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3/9から3/13までの1週間日記

今日のSOLフライデーのあとに(おそらくTFMのみで放送されている)「TOKYO FM ブランニューソング」という番組でGENERATIONS先生の新曲「本心」が流れたのでちょっとしみじみしてました。
というわけで今週の1週間日記です。

月:最近なんやかやで化粧品をやっと買ったので、化粧ポーチを買いに100円ショップまで行った。でも百均にはなくて別の雑貨屋みたいなところで買った。
火:年の近い妹が歯の矯正のため歯茎に埋まっている親知らず(横になっているらしい)を1本抜きに行った。抜歯した場所はかなり縫合されたらしい。
水:障がい者手帳の有効期限がもうそろそろ切れるので、地元の保健所に更新手続きの書類を提出しに行った。親と一緒に行ったので結構緊張した。
木:大学の図書館に行って来期のゼミ発表の準備をしたり、その帰りに貴和製作所の本店に行ってアクセサリーパーツを買ったりした。ただゼミ発表に使えそうな資料はあまり見つからなかったし、貴和製作所では時間が足りず欲しいものを買えなかった。
金:近所でドローンショーをやると急に聞いて、年の近い妹や母親と見に行った。去年末にもやってたけど、相変わらずすごかった。

〈総括〉
先週あまり動けなかった分、今週はだいぶ動いたような気がする1週間でした。
必要なもの、欲しいものを買いにいったり、やらなきゃいけないことを片付けたり…と色々動けてよかったです。
ただちょっとやり残しがあって、中でもゼミ発表の準備が全然進んでいないことに危機感を感じています。
3年生の後期授業ラストに先生から「こういう観点から調べてみてもいいんじゃない?」とアドバイスをもらったのに「その観点からだと全然資料が見つからないよ〜」って感じで非常に困ってます。
まだ時間はあるとはいえ…早く準備に取りかかりたいなぁ。
とりあえず、来週も図書館に行こうかな…?

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今日の話

「大学の図書館に行く」という野暮用をでっち上げて出かけることに成功した今日は、大学の図書館に行ったついでで午後に“ここ最近行きたくて仕方なかった”貴和製作所(アクセサリーパーツのすごいお店)の本店まで足を運びました。
…相変わらず、素敵なアイテムが多すぎるせいで目移りしちゃって時間が溶けました(笑)
帰宅が遅くならないよう店内にいる時間は1時間と決めていたのに、たくさんのキラキラを眺めているとなにを買うか迷っちゃって大変でした。
あとあの店は1時間の滞在だけじゃ時間がマジで足りない。
最低でも2時間くらい用意しないと本店で買うものを決められないし、近くにある支店も覗き切れない。
…まぁ事前に買うものを大雑把にしか決めてなかったせいで、実際に店舗に行くと迷いすぎてしまったんですけどね(笑)
最後は時間切れで後ろ髪を引かれるような思いをしながら帰らざるを得なかったです…

でも公式通販のサイトには載っていない商品も店舗に並んでいたから、行って正解だったと思ってる。
あと(中二病みたいだけど)自作キャラクターの“概念グッズ”を作るための材料をちょっとだけゲットできたから、よかったかも。
今度は事前になにを調達するか決めた上で効率よく店内を回りたいな〜。

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15年前の話 その3

その3の続き。

その辺りからどんどんヘリコプターやどこかの定点カメラから撮影された津波の映像が次々とテレビに映されるようになり、“黒い水”に田んぼや畑や街が飲まれ、破壊されていく様子が目に入ってきたのです。
それを自分は、ただ呆然と東京の片隅の家の、テレビの前で見ている他なかった。
見知らぬ街…テレビの画面には“釜石”とか“石巻”とか“大船渡”とか“気仙沼”とか“南三陸”とか“南相馬”とか“いわき”とか表示されていましたが…このときになって初めて知った名前の街が、無惨にも破壊される様子を、家族たちと呆然と見ているしかなかったのです。
中でも黒い水に飲まれゆく気仙沼の街中を、小さな白い小船がすーっと流れていった映像が、特に目に焼きついて離れないですね。
そしてその日はもしもに備えて母方の実家に自分たち姉弟や両親も泊めてもらったことを覚えています。

