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禁忌

禁忌、というものがあるらしい。
触れることも見ることも許されない、見ることができないからそれであるかも分からないけど。
君もよく知っているだろう。侵してはならない領域。ほら、白雪姫はりんごを食べてはいけない。ラプンツェルは塔から降りてはならない。
法律とかではないよ。あれは人と人とのお約束事。
禁忌とはそうではない。多分、私やあなたの本質を揺るがすのだろう。
人間の本質を損なうのだろう。そうなのかもしれない。
そういうものだ。禁忌とは。
侵してはならない。
侵してはならないよ、その先に何が見えようとも。奇麗な空や、ほら、花園が広がっていようとも。見てはいけない。目を背けよう。
目を背けなければならないよ。変な気を起こさないように。教育だよ。私とあなたのため。
言った通り、私やあなたの大事な柱が揺らいでしまうから。
とにかく。いけないことをしてはいけないよ。当たり前のこと。
見てはいけない。踏み入ってはいけない。指の隙間から覗くのもいけない。惰弱な精神が邪魔をするだろう、そういうものだ。人間とは。
人間とは、そういうものだ。脆弱な。
人間は脆弱だが、だからこそ禁忌を忘れてはいけない。
忘れるな。
真っ当な人間は、決して禁忌を忘れない。
私もあなたも、真っ当でいるのが正しい。
正しいことを、人はするべきだ。
正しくないことをしてはいけない。
禁忌を侵してはならない。
これは鎖ではない。私とあなたを守る命綱だ。
あなたを守るためだ。
禁忌に対して触れたいとか見たいとか、絶対に考えてはいけない。
絶対だ。

分かったら、さあ。
正しいことをしようじゃないか。

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霧の魔法譚 #15 6/6

魔法使いたちを襲った大攻勢は、目立った損害もほとんどなく魔法使い陣営の勝利に終わった。
変わったことと言えば沖合に突如出現した謎の濃霧を偵察隊が捉えたそうだが、目立った動きはなくほどなくして消滅したらしい。おそらくファントム側の攪乱作戦が不発に終わったのだろうと多くの者がそう考えた。いずれにせよ勝ったのだから問題はないと誰も深く考えなかった。


霧に隠されたもう一つの大攻勢。一人の少女が抹殺したファントムは深海の底に消え、誰の記憶にも残ることはない。


霧の魔法譚<終>

***

大変大変長い間が空きました。覚えている方いるでしょうか。いたら嬉しいです。
夏からの課題(!)、何とか無事終わらせることができました。終わりましたよテトモンさん!
本当はもっと短く、こう、フランクな感じで終わる予定だったのですが、書き込みを引き延ばしているうちにグダグダと内容まで長くなってしまい……。お話の展開まで暗くなってしまいました。クリスマスイブにお目汚し失礼します。
霧の魔法譚は以上で終了です。見てくださった方、反応していただいた方、そして長文を載せてくれたKGBさん、長らくお付き合いいただきありがとうございました!

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霧の魔法譚 #15 3/6

「シオンの魔法は現実を歪める力だ」
さてと前置きをして、目の前で繰り広げられる惨劇を前に大賢者が語りだす。

「具体的には、”自身を内包する霧の範囲を彼女の思い通りに書き換える”能力。霧が深ければ深いほど、広ければ広いほど、彼女は思い通りに現実を書き換えることができる」
現実を歪められたこの海は、今や激しい戦場と化していた。
戦闘機から吐き出された閃光が次々と煙を引き裂き、戦艦を容赦なく叩きつける。戦艦の至る所に設置された砲台は凄まじいマニューバで飛行する戦闘機を捉え続け、次々と撃ち落してゆく。
空から落ちる燃えた屑鉄が海へと落下し、凄まじい衝撃とともに水の柱が上がる。轟沈した戦艦からは爆発が起き、黒々とした煙が空を覆いつくしていた。
耳を聾するほどの轟音が四方八方から絶えず鳴り響く。地響きのような重低音と空気を切り裂く甲高い金属音が組み合わさり、容赦のない暴力が骨の髄まで打ち据える。激しい衝撃は脳を揺らし、耳鳴りと頭痛を引き起こす。
撃ち落されても撃ち落されても戦闘機からの攻撃は止むことがなく、戦艦からの砲撃も苛烈さを増す。海へ叩きつけられる鉄の残骸は増える一方で、攻撃に耐えきれなかった戦艦も次々と沈み炎を撒き散らす。
「その圧倒的な万能性からファントムを屠れる数で言えばまず間違いなく五指に入るほどの、非常に強力な魔法だ」

