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12/1から12/5の1週間日記

もう12月、だと…⁈
ということで1週間日記です。

月:大学で出入りしている障がい学生支援室の面談が担当の人の子どもの体調不良による担当者早退で急遽延期になった。不可抗力なので仕方ない。
火:ゼミの授業が先生のインフルエンザ感染により休講になった。最近あの先生は体調を崩しがちだから心配…
水:大学帰りの電車内の吊り革が、1つだけ鉄道会社のマスコットキャラクターの形になっているのを見つけた。かわいい。
木:大学の授業で急遽オンデマンド式になった授業の映像資料を見ていたんだけど、なんか途中で寝てしまった。まだリアクションペーパーは書けてない。
金:今日は寒かったので大学の学食で辛〜い担々麺を食べた。別に辛いもの好きではないけど、食べ方を気をつけたからなのか旨辛だった。

〈総括〉
今週は「カゼ流行ってんな〜」と感じさせるような1週間でした。
大学の教職員やその身の回りでカゼやインフルエンザにかかった人がいて、授業が休講になったり、念のためオンライン授業になったりもしました。
あと映像を長時間見たり、図書館でレポートを書くために資料を読んだりしていると眠くなって、疲れ始めてるなとも思いました。
今年が終わるまでまさかの残り26日、身内に受験生がいるのでカゼやインフルを家に持ち帰らぬよう気をつけて過ごしたいと思います。

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9/8から9/12の1週間日記

夏休み終了まで残り大体1週間!
というわけで今週の1週間日記です。

月:母親と一緒に地元のスーパーへ夕飯の買い出しに出かけた。ひたすら荷物を持っていた。
火:朝から左の二の腕が痛むなーと思ったら、前日の夕飯の買い出しでずっと荷物を持っていたための筋肉痛であることがわかった。ショック…
水:昼間はずっと眠かった。結構ゴロゴロしてました。
木:夕飯に野菜炒めを作った。意外と難しいんだよなぁこれが。
金:大学の学生生活課にサークル宛の荷物が届いているらしいので、久々にキャンパスへ行った。でもその荷物はただの広告ハガキと地方の芸術コンテストのチラシが入った封書だった。

〈総括〉
今週はなんだかんだ料理を結構やったなって1週間でした。
豚汁やポトフ、野菜炒めといっぱい野菜を切った記憶がありますね。
自分の場合料理をすると自己肯定感が上がるので大変ではあるけど結構好きです。
あとやっと大学の学生生活課に届いている荷物を引き取れました。
なんとなく大荷物かなーって思ってたけど、実際はただのハガキと封書だったから拍子抜けしちゃった…
また、引き取ったものを部室に持っていったら部室に先日の夏のコミックマーケットに持ち込んだ本が置いてありました。
副会長が、ちゃんと搬入したんだな。
来週は夏休み最終週で履修登録やゼミナールの先輩たちの発表会があるし、観たい舞台のチケットをマジで買わないと観劇し損ねるぞってことで頑張ります。

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昨日の影響

昨日SOL!を聴きながら明日の小テストの勉強していたら、ailly先生の曲が流れてきた途端手を止めて曲を聴いていました。そして、曲に感動して泣いていたらお父さんから連絡が来て素敵な曲だったねと連絡が来たので、もしかして聴いていたの?と連絡しても返信が返ってきません。なので、今日もう1回連絡してみようと思います。その後、曲を聴いていたら、どこまで解いたか忘れてしまい、また1から解きました。そして、今日朝友達に範囲を確認したら、全然違うところをやっていました。曲を聴く前はテスト範囲をやっていたのですがその後は範囲外のところを勉強していた事が分かったので、朝から7時間目の時間まで休み時間や昼休みに勉強しました。そのおかげで多分できました。これからは、しっかりと範囲を確認しようと思います。そして、来週が野外活動です。最初準備したくないなと思っていましたが、ailly先生の曲をradikoで聴いて頑張ろうと思います。あと暗い帰り道でかける音楽のプレイリストを作っていて、友達や家族レスで教えてもらった曲を全然入れて大体できています。しかしailly先生の曲も入れたいのでサブスク解禁までまだ未完成のプレイリストを聴きながら帰ろうと思います!