その後、自分は急にインフルエンザで高熱を出し、しばらく祖父母宅の祖父母の寝室に隔離されていた…ということは話が長くなるので省略して、これが2011年3月11日に自分が経験して覚えているものの全てです。
当時はただ呆然とテレビを見ていて、あまりの衝撃になにも感情が湧き上がらなかったのですが、今思い返すと少しツラいです。
あと東北など津波が来た地域の人たちや(山形の方とはいえ)東北出身で福島に兄弟やその家族が住んでいたウチのじーちゃんやおじちゃんは自分以上にツラかったと思います。
だから東京都民の自分が苦しんだりするわけにゃいかないんだよなぁ…
でもやっぱりおぞましくて、自分の中に今も残っている大きな事象、それがあの“震災”だった。
そしていつか次は自分たちが、東京で“被災者”になるのだろうと、と今は思っています。
なんかまとまりがなくなっちゃったけど、まぁ、自分の昔話でした。

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15年前の話 その2

その1の続き。

揺れが収まるまで10分かもっとかかったような気がするのですが、気づいたら揺れが収まっていて、戸棚の扉が揺れの勢いで開け放たれたために床に落下し割れていたガラス食器の中にあった、なぜか割れずに落ちていたガラスコップを呆然と拾い上げていましたね。
で、ちょうどそこに1階の工場にいたはずのおじちゃんが居間にやってきて「割れたガラスは危ないから」とガラス片が落ちているところから離されて、おじちゃんがテレビのスイッチを入れた(普段母方の実家はテレビを点けていることが多かったのに、この日は地震が起きた直後までなぜかテレビのスイッチを入れてなかった)んです。
そしたらテレビ画面に日本地図と色のついた四角形に書かれた無数の数字が表示されていました(今思い返すとあれは地震の震度を示す表示でしたね)。
それでおじちゃんの膝の上でぼーっとテレビを見ていたら、地震の瞬間の全国各地の映像が流れるようになり、どこかの高層ビル内でしゃがみ込む人々やどこかの公園のベンチに座るお年寄りたち、激しく揺れるNHK各局(渋谷や水戸だった気がする)のお天気カメラ、東北のどこかの空港で天井板が剥がれ落ちて砕ける映像など、色々見ました。
そしてそれらが何度も流れるうちに、テレビ画面の右端に縁が赤や黄色になっている日本地図が表示され、“津波”というものが来るというアナウンサーの言葉が聞こえてきたんです。
そのうちに、呆然としたままテレビを見ていると画面はどこかの海をヘリコプターから映した映像に切り替わりました。
そこに映されていたのは、青い海をどこまでも果てしなく“長い波”が、陸地に向かってわーっと向かっている様子。
これが自分が初めてテレビで見た“津波”でした。

その3に続く。

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15年前の話 その1

風呂掃除して、昔話をしようと文章を打っていたらこんな時間になってしまいましたが、15年前の話をしようと思います。
ただ生まれてこの方ずっと東京に住んでいて、15年前ももちろん東京にいたので、みなさんの期待するような話はできません。
だけどまぁ、聞いてやってください。