炎は火の粉とともに空まで昇り、大気を焼き尽くさん勢いで煙を赤黒く染めてゆく。

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霧の魔法譚 #15 1/6

この国はかつて戦争をしていた。
数年前に習った記憶なので詳しく覚えていないが、目的は確か領土の拡大だったと思う。
現代人にとっては「そんなことで?」と思うような理由で、実際歴史を習っていた時の自分も「そんなことで?」と思うくらいの理由で、でも当時の人たちにとっては多分とても大事だったのだろう。あるいは一部の人たちだけかもしれないが、それはともかく。
この国はかつて戦争をしていた。長く、激しく、国の誰もが疲弊し、そして誰も何も望むものを得ることができなかった負け戦だ。
いよいよ戦争も終盤という頃には敗色濃厚だったにもかかわらず、「敗戦」の二文字から目を逸らし続け、その勢いでがむしゃらに戦い続けた。やめておけばいいのに、誰かが起こしてくれるかもしれない奇跡を願って死地に兵を送り出し続けたのだ。
その結果、血みどろで泥沼の戦いとなった内の一つにその戦いは数えられる。
空に浮かぶ無数の火の玉と、説明書きに「すべての戦闘機が撃墜された」という文字。教科書にはその戦いを切り取った白黒写真が掲載されていて、戦いの名前は思い出せないのにそっちのイメージは強烈に覚えている。

「…………」

そんなことを思い出したのには理由があって、イツキは呟けずにいる口そのままに空を見渡した。
イツキの瞳を、オレンジ色の炎が揺らす。
燃える空に浮かぶ黒い影が火の玉となって墜落していった。

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霧の魔法譚 #14 2/2

シオンは一冊の本を取り出し、頁をぱらぱらとめくっていく。本は途中まで文字がびっしりと並んでいたが、ある頁から本文だけが抜け落ちたように何も書かれていない。その文字と空白の境目の頁を見つけ出し、そこに手を置く。頁の端がはたはたと音を立てている。
目を閉じ、深く深呼吸をする。吸い込んだ空気から霧の湿っぽい匂いをしっかりと感じ取って、自分が霧の中に存在していることを確認する。耳には相変わらず風切り音が鳴り響き、シャットアウトした視覚からは何の情報もなく、代わりに本に触れている手に感覚を集中させる。本の形や大きさなどを確認していき、それを記憶していく。
記憶した本を暗闇の中に描き出す。そしてそこを中心として自分自身と車の座席を描き、風切り音と霧の粒子を描き、シートベルトと後部ドアを描き、衣擦れと呼吸音を描き、大賢者と食べかけのクッキーとイツキを描き、ハンドルとタイヤを描き、バックミラーとエンジンを描き、それから空気の移動と冷たさを描き、冷えた金属と怖気を描き、その奥に眠る赤い眼光と鎧を描き、それの3万1946体の違いを描き、波と空気の狭間を描き、軋むような海底の響きを描き、そうして霧とそれ以外の狭間を描く。見えるものはすべて記憶して、霧に隠れているところは想像のもとに。そして今度はそれをじっくりと観察し強度を高めていく。
さながら現実世界を忠実に再現した模型を作るかのように、あるいは物語の背景を組み立てるかのように。
再現と記憶を同時並行しなければいけないため、頭はオーバーヒートでどろどろに溶けてしまいそうだった。一本の細い線を手繰り寄せるように地道な作業を続けていく。ファントムが整列してくれていて助かったと思う。ばらばらに配置されていたら多分、完全に再現することは不可能だった。ファントムは同じ顔、同じ体躯で、まだまだ動き出していない。どうだろう、それも秒読みな気がしていた。
完成に要した時間はわずか数十秒だが、シオンにとっては何時間も経っているような気がした。こんなに集中するのも久しぶりだが、ここまで来てしまえばあとはもう簡単だ。
現実と相違ない世界を自らの頭の中で完全に再現し終えたシオンは、いよいよ魔法を発動させる。

