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「見たい」と「見た」

フェンスの向こうに見た暗い夜を魅力的と思ってしまうのは子供の特権だろう。入れないけれど、小さな頭で必死に考えているとそれだけで楽しかったものだ。闇に入り込んでしまえばいずれは慣れて、こんなものかと客観視してしまう。というか見えてしまう。たしかに知りたいとは望んだが、遠足は準備が一番楽しいともいうように、叶わずにぶーたれていた時期がこの年からして既に羨ましい。年を取るというのは、それなりに惨い。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。見えてしまう。これはもう不可逆的なことだし、そんな理由で情報を厭うていると滔々と流れ続ける先の未来において不利この上ない。枯れ尾花。そう、それはとってもつまらないこと。人は未知を探すものだと、だからなのだろうか。
知り尽くす楽しみよりも、やはり空白を想像する楽しみ。これに尽きる。遠くから目を眇め、全容を頭に描いて動かしてみる。しかしそこまでしたら実際に見るよりほかに道はなくなってしまう。そこで少し年を重ねると実際に見る権限をもらえたり経済的な隔たりが多少改善されたり、ともかくついにフェンスの先の闇夜へ立ち入ることができる。果たしてそこに思い描いていた物以上の何かがあるだろうか。
「見たい」と「見た」の間には大きな隔たりが今日も存在している。

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月の涙 19

今回の旅で二日分の疲労が溜まっている感じがする。普段インドアなのが仇となり、同伴者二人の見えないところで疲弊は着実に私の足を重くしていった。
とはいえ動けないほどではないけれど。というか妹の前でなよなよした姿はさすがに見せられないだろうということで、地味に踏ん張りどころでもあるのだけれど。
現在時刻は午後四時四十分頃。月涙花唯一の群生地である氷枯村までのバスの発車時刻の二十分前だ。

「そういえば圭一さんって」
バス停でバスを待つ間、私と陽波は圭一さんを質問攻めにしていた。普段会わない間柄であり、何より大学生という未知の存在ということが彼への興味を引き立たせたのだ。
「なんで大学に入ったんですか?」
街は閑散としていて人気はない。晩夏の長い陽が、それでもそろそろ赤くなり始めた夕日が私たち三人を照らし出す。
「なんでって」
夕日は町全体をも真っ赤に染め上げ、私はあふれ出す夕日の洪水に飲まれている。口や目を開けていれば夕日が体に流れ込んでくるので必要なとき以外は閉じた。
「……そういえば、なんでだろうねぇ」
らしくもなく歯切れの悪い言葉が返ってきた。彼を見ると目はまっすぐ前を向いている。どうやら真剣に悩んでいるらしい。
「でもなんでかわからなくても勉強さえできれば入れるからね、大学って」
ああ勿論、AOや推薦とかは理由があった方がやりやすいけどね。
「何か興味のあることはなかったんですか?」
と、今度は陽波。興味のある事ねぇと思案顔の圭一さんは、少し俯いた。
「ないことはなかったよ。でもわざわざ大学にまで入って研究したいほどの興味はなかったかなあ」
「じゃあなんで」進学しようと思ったんですか。
「……どうしたの、何か将来についての不安でもあるの?」
圭一さんは少しおどけるように言った。その様子を見て話したくないなら話さなくてもいいんですがと言おうと思ったが、それを言うより先に再び圭一さんが口を開いた。

「大学の志望理由なんて、好きな人一人いればそれでいいんだよ」
夕日のせいか、こちらを向いた圭一さんの目が翳る。

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月の涙 18

妹と圭一さんはすでに店外に出ていたようで、しかしさほど待っていたようでもなかった。さしずめついさっき出てきた、というところだろう。
ふたりは何か話しているようで、店から出てきた私には気づかなかった。