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新学期、まだ始まってねぇよ

ウチの大学は7月下旬まで授業があったので9月の半ばまで夏休みです。
でも年の近い妹が通う美大は7月下旬まで授業があったのに夏休みが8月下旬までで、今週の月曜からちゃんと授業がありますね(その分後期授業が年内に終わって冬休みと春休みがセットの長期休みがあるそうです)…

と、いうのは置いといて、新学期が始まる前に気になることが一点。
それは大学で所属している漫研サークルが秋の学祭のために制作する“会誌”の原稿募集のお知らせが、漫研のグループLINEに上がってないことなんですよね。
LINEの履歴を見ると去年は8月中、おととしは9月のこの時期にお知らせが上がっていたのですが、今回は未だ音沙汰がありません。
まぁ会誌の原稿を集めて印刷会社に発注する担当の副会長はサークルを漫研以外に2つも掛け持ちしていて、それでいて一人暮らしゆえにバイトで忙しくしているみたいなので、色々とやることいっぱいでまだお知らせを出す余裕がないのかなって気もします。
でも今年は会誌だけでなくステッカーやポストカードといったオリジナルグッズを制作する予定なので、早めにお知らせを出さないとただでさえやる気がなくて遅筆なメンバーが余計に原稿を出さなくなる気がしますね。
あと何につけてもギリギリで動くと大変なことになるから、早め早めに動くのが得策だと思うんですけど…
とにかく、今は会誌に寄せる原稿の下書きの下書きを描いてお知らせの出るスタンバイをしています。
それと、オリジナルグッズをどこの会社に注文するか話し合った方がいいよな、そもそも副会長にばっか仕事を押し付けるのはよくないからオリジナルグッズの注文は会長の自分がやろうかな、とか考えてるので、さっさと連絡をしようかなと。

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今日はこんな感じでした!!

校長教頭こんばんは!
私は課題をすっごい進めました!
通信制高校に通っているので自分で課題を進めないといけなくて、間に合いそうにないので、今日頑張ってレポート3つ提出しました!

でも実は最近ずっと、今頃友達は受験勉強してるんだろうなとか考えてしまいます。
私は中学生の時、進学校を目指す塾に行ってて、中3の夏休みに毎日のようにあった夏期講習も一日図書館に篭ったという最高の思い出があります。
ですが、ちょうど3年前に学校に行きづらくなり高校も通信に行きました。
あの頃自分も頑張っていて、周りも頑張っているのを見ていたので、ついこの時期になると込み上げてくるものがあります。
毎年、このことからもう1年経つのか〜とか思っていたけど、ちょうど3年という節目が余計に自分を苦しめている気がします。
私は小4の時からの夢を追わずに就職します。
でも就職すると夢だった一人暮らしができるという複雑な感情になっています。
今の時期はしょうがないと毎年思うけど、やっぱりしんどいです。
私は今日しんどいって思ったし、同じ気持ちの生徒さんもいると思います。
夜10時にまたここに来て、明日も頑張れるようにパワーをチャージしたいと思います!!

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その5

その4の続き。

〈総括(教訓?)〉
・とりあえずサークル参加の場合、例え同行者が2回しか会ったことのない奴だとしても(自分の場合本当にそうだった)事前にサークル参加者向け入場券を渡しておく(例年そうだからといって会場周辺で待ち合わせるのは本当に難しい)。
・サークル参加者は館内放送にはしっかり耳を傾ける。適当に聞き流してもいいやってなってると重要なことが抜け落ちる。
・大学の漫研サークルには全然参加者が来なくて当然、てかガッツリ事前の宣伝活動に力を入れないと誰も薄い本を買ってくれない(おそらく宣伝しても変わらないと思うが、宣伝はもっとすべきだったと思う)。しかし「ほとんどのサークルは1冊も売れない」「参加することに意義がある」と親は言うので、例え1冊も売れなくとも参加し甲斐はある(なにせあの空気感がいいんじゃ)。
・例えにわかであっても初心者であっても、コミケ用語の類(準備会・スペース・頒布etc…)はしっかり予習すべき。なんか同行者は準備会のこと“運営”呼ばわりしてたけど、コミケは“参加者みんなで作るもの”だから“準備会=運営”っていうのは語弊があるんだよ…
・ずっと憧れていたイベントだったけど、想像以上にワクワクして、想像以上に楽しい“祭”だった。いっぱいだらだら書いちゃったけど、またいつか、どんな形でもいいから参加したい、という言葉で自分にとってのC106は締めくくりたいと思います。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その4