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霧の魔法譚 #14 1/2

「大賢者様。私の準備は整いました」
長らく瞑想していたシオンが準備完了と伝えてくる。大賢者はそれによぅしと応えると、手元に保留してあった小さな魔法陣を投下した。一つ目の魔法陣の時と同じく小さな魔法陣は大きな魔法陣の一部に収まり、かちりと解錠音が鳴る。
一つ目の魔法陣の時は強烈な光とともに変化が現れたが、今回は実に静かなものだった。魔法陣を構成していた青い光はそのまま霧散して海に溶け落ち、しばらくすると海から湧き出るように真っ白な煙――霧が湧出し始める。はじめは地面を這うようだった霧は瞬く間に海面を覆い、同時に体積を増やして拡散しあっという間に空を埋め尽くした。車から見える景色も真っ白に覆われ、海上に並ぶファントムの姿も手前数体の姿しか見えなくなる。
太陽光も遮ってわずかに薄暗くなった世界を見て、イツキは驚嘆の声を上げた。
「うおっ、すげ……」
「おっとここで驚いてもらっては困るよイツキ君。まだまだ序の口さ」
一つの魔法陣でファントムが展開していた全域丸ごと霧で覆って見せた大賢者は、もうやることがなくなったというように深く背もたれに背を預けた。そのまま精神力補充用のクッキーを食べ始める。
「……ってあれ、大賢者が何かするんじゃないの?」
「おいおい、シオンを何のために連れてきたのか分からないのかい?」
「イツキさん、ドア開けますね。一応注意してください」
「えぁ?」
後部ドアを開けると湿気た空気が入り込み、車の空気は一気に入れ替わる。シオンはシートベルトを外すと開けたドアに足を向けて座った。少し身を屈めば海を見下ろすことができるような体勢で、イツキが危ないだなんだと喚いているが都合よく無視することにする。とはいえ風を切る音が足元をしきりに通り過ぎていくのは普通に恐怖であり、なるべく下の方を意識しないようにしなければならない。

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霧の魔法譚 #13.5

そろそろだよ、シオン。

誰かに呼ばれた気がして目を開けると、バックミラー越しに大賢者が視線を寄こしていた。
魔法陣の青い光で相対的に車内が暗くなったように感じられ、大賢者の目が二つ光を浮かべている。準備はいいかい? と今度ははっきりと脳内に響き渡った。念話の魔法だ。呼んだのはどうやら本当だったようで、見つめ返すシオンに大賢者はパチッとウィンクを送った。
そろそろ。
言葉通り、魔法陣は静かに揺らぎ解き放たれるのを待つばかり。強力な魔法陣ほど細かく、精緻な紋様を作り出すというが、大賢者のそれは今まで見たことがないほど美しく繊細で、これの目の前では世界中のどんな素晴らしい装飾品も霞んでしまいそうなほどだった。
(さて、と)
さっきまで思い出していたのは自らの過去。とても美しいなどと言えず碌な記憶もない空っぽな昔話。あれから辛いことは全部全部忘れようと、魔法で黒く暗く全て全て塗りつぶして掻き消した。あの魔法は何でもできてしまうけど、そこが欠点だった。暗闇の中で母や大賢者とともに過ごしたわずかな時間だけが残光のように輝いていて、思い出すたびに目を細めてしまいたくなった。
(魔法は……確かに私が一番辛かった時に逃げる場所を与えてくれたけど)
母も大賢者もいなくなったときに魔法の存在が心を支えてくれたけれど、自分はそれに依存しすぎていた。辛いことを見ないようにするのだって首が疲れるのだ。
(でももうこれで終わり。100年間も頼っちゃったけど、もう大丈夫)
だって愛する人も目の前に戻ってきたのだから、と大賢者の後ろ姿に微笑みかける。
シオンはこれ以降は当分魔法を使うことはないだろうなと予感する。

***
お久しぶりです。とても長い時間掛かってしまいました。
単純にどう終わらせるか悩んでいました。そしてまだ決まってません。……頑張ります。
前回レスしてくれた方、スタンプくれた方、遅くなりましたがありがとうございました。

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霧の魔法譚 #13 3/4

大賢者様が私の前に現れたのはそんな頃だったように思います。

目を上げるとそこには一人の女性の姿がありました。驚いたのはそのシルエットで、最初に目に着くつばの大きなとんがり帽子と黒い長衣は明らかにこの国の人ではない恰好でした。衣服が黒いから弔問客かとも思いましたが、瞳は私の母を探しているようには見えません。それでこの家の家主の客かと思い至り誰か呼びに行こうとすると、
「君に用がある」
と言って私を引き留めたのでした。そこで女性は自らを大賢者と名乗り、私は自らを̪史音と名乗りました。