2011年3月11日金曜日、その日は5時間授業で5時間目は国語の授業、その国語の授業中、ノートに“3がつ11にち金ようび”と記入したことはなぜか鮮明に覚えています。
それでそのままその日の授業が終わって下校して、当時は近所にある母方の家の印刷会社で母親が働いていましたからそっちに帰りました(ただしそのとき母親は年の近い妹の習い事のお迎えで1歳児だった末妹と赤ん坊だった末弟を連れて外出していました)。
で、じーちゃんや“おじちゃん”ことじーちゃんの年の離れた弟が印刷の機械を動かしている1階の工場から階段を上がって2階の居間に行き、そこでちょうど出かけようとしていたばーちゃんに「おかえり、洗濯物畳んどいてくれる?」と言われました。
そこで「トイレ行ってからねー」と答えてランドセルを下ろし、お手洗いに入り便座に座った瞬間…ちょうどその瞬間が午後2時46分でした。
最初は小刻みの揺れを感じ、すぐに「地震だ、珍しいな」と思いながらズボンを履き直してお手洗いの扉を開けた瞬間、急に揺れが波打つような大きなものに変わって、咄嗟に近くのテーブルの下に滑り込みました。
ばーちゃんは揺れの中居間を出て行ってしまったため、居間には自分ひとり。
信じられないほど大きくなっていく揺れの中、自分はたった一人テーブルの下で呆然とする他ありませんでした。
そして一向に揺れが収まらない(いわゆる長周期地震動ってやつ)中、自分は「このまま死ぬんだ」と思って泣いてしまったのをよく覚えています。

その2に続く。

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「トッキュウジャー」と“3月11日” 後編

「前編」の続き。

例えば、敵は“闇(作中では黒い霧のように表現される)”とともに街に襲来し、あっという間に街を“闇”で飲み込んでしまったりします。
また、“闇”に飲まれた街は外部から認識されなくなり(=地図から跡形もなく消えたようになる)、“闇”に飲まれた街の中や街の住民は文字通り時間が止まったような状態になる描写がされています。
さらに、敵の侵攻によって主役陣営の“レインボーライン”の線路が“寸断”されたり、“烈車”が行方不明になっていたりもします。
他にも主人公たちは“闇”に“故郷”を“奪われて”、“故郷”に帰るために“烈車”に乗って旅をしていたり、主人公たちの故郷の名前が“昴ヶ浜”とどこか“海沿い”を思わせるものになっていたりもしています。
…と、どことなく放送の3年前に起きた出来事を思わせる要素が散りばめられているんです。
あと物語最大のネタバレになるので詳しくは言いませんが、主人公たちに隠された大きな“秘密”も“震災”の“傷跡”を思い起こさせるようなところがあります。
そういうわけで、「トッキュウジャー」もまた、“震災”の影響を受けて作られた作品であると考えることができるんです。
ただ“鉄道”モチーフは「トッキュウジャー」のメイン脚本家が過去に手がけた「仮面ライダー電王」でも使われていて、「トッキュウジャー」自体登場人物の立ち位置が「電王」と重なるところもあるので、全て“震災”の影響でああなったというのは無理があると思います。
まぁ“震災”以降に作られたアニメや特撮は意識・無意識問わず“震災”の影響を受けてしまっているとはたまに聞くので、「トッキュウジャー」は無意識のうちにそうなってしまったのかもしれません。
まぁもし“意識してやっていた”としても、そんなことは口が裂けても言えないと思いますがね…

そういうわけで、「烈車戦隊トッキュウジャー」と東日本大震災が関連しているかもという個人の考察でした。
あくまで“個人の考察”だから、気にし過ぎないでね。
あと今YouTubeで「トッキュウジャー」の配信をやっているから、興味がある人は途中からになるけど観てみて。
後悔はしないから。

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「トッキュウジャー」と“3月11日” 前編

3月11日ですね。
15年前自分が東京でなにを見たのかについてはまたあとで語るとして、今は「震災」と「烈車戦隊トッキュウジャー」の話をしようと思います。
ただ前置きしておきますと、この話は一個人の“考察”なので「そう考える人もいるんだ〜」程度で流してくださいね。
では本題。