その3の続き。

・どこの漫研も人が来ないのは同じなので、あちこちで挨拶と言いつつ大学の漫研同士持ち込んだ頒布物の交換会が開かれていた。ウチらも地方の大学の子と会誌の交換をした。
・コミケ直前に親が2日目の入場リストバンドを買っていたので「もしかしたら当日親が自分たちのスペースに来るかも…⁈」とひやひやしながら待っていたけど、閉場1時間前になっても来なかったので「おそらくアイツ来ねーな」と思い自分たちの漫研が配置されている周辺のサークルを見て回ったり、近くにある準備会の出版物(カタログなど)が売っているところで公式書籍的なものを買った。あと某有名大学の漫研の子たちが売っていた“まんが共通テスト”というネタみたいだけど至極真面目な中身のアイテムを買わせていただきました(そのサークルの子たちはマジで喜んでた)。
・閉場1時間前を切っても人は来ないし、周りのサークルの中にも撤収しているところがあったので副会長の提案で泣く泣く撤収準備をした。ちなみに撤収の際、スペースの長机に貼ってあるスペースナンバーのシール(剥がせと館内放送で流れていた)を剥がし忘れたのはここだけの秘密。
・会誌は50冊くらいしか発注していないとはいえ、段ボール1箱をそのまま持ち帰る訳にはいかないので某宅急便屋さんの会場からの宅配サービスに会誌の入った箱を預けて会場から出るところで、ちょうど閉場時刻になった。本当に拍手が沸き起こって、やっぱ感動した。

その5に続く。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その3

その2の続き。

・自分たちが配置されているスペースの左隣のスペースの某有名私立大の漫研の人や、右隣の某地方国立大の漫研の人と挨拶がてら会誌の交換をした。ちなみに右隣のサークルは1センチくらいある薄くない会誌を持ち込んできていた(それに比べて我々は厚さ3ミリもない会誌である…)。
・10時半の開場を告げる館内放送が流れた時、噂には聞いていたけど本当に拍手が巻き起こって感動した。あと一斉点検(不審物がないかの点検)の時は謎のテーマ曲に合わせて手拍子が起きたりもした。
・わかってはいたけど、開場後は暇な時間が続いた。まぁ大学の漫研で二次創作(版権もの)はリスクが高すぎてできないことが多くて頒布物は一次創作がメインだし、みんな美術系でもなんでもない一般大学のサークルしかいないから、漫研の類が配置されているスペースに人は全然来なかったりする。ウチの大学は一応有名どころの一種だけど、みんな名前だけ見て立ち去っていく感じでもある(どこの漫研も一緒)。
・持ち込んだ小さい折りたたみ椅子に座っている時にふと後ろを見たら、売り子が本気のコスプレをしている漫研がいてびっくりした。どこの学校かしらと思ったら、医療系大学の子たちらしくてもっとびっくり。
・自分たちのスペースと通路を挟んだ向こうにあるサークル(創作系)のスペースをよく見たら、しれっとスーパー戦隊シリーズの怪人デザインの人のサークルだった。別にコミケにプロが参戦することは全然OKなんだけど…なかなか衝撃的だった。
・午後になって我々のスペースに来た人で「ここの漫研に〇〇くんっていますか?」って聞いてきた人がいて一瞬誰を指しているのか分からず混乱した。どうやら前の会長の高校の同級生らしく、前の会長に会いに来たらしいのだが…ウチの漫研は基本会長と副会長しかコミケに参加しないので、「いませんね」と答えるしかなかった。とりあえずその人は会誌を立ち読みしただけでそのまま去っていった。

その4に続く。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その2

その1の続き。

・西・南館方面からの入場待機列にたどり着いたものの、虹の大橋という有明がある埋立地とと狭義のお台場(閃光ライオットの会場があるダイバーシティの建物や港区・品川区の飛び地があるところ)がある埋立地の間にかかるデカい橋(21世紀の特撮にはちょいちょい出てくるので、多分地元民じゃなくても見たことある人は結構いるはず)の上で待機することになった。台場の方を振り向くと、ダイバーシティの建物が思いっきり見えてなんとも言えない気分になった。あと一瞬弱い天気雨に降られた。
・10時台に有明に到着したけど、実際に建物内に入れたのは12時台になってからだった。でもワクワク感でそこまで長く待機したって気はしなかったかも。
・何気に物心ついた頃(3、4歳)からビッグサイトにはたまに行ってるけど、前に行ったのが5年くらい前だったから、建物内の風景なんて入場するまで忘れていた。でも建物内に入ったら時々ビッグサイトのイベントに行っていた小学生の頃とほとんど変わっていなくって、ちょっと感動した(でも人が多すぎて動く歩道は全部止められてた)。
・なんとか入場して、お目当ての東館に着いたので親とはお目当てのサークルの同人誌を買いに別行動した。自分は高校時代に運命的な出会いをした「アサルトリリィ」の原作者のサークルスペースを探してデザイン画集を買った。原作者に直接還元できたことがすごく嬉しかった。
・昼ごはんは奇跡的に席が空いていたCoCo壱でカレーを食べた。何気に初めてで新鮮でした。
・「都営バスが企業ブース出してる」ということで、午後は南館の2階にある企業ブースへ向かった。その途中で屋外のコスプレエリア(コスプレする参加者さんたちの写真を撮っていいスペース)の横を通ったけど、いろんなレイヤーさんがいてすごかった(ミクさんだとか八雲紫だとか)。

