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四話 牡丹江の俘虜収容所医務室にて

 ヤーコフ医師は、牡丹江の俘虜収容所に派遣された。日本人を収容しており、シベリアの収容所までの中継地点である。日本人はここからシベリア各地に送られる。
 その医務室には今日も病に侵された元日本軍人がやってくる。
「次の方、お入りください」ヤーコフが促すと、日本人が一人、静かに入ってきた。ソ連に捕まった時のよれた第一種軍装のままの20代か30代の一等兵だった。名を訊くと芝野倉治と言った。
「お座りください。……どういたしましたか」
「咳が酷いのです。痰が絡んで息苦しいのです」
「どのくらい前から」
「3日、4日程度です」
「それは気の毒に……結核やもしれません。今日から病棟に入りましょう。念のためです。検査ができんもんですからね……」
 そう言ってヤーコフは入棟の為の申請書を書き始めた。途中、日本人に話し掛けた。
「前回来た中隊の人ですか」
「ええ」
「私も最近派遣されました。本当は妻も子供もおるんで、ロシアに残りたかったんですがね。芝野さん、ご家族は」
「母と妹、身体の弱い弟と……婚約者が内地に」
「それはお辛いでしょう」
「せめて籍を入れてくれば良かったと。働かされては可哀想ですから」
「そうですね、あなたが一刻も早く祖国に帰れることを願っています」
 ヤーコフが穏やかに微笑むと、日本人は彼に哀れむような眼を向けた。
「あなたは優しいですね……でも、それじゃいかんですよ。私は俘虜です。そしてあなたは我々を収容する側です。偉そうに冷淡にせにゃならんのですよ。俘虜になめられちゃ悲惨です」
 そこまで言うとヒューヒュー空気が抜けていくような酷い咳をして、ヤーコフは急いで背中をさすってやった。
「無理せんでください。お体に障りますよ。……確かに私たちは芝野さんたちを収容する立場にあります。でもね、ここではそれは関係ないのです。ここでは私は医者で、あなたは患者です。今異国の地で絶望に震える者たちには、優しさが必要なのですよ。あなたたちが無事に帰るのに必要なのです。未来にはあなたたちがいなくてはいけないからです。だから、あなたたちが帰るために、私はなめられても仕方ないのです」
「自己犠牲は無駄です」
「違いますよ、これは自己犠牲なんかじゃないんですよ」


                          終

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輝ける新しい時代の君へ Ⅷ

 次の日も少年は男のもとに行った。
 男は少年が自分の横に座ると、いつものように切り出した。
「昨日は何をしたんだい」
「きのうはな、おはかまいりに行った」
「へえ、誰のだい」
「お父さんのお父さんのおはか。きのうはじいちゃんの命日だったらしい」
 少年が何ともないように言ったが、男の顔から笑顔が消え、代わりにいささか目を見開いた。
「おまいりに行ったとき、おばさんが僕のじいちゃんはここにはいないんだと言っていた。せんそうで、とおいところでしんだらしい」
 少年は父方の祖父に会ったことがなかった。祖父の息子たる父親でさえ思い出がない。というのは、少年の祖父は約四十年前の満州で戦死したのだ。父親が五歳の頃だ。だから祖父の話はあまり聞いたことがなかった。祖母は健在であるが、早々会わないので彼女からも話を聞いたことはない。
 そういったことがあり、感傷などは少しもなかった。それに何より、まだ『戦争で死ぬ』ということの意味があまり分かっていなかった。
「なあ、せんそうって何なんだ?こわくないのか?ほかの国のこと、どうしてきらいだったんだ?」
 突然の質問攻めに男は困惑した。今になって、どうしてあんな無礼な質問をしてしまったのかと後悔することが多々ある。しかしこの時の少年にとって戦争は、単なる好奇心や興味が向けられる対象以外の何物でもなかった。
 それは男も分かっていたと思う。少年のことを能天気だと思ったかもしれない。妬ましいと思ったかもしれない。羨ましく思ったかもしれない。怒りを覚えたかもしれない。それを抑えて無難に答えるつもりだったのだと思うが、感情が溢れ出していた。
 天を仰いだ目は、出会った日よりも強く哀愁が感じられ、それは少年にも分かるほどだった。長い溜息を吐いて足に肘をつき、手指を組み力なく項垂れた。
「アー……本当に何なんだろうね。俺が訊きたいよ。怖かったなあ……本当は心の中では死にたくないって思ってた。実はね、みんな、アメリカやソ連のこと嫌ってばかりじゃあなかったんだよ。なのにみんな嘘吐いてた。自分や家族を守るためにね……嫌な世の中だった」
 おどけて言っているが、声は震えていた。顔は見えない。
「良くないね、大人なのに弱音吐いて。変な話してごめんね。坊や、まだ子供なのに」