どうしてそうなったのかはまるで覚えていませんが、大賢者様と出会った日から長くも短くもない日を一緒に過ごすことになりました。本を読むのもほどほどに、大賢者様と紅葉の上を散歩しました。秋が過ぎ冬になり、大賢者様と一緒に毛布にくるまって一晩を過ごしました。
大賢者様は朗らかに笑いよく喋る、明るいお方でした。私は大賢者様が楽しそうに話すのを聞くことが好きでした。夜ごとに話してくれるお話はどれも魅力に溢れていて、どれ一つとして同じものがありませんでした。大賢者様は永く長く旅を続けてきたと言います。私はそれで初めて、この国の外に広がる世界に思いを馳せました。世界は未知と不思議に満ち溢れていて、またそれと同じくらい優しく愉快でした。

大賢者様と一緒に過ごしたかけがえのない時間は、私を悲しみの底から救い出してくれました。ふと母を想って寂しくはなるものの、その穴を埋めるように大賢者様に甘えるようになり、大賢者様は夜空のような瞳で私を包んでくれるのでした。

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霧の魔法譚 #13 2/4

小説は母の趣味らしかった。それで母は私がその小説に興味を持ったのが嬉しかったのか、その小説の好きなところや感想などを私の進捗を確認してから話すようになった。疲れ窶れていた母の表情に笑顔が浮かぶようになり、私もそれが嬉しくて母と話すのが楽しみになった。

ちょうど小説のすべてを読み終わったころに、私が生まれるよりもずっと前に始まった戦争は突然終わった。新聞にはこの国が負けたことが重々しい文字で記されていたが、次の日から生活が激変するようなことはなく、失ったものが戻ることもないようだった。
同時期に母が亡くなった。私にとってはそっちの方が大ごとで、動かない母を前にして慟哭し、それが三日ほど続いてから私は泣き止んだ。人を弔う方法も知らないものだから遠く離れた隣家に行くと、とりあえず役所に伝えておきなさいと言われ、そうした。葬儀はその家の人が行い、更には私を引き取ってくれもした。
私は与えられた部屋に引きこもり、母を思い出すように小説を何回も何回も読み返していた。母が好きだと言っていた箇所は特に読み込んだ。物語の楽しみ方としては大きく外れていたが、読むたびに母の笑顔が思い出すことができた。隣家、もとい引き取ってくれた家の人は私になるべく触れないでいてくれた。私はそんな人の親切心に気づくこともなく、季節はすっかり一周していたらしく秋になっていた。

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霧の魔法譚 #13 1/4

私が生まれたのは、実に百年以上も前のことだった。

そのころ世界は戦火に包まれており、この国も例外ではなく、激しい戦いは国力を根こそぎ枯らし尽くしていた。
新聞を見ればこの国は着実に勝利の道を歩んでいるようだったが、ますます苦しくなる生活の前では虚しいばかりだった。
きっと誰もが疲れ果てていたけど、それを言い出すには大きな勇気と責任が伴った。どこでどんな人が目をつけているか分からなかったから。
みんな頑張っているから。この国のために。平和のために……。
不満を漏らす代わりに吐き出した言葉は、誰へとも知れぬ言い訳のようで。或いは縋る幾束の藁のように、私の母も何度も何度も言い聞かせるように、男性の写る写真の前で手をすり合わせていた。生まれた時には既にいなかったその男性は、母曰くいつか帰って来るらしかったが、ついぞ音に聞くことはなかった。

母子家庭で育った私に遊ぶ兄弟姉妹はおらず、塞ぎ込みがちであったがために友人の一人もできなかったが、私は暇をすることはなかった。書架に並べられていた難しそうな外国語の本の中に、数冊だけ母国語で書かれた小説があったのだ。母に尋ねてみると、今はもう出回っていない翻訳本らしく、私はこれを借り受け、暇な時間を見つけては自室で読み耽った。
本を読むようになってから私はよく空想を広げるようになった。もともとの妄想癖というわけではなく、書架に並ぶ小説が多くなかったからだ。早く続きを読みたいという急いた想いはあったものの、それでも内容を知らない本が減っていくというのも物悲しく、仕方なしに空想を織り交ぜながら焦らすように読み進めていった。