その3に続く。

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日々

学生の頃から、いっぱい寝ても朝起きるとめっちゃ眠くて寝た感じがしない、体が重い、朝がくるのが辛い、行きたくないってなってる。
体力ないのもあるけど、というよりは、精神面やと思う。なんかちゃんとした理由は難しいけど、当時は学校、今は仕事に行くのがしんどい。こころが苦しくなる。居場所もそんなにないし。
生きたくなくなるし、生きん方が楽かもって思うときもある。でも、生きてないと見れへん景色もあるし、好きなアーティストの曲聴いたりとか好きなこともできんくなるのは嫌やし。好きなことがあるのはほんまに救い。ないときもあって、そん時はほんまに苦しかった。こころもからだも悲鳴上げてることも多々あったし、今もある。

がんばれないときがあっても、何もできない日があってもいいと思う。私もそういうこと多いけど、そういう日も意味はあると思ってる。

生きてたらきっと良いことあるって、周りから言われてたけど、正直ほんまなんかなって信じれへん時期も多かった。でも、好きなアーティストに出会えた瞬間に、こころから生きてて良かったって思えて、ほんまにあるんやって思って感動してた。

辛くて苦しいときには、良いことあるって言われても私と同じく信じれない方もいらっしゃると思うけど、きっとあると思うから、みんな生きよう。

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しんどいわけじゃないんだけどよ

昨日親に「後期は大学の単位たくさん取りなさい」って文句つけられた。
親からしてみれば「この修得単位数じゃ4年で卒業できない、4年生で就活できない」って言うんだけど、正直こっちからしてみれば(前期で取った科目全てで単位を取得できた場合)残りの取らなきゃいけない単位数って28単位なのよ。
で、4年生で必修のゼミナールが通年科目で4単位で、出さないと話にならない卒論が8単位、さらに3年生のゼミナール(通年だから1年かけて受ける)が4単位分だから、3年生の後期で履修登録しなくちゃいけない科目数は単純計算で16単位分…つまり8科目。
大学で出入りしている障がい学生支援室の人からは「順調だね」と褒められているんだけど、歳の近い妹が言うには「普通は1、2年のうちに単位を取れるだけ取って3、4年では趣味の科目と必修だけ取るようにするもの」って言われちゃった。
まぁアイツが言うんならそうなのかなぁって思うんだけど、でも逆に本当にそれだけが正しいのかなって思ったりもする。
ウチの大学は新入生ガイダンスで「無理に単位を取りすぎると逆に単位を落としまくるから計画的に取りなさい」って言ってたから、それを信じてやってきたんだけど…
最終的に卒業要件ぴったりになるように単位を取る方法は間違ってるのかな?
普通の人は最終的に卒業要件の基準をオーバーするのが当たり前なの⁇
(言い訳みたいだけど)自分は発達障がいがあるし、同じ学科に友達はいないし、よその学科や学部にはなんやかや友達はいるけどしょっちゅう会って話すことはないし、そもそもこんなこと友達に話していいのか分からないから、正直どうなんだろう。
まぁ普通の、健常者の大学生は遊んだりバイトしたり教職や公務員の資格課程でめっちゃ忙しくしてたりして、多少でも単位を落とすのは仕方ないんだろうし、資格課程の単位は卒業要件に何気に含まれないからそういう子たちはいっぱい科目を取ってたりするんだけども。
自分は障がい者だから普通の大学生にできることが全然できなくて、それで逆に余裕があるから単位を落とさずにここまで来れてるのよね。
これからも単位を落とさない保証はないから、もっとたくさん科目を取るしかないのかな。
でも所属学科で開講している専門科目はだいぶ取ってしまったから選択肢がもうそこまで残ってないのだけど…