「目当てのものは買えたかい?」
私がふたりに近づくと圭一さんが気付いた。隣を見ると陽波が小さな子袋を持っている。察するに何か買ってもらったようだ。後で礼を言わねば。
「ええ、おかげさまで。時間は大丈夫ですか?」
「……問題ないよ。十分間に合う」
圭一さんは腕時計を確認する。ちらりと見えた時計はいかにも大学生っぽい、大人な感じのデザインだった。少々イレギュラーな予定を詰めてもらったわけだが、どうやら計画に支障はないらしい。そのことにほっとすると今度は妹のことが気になる。私は陽波に視線を合わせると、何買ってもらったの? と訊いた。しかし彼女はただにんまりと笑うだけでなにも答えない。
「なんでも”お姉ちゃんには秘密”なんだとさ」
圭一さんが面白がるように教えてくれた。姉に秘密にするものとは何だろう。少なくとも圭一さんが妹に買い与えてもいいと判断したものなのだろうけど。
「漫画とかでしょうか?」
陽波は文字ばっかりの本は読まないが、絵本や漫画なら好んで読む。気になる漫画でもあったのかと思ったが……。
「さあね。直接教えてもらいなよ」
「できないから聞いてるんですけど……」
さっき”秘密”といったばかりではないか。嫌味な笑いをしている圭一さんを軽く睨んでおく。

まあいずれ分かるんじゃないのと曖昧な答えを出す圭一さんは、やはりどこか楽しそうに笑った。

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長文――過去について

やがて憤懣の中においても私は声を上げなくなりました。
正誤の話しです。私は誤っています。
しかし相手方も、悪いとは思いませんか。
私のまだ定まっていない部分を突くのです。
プリンをフォークで突き刺すようなものです。
追い打ちをかけるように次々と決断を迫るのです。
そんな簡単なことすらできない私は、次第にうんざりとしてきました。
私は、誤っています。何も言わないのだから。
負けです。その時々において何を言えばいいのか分からなかった、私の。
私の中に渦巻いていた真っ黒い複雑、
そして相手と私との間に起こったわずかでありながら決定的なずれが、
私の黒い過去を象徴してやまないのです。
彼らと離れた現在でも私はそれに囚われています。
一生つき纏うでしょう。
しかしこれは、半ば仕方のないこと。
私が一軒隣の家にでも生まれていればこうではなかった。
とにもかくにも、私は自分を守るために硬直という方法をとった、
というだけのことです。
これがどんなに苦しい結末を呼んだのか、
いやそればかりが原因ではないのですが
それでもそのことが私に何か一般とは違う決定的な価値観を埋め込んだことは確かです。
苦しんでいる、というよりはそう停滞と錯覚させられている現状において、
彼らはまたこう嘯くのです。
私が間違っている、と。

そのとき私はどう思うのか。
現在の私をおざなりにしてしまうのがとても怖い。
私は確かに進んでいるはずなのに
過去と私の性格ゆえに、精神面において全くの前進を許してくれない。
おかげで私は外皮に厚く、内面において不安定な流動的物質という二面性を兼ね備えるまでに至ったのです。

彼らに。
私は彼らに立ち向かうことができるのか。
それはつまり、ただ一つの言葉を抽出し出力できるのか。
私の価値観を捨て去ることができるのか、ということにかかっていると思います。

要は面と向かって「馬鹿だ」と言えればオールクリアなのですが。
あいにくと現在、会う予定は立っておりません。
会わなければ会わないに越したことはありません。

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落涙

  始

かなしいね

涙がこぼれていたはずなのに
それがどうしてなのかを忘れてしまうのは

やっぱり、かなしいね

そんな
  ”かなしい”
は空っぽで
なみだやあめが落ちないのも
やっぱりかなしいんだ

  中

いつまでも
いついつまでも
同じことで泣いていたいというのは
この願いは、神さま
どうして許されないのでしょうか

上を向かないと涙がこぼれてしまうのは
下を、後ろを向いてはいけないことの証左
そう、涙は
こぼしてはならないのです
ひとつひとつが足もとを濡らして
滑ってしまいますから
やがて
溺れてしまいますから
花がしおで枯れてしまいますでしょう

 終

かなしい”かなしみ”を
わたしは、神さま
忘れとうございません

かなしいならかなしいままで
いいじゃないか

痛みと、傷みと、わずかな過去さえあれば
わたし達は生きていけるのです
パンなどはいりません
一汁三菜もいりません
わずかな糧でくちびるを濡らせば
いまはそれで満足
わたしは痩せ衰えますが
それをして肥えているというのではありませんか