「烈車戦隊トッキュウジャー」は2014年〜2015年に放送されたスーパー戦隊シリーズ第38作目(多分)で、“鉄道”をメインモチーフにした唯一の戦隊です。
ざっと説明すると「“闇”によって街に襲来し、街やそこに住む人々の存在を忘れさせたり認識できなくする勢力“シャドーライン”に対抗するため、“シャドー”の侵攻によって故郷を失った幼馴染5人組が、“イマジネーション”によって走りなぜか子どもにしか認識できない“烈車”を運行する勢力“レインボーライン”のヒーロー“トッキュウジャー”に変身して、“シャドーライン”と戦いつつ“烈車”に乗って故郷に帰るための旅を続ける物語」です。
登場人物たちの性格や物語の雰囲気がコミカルで子どもっぽいところがあるため、リアタイ当時は大きいお友達から敬遠されている節があったそうですが、実は序盤から伏線が散りばめられていて終盤はかなりショッキングな展開が起きたりと大きいお友達の視聴にも十分耐えられる作品となっています。
…で、自分含め我が家の人々はそんな「トッキュウジャー」を(最初から最後まで観たわけじゃないけど)リアタイ当時から気に入っていて、自分は最近になってYouTubeでの公式配信で全部視聴しました。
しかし、この作品の2年前に放送された「特命戦隊ゴーバスターズ」が“東日本大震災”の影響で“シリアス”なストーリーになった、という話を聞いてからふと思ったんです。
「トッキュウジャー」もまた、“震災”の影響でああいう話になったのではないか?
正直、ネット上でそういう考察をしている人は見たことがないのでただの憶測みたいになりますが、「トッキュウジャー」は「ゴーバスターズ」とメインの脚本家が同じで、放送時期的に“震災”に近いため、考えようによってはそう捉えることもできるのでは、と思ったのです。

とても長いので「後編」に続く。

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あ〜浅草橋行きてぇー

昨日、なんの気なしに貴和製作所(東京の浅草橋ってところに本店があるアクセサリーパーツのすごいお店)のHPをぼーっと眺めていて、「あー自作キャラクターの概念グッズ作ってみてー」ってまた思うようになってきちゃった。
春休み中は比較的時間があるし、家からならそんなに時間がかからないような街のお店だから、サクッと行って帰ってくることもできるし。
あと貴和製作所のHPにはお店で取り扱っているアイテムを使った作品レシピが載っていて、それを見ていると「うわ作ってみたい」って思うようにもなった。
そういうわけで、去年「かわいいもの探し」で大学帰りに飛び込んでいった(そしてほとんど店内を見ただけで終わった)場所に行こうと思うんだけど…親に言いづらいのがネックなのよね。
「浅草橋行ってくる」って言ったら、「どういうこと⁇」って思われそうだし。
芸術系高校や美大で作る作品のための細かいパーツ調達でアクセサリーパーツのお店(ただし浅草橋の貴和製作所ではない)にたびたび足を運んでいる年の近い妹ならまだしも、親から“無趣味”扱いされている一般文系大学通いの自分がそんなところに行くなんて、ちょっと不審がられるんじゃないかって思っちゃう。
でも大学の図書館に行った帰りに浅草橋に行くのはだいぶ難しい(時間と乗車賃的に)し、“散歩”と嘘をつくには時間がかかりすぎるだろうし…
覚悟決めて「行ってくる」って言うしかないかなぁ。

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やっとわかった

今日も親の提案で料理して、何度もヘマをして怒られるうちに突然気づいたんだよね。
自分はずっと「母親に慰めてほしかった」って。

自分は鈍臭くて無力でなにもできない(とされる)障がい者だから、障がいの診断を受ける前からずっと母親に怒られてばかりだった。
喋りたくてもなぜか身体が動かなくて、話せなくて怒られて、それで泣いてまた余計に怒られてってことを繰り返してたんだけど、母親は(自分の記憶する限り)一度も慰めてくれなかった。
「自分の口で言え」って言うばかりで、なにもしてくれなかった。
慰めるどころか、背中をさすってもくれなかった。
学校で嫌な思いをしたことを知っても「お前が悪い」としか言わなかった。
学校で本当にいじめられても「喋れないお前が悪い」「もっと早く言え」と突き放した。
だから苦しかったんだ。
だから親が怖かったんだ。
だから信じられなくなったんだ。

それに突然気づいたら、涙も嗚咽も止まらなくなって、自室に行って今は落ち着いてきたから記録としてここに書き込んでいる。
でも今さら母親に慰めてもらえるわけないし、「慰めてほしい」だなんて言えないし、そもそもそんなこと言えるわけない。