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霧の魔法譚 #11 2/2

心臓が早鐘を打ち、背筋には生理的嫌悪からくる冷たさが撫でる。
大賢者は自らの魔法で起こした変化を視認して、ふぅと息を一つ吐いた。
「改めてみると圧巻というか……いや、君の前では不謹慎だったかな。とにかく、これらすべてがファントムって言うんだから、敵もなかなかの数を揃えたものだね」
大賢者はクッキーをもう一度取り出して食べていた。精神力を急激に消費したせいで蒼白になっていた肌色が見る見るうちに回復していく。おそらく精神力補充用のクッキーとかなのだろう。
「……大賢者が使った魔法って何なんだ?」
精神力を失ってないくせにすでに生きた心地がしないイツキが絞り出すように尋ねる。大賢者はぺろりと唇を舐めると、淡々と答えた。
「今目の前に現れた秘匿ファントム軍に探知ジャミングが施されていた。魔法でも直視でも見ることができないという驚異のステルス性能さ。それで私はそれを破った。やったことはただそれだけ」
ただし、と大賢者は続ける。
「イツキ君にはなかなかダメージが大きかったみたいだね。まあ自分を殺そうとやって来る敵が奇麗に整列して並んでるんだ。いわば”未知の敵兵工廠”に足を踏み入れたようなもの」
実際には敵はここで生産されているわけではないけど、敵の本陣は間違いなくここだろうね。大賢者はあくまで淡々と語る。3万の前哨隊で魔法使いたちを疲弊させ、ここに残った知性化したファントムで敵を”効率的に狩る”。故にカギとなるこの本隊の存在を秘匿したかったのだろうと。
「これが……全部、なのか……?」
イツキの口からこぼれるように言葉が漏れた。大賢者はすぐにイツキが何を言いたいのか察して、その答えを述べる。
「そうそう。ざっと見た感じ向こうの1/3程度だから……1万くらいはいるのかな」
知性を持ったファントムが鋳造品と比べてどのくらいの戦力比があるのか分からないが、3倍は軽く凌駕するだろうことは想像に難くない。
「だから排除しなくてはいけないんだよ」
大賢者は二つ目の魔法陣を作成し始めた。

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#11更新です。イツキ君は正気度判定しましょうね。

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霧の魔法譚 #11 1/2

魔法陣から放たれた光は激烈で、数瞬ののちイツキが目を開けると、まず見えたのはフロントガラス越しに見える海だった。その様子は表面上先ほどと変わらず平穏そのもの。
――いや。
いいや、イツキはどこか違和感を覚えることに気づく。
見慣れた海のはずなのに安心感が一切感じられない。なぜか波立っていない海水面は太陽の光を無機質に跳ね返し、先の見通せない真っ黒な海が口を大きく開けて待ち構えている。
生きた空気が徹底的に排除され、自分たちこそが異質な侵入者だと強制的に自覚させられるような感覚。生命の存在が全く感じられず、なぜか自分たちが生きていると知られてはいけないという強迫観念に囚われる。
それはまるでUFO内部に忍び込んでしまったかのような不安感。眠れる獅子の檻に放り込まれたかのような恐怖。
なんだこれ、と思うより先に、違和感の正体に気づいてしまった。
それはさっきまで明らかに存在していなかった、水平線上から続く何条もの線。
その一つを辿っていくと、自分たちの足元の海上にも広がっていることを確認できる。どうやら線は線からできているのではなく、黒い点がいくつも連なってできているようだ。
黒い点。
目につくと今度はその黒い点ばかりが目に入る。広大な海を縦横無尽に走る点はどこまでも続き、追いかけていくと水平線まで続いている。碁盤の目状に形成された、点の集合体。
いくつも、いくつも、いくつも、いくつも。それは途切れることなどなく。
気が付けば、海のすべてを黒い点が覆っていた。
まさか、という呟きは声にもならない。
だって見たくもないのに見てしまった。確認したくなかったのに、危機本能がそれを求めてしまった。
黒い点の一つを凝視して、知ってしまった。
人も自然も成しえない、本来この地球上に存在してはいけない何かが残した怪奇。
見てはいけない世界のバグを見てしまったかのような気持ち悪さ。
その一つ一つが、すべて同じ形をしたファントムであることに。