 留

涙が流れていれば
わたしの中で鮮血のように飛び散った悲劇を
その美しいさまを
そして僅かなあなたの愛憎を
こころに留めておくことができる
涙を犠牲にして

それでも人間は脆いことに
ニンゲンの”さが”で
きれいに洗い流してしまうから
それをかなしいと呼ぶのです
それを虚しいと呼ぶのです



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アナウンスメント

一応レス書き終わった……。
漏らしてるのあるかもしれないのであったらご連絡ください。全速力で駆けつけます。
今回レスを返したのはタグ付けされた作品とレスに書き込まれた作品ということになっています。「おや、これは……?」と思ったやつもありましたが、そういうことになるのでご了承ください。実はこの企画と全く関係なかった、とか言うこともあるかもしれないのでね……。僕は酷く臆病なのです。

ゲリラお題。
今までの他の人の企画と比べると極端に募集期間が短かったのですが(約一日!)、その点も含めてお楽しみいただけたでしょうか。
なぜゲリラなのかと申しますと、実は当初時間制限をかけるつもりはなくゆるい感じにしようと思っていました。しかし人集まらなかったらどうしようと思って一考した結果、時間制限をつけることで解決しようと……。ほら、あれです。タイムセールみたいなものです。テレビショッピングとか。
皆さんを時間で釣りました。汚い手使ってすみません。
実際にそれで参加人数増えたのかどうかは疑問符がつくところではありますが。
何はともあれ事前予告もないのに付き合っていただきありがとうございました。今後ともfLactorおよび月影:つきかげをよろしくお願いします。

またいろんな方が企画を画策中とのことで、そちらからも目が離せませんね!
(露骨な宣伝)

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雨の中

「…」
日本の夏は結構雨が多い。地域によっては違うけど、最近は地域に限らず本当によく降る。俗にいう、『ゲリラ豪雨』ってやつである。
あいにく、今自分はゲリラ豪雨に遭っていた。残念ながら折りたたみの傘すらない。
家まではそれなりに距離がある。別に誰かの傘に入れてもらうことは最初から考えていない。―そもそも、そんな友達などいない。
だから濡れても構わない、と豪雨の中を歩いていた。
でもさすがに雨のせいで風邪をひくのは嫌だから、普段通らない公園を突っ切る近道ルートを歩いていた。
あたりはもう暗いけど、公園の街灯でわりと明るかったし、―これぐらい暗くても、十分あたりは見えるから、困らない。
こういう時ばかりは、こんな自分でよかったなとちょっとだけ笑えた。もちろん心の中で。
ただ夜目がきくんじゃない―暗くてもほぼ平気なのだ。でもこんなことができるのはこういう”人がいない”ところだけ。
そういうことを考えながらぼんやりと歩いていると、後方から人が走ってくる音が聞こえた。自分と同じように、傘を持っていないから濡れたくなくて走っているのだろう。
近付く足音を聞きながら、パーカーのフードを深くかぶりなおした。
足音が近づき自分を追い越す、そう思ったその時―
「―ほい」
不意に、後ろから呼び留められた。ちょっと振り向くと、そこには小柄な少女がいた。
「…」
少女は真顔で折りたたみの傘を突き出している。
「…使いな」
「…」
「遠慮はいらない。この通りこっちには傘あるし…明日回収するからさ」
少女はちょっと笑って自分が持つ傘を傾けた。
こういう時は受け取るべきなのか―困惑していると向こうからもう1つの足音が。
「おい、急に走り出すなよ… 誰こいつ」
少女の友達らしき、走ってきた少年がチラッとこちらを見た。
「誰だか知らない…でもかわいそうでしょ? 傘ないし」
少女はなぜか面白そうに笑った。
「まぁそうだな… てかお前、早く帰らないと親にまた怒られるぞ?」
「はいはい分かってます~ それじゃあね、ちゃんとそれ回収するから」
少女はこっちに傘をやや強引に押し付けると、向こうへと歩き出した。
「あ、おめ…じゃ、気を付けて…」
少年はこちらにちょっと会釈してから少女を追いかけた。
あの2人にも、自分と同じような匂いがした。