だけど、わかったことがもう1つある。
大学で出会った人たちが信用できるのは“優しい”からだけじゃなくて、“見知った人にもちゃんと挨拶ができたり感謝や謝罪ができたりする”から信用できるんだって思った。
もちろんみんながみんなじゃないけど、信用できる人たちは思うように口の利けない自分にも挨拶してくれて、なにか手伝ったらちゃんと感謝してくれて、なんかしでかしてもすぐに怒らず心配してくれる。
それくらい暖かかった。
親はそんなことを家族にあまりしてくれないけど、そういう基礎的なことを忘れずにいられる人たちはすごいなと思ったし、自分もそうでありたいと感じた、ただそれだけ。

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2/23から2/27までの1週間日記

春休み、折り返すね。
というわけで今週の1週間日記です。

月:ボカコレ2026冬の結果発表の生放送を見ていた。最後の最後にまさかの展開が起きて超面白かった。
火:前日までボカコレに熱を上げていたので、だいぶ疲れてダラダラしていた。正直なにもしていない。
水:大学の図書館に行って来年度前期の発表に向けての準備をしようとした。でも使えそうな資料はあまり見つからなかった。
木:親に頼まれて夕飯にポトフを作った。おいしくできた。
金:新宿のハローワークに電話して来週行くことになった。やっと就活に向けて動き出せそう。

〈総括〉
今週は結構動いたような気がします。
週の最初はボカコレで投稿曲を聴きながら絵を描いたり、描いたものをネットに上げてみたりして反応をもらってハイになってしまって、だいぶ疲れました。
で、後半は大学の図書館に行ってきたり、就活に向けて本気で動こうとしたりしてました。
あと久々に料理をしました。
今年に入ってから1回も料理をしていなかったので、暫くやっていないとなんか禁断症状じゃないけどウズウズしそうになっていたから料理できてスッキリしましたね。
春休みは遂に後半戦に入るけど、やらなきゃいけないことを一気に片付けることになりそうなので頑張ります。

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自分とSOLの十年祭 〜2025年編 その4

その3の続き。

〈この頃の自分〉
・新年早々に覚悟を決めて大学の漫研サークルの会長になる。一応このとき全体LINEで障がいのことを話したのだが、どこまでみんな理解したのかはハッキリしていない。
・この年の春休み、親の提案でほぼ毎日夕飯を作ることになる。最初のうちは文句をつけられてばかりだったが、だんだん楽しくなっていった。
・4月、大学のサークルの新入生勧誘活動でキャンパスの芝生エリアで新入生の勧誘を頑張る。ただ手伝ってくれる人が少なすぎて片付けがめっちゃ大変だった。
・5月、サークルメンバーの提案で交流会を開催する。数人しか出てこなかったし、最初はすごく気まずいかったけど、なんとかなった。
・6月上旬、自分の発案で初夏のミニ学祭にサークルで参加する。そもそも初夏のミニ学祭は学内外での知名度が低すぎて、人がまるで来なかったけど…(笑)
・6月、中旬、閃光ライオット2025三次ライブ審査・東京2日目に参戦。知っているRNの子を見かけて頑張って話しかけた。
・7月、なぜか新型コロナウイルスにかかる。感染源は全く不明だったが、このせいで期末テストの追試を受けることになった。
・8月7日、閃光ライオット2025ファイナルステージに参戦。今までで一番アツい閃光ライオットだったと思う。ちなみにリスナーズテントで校長と教頭を超間近で見た。
・8月16日、17日。コミックマーケット105に一般・サークル参加。ずっと憧れだったコミケに初参戦できて超楽しかった!
・11月、大学の学祭にサークルで出店。同人誌や自分が発注したグッズを販売し、色々な来場者の方と話した。実行委員会側には色々迷惑かけたしめっちゃ疲れたけどけど、超楽しかった!
・12月、「MY GENERATION 2026」の最速先行抽選に申し込み、まさかの当選をする。ちなみに親に黙って申し込んでいたが、親にあとから許可を取ったので無問題。

これにて振り返りは終了です!
お目汚し失礼しました!

