今では仲良くなりました!
(柔道は人を変えてしまうんです…笑)
いい後輩たちにも恵まれて、今はすごく楽しい部活になっています!
今はたまに受験の面接練習などの間の時間がある時に行ってます笑
やっぱり柔道を続けてよかった!柔道が好きです!

校長!ありがとうございました!


(COCO教頭には3月末に直接伝えられました!!)

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日記とノート

今日の授業テーマが「あの逆電の続き逆電」という事で前に逆電した人の続きを聴いていく授業だという事でめちゃくちゃ楽しみです!私は、ここ1年間SOL!について毎日日記を書いているのでみんなの掲示板を見て日にちを調べて日記を見て、その時のどんな感じの内容だったかな?など詳しく書いているので今日の授業の予習をしている感じでした。日記には校長、教頭の話と授業テーマと逆電した人のRNと話した内容と声色です。内容やRNは見たら分かりますが、声色は実際に逆電しないと分からないので必ず書くようにしています。緊張している声だなや、怒っているなや、泣きながら話しているななども書いています。ラジオを聴かなくても日記さえ見れば大丈夫なくらいに書いています。講師の先生方の授業は、例えば月曜日のミセスLOCKS!の時は、ミセスLOCKS!専用のノートに書いています。火曜日のSaucy LOCKS!はSaucy LOCKS!専用のノートに書いています。講師の先生方は日記と言っていいか分からないのでノートと名前にしています。なので私は日記が3つとノートが6つの合計8つを書いています。そして、これら全部に名前をふってないので誰が誰のノートか分からない状態です。なので今から名前をふります!

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あの逆電の続き逆電

自分は何気に4回ほど逆電させて頂いているのですが、生放送教室での逆電は1回だけなんです。
その1回というのが2022年11月7日の「SOCIAL LOCKS! スペシャル」でのことでした。
その頃、今の「どっちのCat or Dog」の時間帯に障がいのことや性のことなどで悩んでいる生徒の声を流すコーナー「SOCIAL LOCKS!」をやっていて、その日の放送は「SOCIAL LOCKS!」が終了するということで総決算的な授業をしていたんです。
その時の掲示板では「障がいや性のことで悩んでいる生徒」からのメッセージを募集していて、自分はおそらく何遍もここに書いたであろう“自分の自閉症と場面緘黙のこと”や当時浪人中で親から「その状態で普通の大学に進学するのは難しい」と言われて通信制の大学を勧められている、みたいな話を書き込みました。
こんな複雑でわかりにくい障がいなのに逆電の依頼電話がかかってきたのは不思議でしたが、障がいで思うように喋れないのにかかってきた電話だけは出られる体質だった(あと生放送教室での逆電ということで興奮していた)ので逆電に出られて、こもり校長やぺえ教頭、当時ゲストで来ていたryuchell先生、DAIKI先生とお話しさせて頂きました。
当時どんな話をしたかっていうと興奮しすぎていたのかあまり覚えていないのですが、確かこもり校長に背中を押してもらった上、逆電の少しあとにたまたま親に「普通の大学に行くのか?」と聞かれて「行く」と答えることができて、そのことを書き込んだら生放送教室の皆さんが(確か)「よくやった!」と言ってくれたことは覚えています。
ホントのことを言えば通信制大学だけでなく就職も(かなり強引に)勧められていて、どうしようって思っていたタイミングでの逆電でしたからすごく背中を押してもらえました。

その後第一志望の大学には落ちたものの、なんとか入った大学で障がい学生支援室という学生生活課の部署の職員さんに助けてもらったり、たまたま入った学祭実行委員会ですごくいい仲間に出会って、少しですが健常者のように喋ったり、挨拶したりできるようになりました。
正直、今も親とか完全に初対面の人とは思うように話せなくて怒られることもあるけど、今いる場所にいられるのはあの時の校長たちのお陰です。
本当に、ありがとうございます。