2

 引っ越しの荷ほどきを終え、近所を散策していると小さなジャズバーがあった。ジャズがそれほど好きというわけでもなかったが、ドアを開けた。動画配信サービスで見たラ・ラ・ランドの影響を無意識に受けていたのかもしれない。
 客の年齢層は高かった。だいたいみんな六〇がらみ。七〇年代、八〇年代に青春を過ごした世代。狭い店内に加齢臭が立ち込めている。テーブルに案内された。もちろん相席だ。総白髪の巨漢。こちらに頓着することなく、一眼レフをステージに向けている。隣のテーブルでは、夫婦らしきがジャズそっちのけで言い合いをしている。夫らしきが妻のよくない点を述べ、妻らしきがすかさず言い返す。妻らしきは脊髄反射的に言い返しているだけだから説得力がまったくないのだが、妻らしきのほうが優位だ。一対一の関係では、話の通じないほうが勝ちなのだ。
 こうした夫婦は鳩同様、平和で豊かな世のなかの象徴だ。貧しくて豊かになる展望のない世のなかでは、夫婦は協力し合うしかないからパートナーに対する不満を口にしたりはしない。不満を口にするということは少なくとも食べることには困らない世のなかに生きている証拠。協力なんてものは負の産物でしかない。
 二曲聴いてから会計し、店を出ると、高校時代につき合っていたCにそっくりな女の子が少し離れた所に立っていた。Cは日本育ちのベトナム人。大人になったら日本国籍になると言っていた。
 Cの娘、ということはない。ここは千葉県。わたしが育ったのは神奈川県だ。
 Cそっくりな女の子がわたしに向かって微笑んだ。突然、雨が降り出した。
 わたしはCそっくりな女の子に駆け寄り手をとった。すると、ふわり、宙に浮かんだ。わたしたちは雨に濡れながら抱き合い、くるくる回った。
 いつの間にか、空高く昇っていた。わたしとCそっくりな女の子は雲の上に腰かけ、歌った。もう雨に濡れる気づかいはない。

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月の涙 17

「――でも最終的に妹に泣きつかれちゃって。まあ私も月涙花の本物に興味がないわけではなかったので、私が折れて一緒に見に行くことになったんです」
「へっへっ。ずいぶん省エネな姉ちゃんだな」
「そうですか? 私だって本を読むのに忙しいんですよ」
「腕っこ細ぇし」
「妹とそう大して変わりなくありません?」

「でも時間にはちゃんと気ぃつけぇよ」
笑顔だった魔女が顔を引き締めて忠告してくる。
「あの花は彗星にもたとえられる。なんでだか分るか?」
たしかいつかの本で読んだことがある。月涙花は見る時間を少しでも誤ると見ごろどころか花弁の一枚さえ見られなくなってしまう。次にみられるのは一年後。こうした背景から月涙花を彗星に例えることがあるそうだ。
「毎年多くの観光客が足を運ぶが、不運なことに見られなった客だって数多くいる。そのうちの一人になりたくなきゃ、時間には普段の100倍厳しくなきゃいかん」
「……そんなにしないと駄目なんですか?」
「……さすがに100倍は誇張だよ。でも甘く見とったらいけんからな。あれには見るものを拒む魔力がある。時間に甘いやつは特に、だ」
花が魔力を持っているというのはファンタジーな感じがしたが、魔女が言うとすごく”それっぽく”感じた。
魔女は眉間に寄せていた皴を解くと、今度は優しい声音で呟いた。
「あたしも何十年も前に見に行ってな。そん時ゃぎりぎりで間に合って何とかこの目に収められたんだよ。一面の月涙花がな、月夜の下に輝いとって、それはもう壮観だった。次の瞬間逝っちまっても満足なくらい……」
魔女が一瞬だけ、昔を懐かしむように遠くを眺めた。その目の輝きを見て、私は何となく魔女が恋人と一緒だったのだろうなと考えた。恋人を目の前にして死んでも満足って、それは言いすぎな気もしたがそうでない気もした。
「……だからまあ、妹の願いくらい姉ちゃんが叶えてあげぇや。自慢の可愛い妹なんだろ?」

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月の涙 16

 老婆は私が欲しい本をすぐに見つけ出した。これだけの本が雑多に散らばっている中ですぐには見つからないだろうと高をくくっていたものだから、「ほぅれ。こいつか?」と言われてまさにその本を差し出された時には再三驚いた。差し出す姿が超かっこよかった。私は敬意を込めて彼女のことを「寂れ本屋の魔女」と呼ぶことに決めた。
 寂れ本屋の魔女はカウンターに戻る途中、私にいくつかのことを話した。
 ――最近はなぁ、この店にも若ぇモンが来なくなって寂しかったから、お嬢ちゃんが見えたときにゃ思わず声かけちまったよ。久しぶりに若いお客さんだった。ここに来るやつぁ大抵年いったおじいちゃんばっかだから、お嬢ちゃんみたいなのが来たのが嬉しくってさ。……この店もじきに閉めることになってんだ。アタシも年だからな……。何も哀しい話じゃねぇさ。そんな顔しないでくれ。あとぁのんびりと暮らすさ……。
 この店は、何年続いたのだろうか。私は想いを馳せながら目の前を行く寂れ本屋の魔女に黙々とついていった。