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自分とSOLの十年祭 〜2025年編 その3

その2の続き。

〈この頃のSOL(続き)〉
・8月7日、閃光ライオット2025ファイナルステージがお台場はZepp DiverCity(TOKYO)にて開催。いわゆるリベンジ組の多い閃光だったが、グランプリを獲得したのはまさかの結成から1年も経っていないバンド・めっちゃ美人だった。ちなみにボカロ部門のグランプリはすでに発表されており、ボカロ部門グランプリの奏はZeppのステージで表彰されたのだった。
・10月3日、SOLが開校20周年を迎える。この月はSOLの歴史で“レジェンド講師”と呼ばれるようなアーティスト講師たち(RIP SLIME先生、RADWIMPS先生、Base Ball Bear先生)が登場した。
・11月10日、こもり校長の翌年3月末をもっての退任発表。放送前の「大切なお知らせ」という予告に誰もが不安がったが、やはり生徒たちに激震が走った。
・11月25日、翌年3月28日にライブイベント「MY GENERATION 2026」の開催が発表。GENERATIONS先生やSUPER BEAVERのみんなの登場が発表され、生徒たちは大いに沸いた。
・12月8日、ミセスLOCKS!の放送中に青森県沖で大きめの地震が発生。ミセスLOCKS!は中断になり、SOLはそのまま報道特番へと移行、校長と教頭は深夜1時までリスナーたちに音楽やメッセージを届けた。ちなみにこの日の中断になったミセスLOCKSはその後1週間ほどYouTubeでアーカイブ配信された。

その4に続く。

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自分とSOLの十年祭 〜2025年編 その1

自分がSOLの生徒になってもうすぐ…というか、もう10年!
自分とSOLの歩みを振り返る自己満コーナーの時間です。
なんやかやでついに最終回です、どうぞ!
(ちなみに時間割はWikipediaを参照しています、悪しからず)

《当時の校長・教頭》
こもり校長・COCO教頭/アンジー教頭(〜3月、注1)→こもり校長・アンジー教頭(4月〜)
(注1:この年の3月までCOCO教頭が月火曜日担当・アンジー教頭が水木金曜日担当だった)

《当時の時間割》
〈22時20分〜のアーティストLOCKS!〉
毎月第1週目:“和の講師”乃木坂46・井上和先生の乃木坂LOCKS!
毎月第2週目:“インターナショナルクラス”SEVENTEEN・DINO先生のSEVENTEEN LOCKS!(〜3月)→“ダンスの講師”NiziU先生のNiziU LOCKS!(4月〜)
毎月第3週目:“チュータールームNo.3”INI・髙塚大夢先生のINI LOCKS!
毎月第4週目:“青春の講師”新しい学校のリーダーズ先生の新しい学校のリーダーズLOCKS!
(注2:この頃の5週目がある月はコレサワ先生やMON7Aくんなどによる期間限定LOCKS!が開講していた)

〈22時55分〜の一部地域のみのコーナー〉
どっちのCat or Dog

〈23時〜のコーナー〉
月:安全LOCKS!
火:ボカロLOCKS!(〜3月)→なし(4月〜9月)→マイナビpresentsぼくらのプレイバックデイズ(10月〜)
水:松田LOCKS!
木:SCHOOL OF LOCK! 農業部(〜3月)→SCHOOL OF LOCK! 森林部(4月〜)

〈23時8分〜(金曜のみ22時30分〜)のアーティストLOCKS!〉
月:“超現代史の講師”Mrs.GREEN APPLE先生のミセスLOCKS!
火:“普通の講師”Saucy dog先生のSaucy LOCKS!
水:“(りゅ)美術の講師”宮世琉弥先生の宮世LOCKS!
木:“4組の副担任”乃木坂46・賀喜遥香先生の乃木坂LOCKS!
金:“永遠の新入生”SUPER BEAVER先生のビーバーLOCKS!

その2に続く。