 文庫本サイズで720円だった。私は財布の中からきっかりその金額分の硬貨を出すと、寂れ本屋の魔女の掌に差し出した。寂れ本屋の魔女の手は大きくて暖かかった。
「これからこいつを見に行くのかい?」
魔女は文庫本の表紙を指さして問いかけてきた。そこには黒の背景によく映える、冴え冴えとした青の可憐な花――月涙花が見事に描かれていた。『月の涙 著 佐崎重宜』。
「ええ。実は私、小さい妹がいるんですけれど。……あそこでお兄さんと一緒に本を眺めている女の子です。それで私の妹が突然これを見たいと言い出しまして」
「へえ。可愛い嬢ちゃんだなや」
「私の自慢の妹ですから。……本当は私、最初はやる気じゃなかったんですよ。正直言って面倒ですし。写真とか今じゃ世界中で見れますし。――」

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月の涙 15

 低く、嗄れた声だった。突然かかってきた声に思わず体をびくんと震わせながら、先ほどの声の主を探す。しかししばらく見渡してみるがどこにもいない。あるのはただ崩れそうな本がうず高く積まれているばかり――。
「ここだよ。……なんだい、若ぇのに眼が悪ィのかいな」
 少々口の悪い声が飛び出してきた方を見遣ると、本と本の隙間に隠れるように一人の老婦人が座っていた。
「すっ、すみません!急に驚いたりなんかしちゃって」
「気にすんな。声掛けたのぁこっちの方だ。謝られる筋合いなんかねぇよ」
顔に幾本もの皴が引かれたこの老婆は、一体何歳くらいなのだろうか。少なくと八十歳は超えているだろうが、みれば元気ににやり、と笑ってみせた。
「今お前さんがいるのはカウンターだ。……望みの本は見つかったのかい?」
え、と思い改めてみてみると、確かに机のようなものが存在し、そこには「カウンター」と歪な文字で書かれてあった。なるほどここはカウンターらしい。
「……いえ。まだ、ですけど……」
「なんだい、歯切れの悪い姉ちゃんだなや」
再び謝りたい気持ちを我慢していると、老婆はかかと笑っておもむろに立ち上がり、少し歩いてこちらを振り返った。
「ほれ。案内してやっから、あんたが欲しい本教えろ」

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月の涙 14

 その本屋は唐突に現れた。
 地図アプリ片手にここらへんかな、と少し周りを見渡してみたら、目の前にその本屋があった。突然現れたように感じたが、それは周りの寂れた街並みと完全に同化してたからであり、つまりは店舗が古めかしかった。この店やってるのかな、こんなところに目当ての本なんてあるのかなと思いながらも、「OPEN」の札はかかっているし私が欲しい本はまあまあ昔の本なので、一筋の希望は捨てないままに恐る恐るその店の扉を開いた。
「こんにちは~……」
 薄暗い店内から返ってくる声はない。意を決して、今度は一歩ずつ踏み出す。後ろから妹と圭一さんが入ってくる心強さを胸に借りながら、私はそのままどんどん奥へと入っていった。
 店内が薄暗いと思ったのは外が明るかったからで、目が慣れればある程度の明かりは確保されているようだった。かび臭い本のにおいがする。入り口から店舗の大きさは小さいと判断していたが、予想に反してかなりの奥行きがあった。もしかしたら本の数は私の町のちょっとした本屋より上回るかもしれない。明かりがともっているとはいえやはりどこか薄暗い店内は、まるで迷路のような構造になっていた。
「うわぁ……。なんだか不気味だよう」
 妹が後ろでお化けでも探すような目つきで店内をぐるぐる見渡している。圭一さんはそんな妹を、児童書が置かれてあるコーナーに連れていってくれたようだ。私は安心して一人で迷路へと踏み込む。
 私が例の本を探しながらさくさく歩を進めていると、突然知らない声が掛かった。
「……ちょっと、そこのお嬢さん――」