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輝ける新しい時代の君へ Ⅶ

「おもちはおいしかった。だけどはっぱはおいしくなかった。やさいはすきだけど、あれはへんだ」
 表情も声色もあまり変わらなかったが、いかにも美味しくなかったという雰囲気を醸し出していた。その様子に男は吹き出し、声を殺すようにクックックと笑った。
「なんだ、きゅうにどうした」
 少年が訝しげに問うと、男は右手を口元に、左手を顔の前方で違うという風にゆっくり振って「いやァ、ごめんごめん」と軽く謝罪した。
「だって君、桜餅の葉っぱは食べるけれど、柏餅の葉っぱは食べられたもんじゃないよ。あれは食べないからね」
「そうだったか」
 少年はほんの少し赤面した。顔が紅潮していることに気が付くと更に気恥ずかしくなってきて、「そんなことより」と話を変えた。その様子も滑稽で、ずっとニコニコと男の口角は上がったままだった。
「おじさんは、きのう何したんだ?」
「俺?俺かァ……俺はおっさんだから、面白いことは何もしないよ」
「しごととかは?」
「し、仕事?」
「うん」
 男は戸惑った様子で後頭部を掻いた。しばらく目を泳がせた後、「俺の仕事は、秘密の仕事なんだ。言うと大変なことになるんだよ」とおどけた。
「たいへん……?なんだそれ」
「い、いやァ……ははは……ああっ!もう時間じゃないか、伯母さん、待ってるよ」
「あ、うん」
 男は後ろめたいことでもあるように焦って言った。少年は釈然としていない様子だったが、勢いに押されて「じゃあ」と別れの挨拶をした。

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Trans Far-East Travelogue㊶

午後5時,多摩川の駅に着いて女性陣と合流した
その後は兄貴が提案したように河原に行くと兄貴の言う通り,ちょうど沈みゆく太陽が輝いている
それを見て思わず「昔っから代々木のドコモタワーとかその他新宿の高層ビル群をバックに沈む夕陽を毎日のように観て来たけど,コイツは凄え。今までとは格が違う」と呟くと嫁が「そろそろ2人きりにしてあげない?」と訊いてくるので「そうだな。新幹線の写真でも撮るか」と返して歩き橋を潜り始めてすぐに頭上から轟音が響き,早く鳴り止んだ
橋の下を抜けて見上げると新幹線が新横浜方面に抜けているのを見て嫁が「あの新幹線,幕が黄色なのは見えたけど、行先表示は2文字でもよく見えないね」と言うので時刻から逆算してその列車が「のぞみ51号博多行き」だと気付き咄嗟にその新幹線に向けて「昔の俺みたいに関門海峡越えて離れた場所にいる人に恋した若者の夢を乗せてくれ!俺の希望は叶ったから次は他の人の望み叶えてくれ」と叫ぶと嫁が「あの列車,博多行きなのね」と言うので「君に会えなくて辛かったあの頃のように応援歌替え歌するか」と返して「想〜い届け!海越え君想う〜(実れ!)関門〜越えて想いは博多の君へ〜続く行け〜Mein liebe!あの娘に届いた〜♪」と歌うと嫁は「海越え〜貴方の為にやって来た〜♪」と外国人選手汎用応援歌の替え歌を歌っているので俺が「We are」とコールし2人で「married」と叫び,次に嫁が「I love」とコールしお互いの名前を呼び合い、そっと唇が触れ合った後に笑い出す
もう一組のカップルがそんな俺達を土手の上から見守っていた

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エンドロールを告げる言葉 1

「....はぁ」
私の身長より何倍も大きな門を、今まで何回くぐったのだろう。
あの日、重かった足は、今でも重いままだ。
....こうやって足掻いても、どうにもならないんだ。
私はそう覚悟して、ゆっくりと下駄箱へ歩き出した。


風で飛ばされた桜の花びらが、自慢のストレートヘアー
にかかる。
……邪魔だな、桜なんて。
桜なんて、私の首を絞める紐だ。
それをはらって、私は靴を履き替えた。

階段を上って、廊下を歩く。
そこには、いつも通りの景色が広がっていた。
通り過ぎる教室の扉から、たまに生徒が出てくる。
生徒たちは私をまじまじと見つめて、小さく黄色い歓声をあげた。
……はぁ。面倒くさい。
いつも通り教室に入って、いつも通り黙って席に着く。
私の席は、一年中サボり席。
3年生になってから、一度も変わらなかった。
教室の景色は、いつも通り虹色。
涙ぐむ人、「もう最後だし!」と馬鹿みたいに笑い合う人、卒アルを交換して、熱心に寄せ書きを書く人。
私は、その中の何色にも染まらない、通称「一匹狼」。
つまらなくなって、私は窓の外に目をやった。


目の前には、この学校一大きな、桜の木がある。
枝には沢山の花が咲いていて、もうじきにすずめがやってきそうだ。
……この木を見ていると、貴方を思い出すよ。
ふと、一人の笑顔が、脳裏をよぎった。
爽やかな笑顔。綺麗な二重。天使の輪ができた髪。
貴方は、いつも真っ先に私に話しかけてくれたよね。
女子の黄色い悲鳴を、堂々と無視して、いつも。
だから、あの日、この席で「好きだよ」と私に告げてけれたことが、何よりも嬉しかったこと。貴方は知らないでしょう?
ぽたり、ぽたりと零れていく、大粒の雫(なみだ)。
どんどんと落ちては、窓際に置いてあった、透明のキューブに染み込んでゆく。
中では、貴方がくれた桜の花びらが、いつまでも輝いている。
私はキューブを手に取って、胸の前で握りしめた。
……貴方の声が、聞こえる。

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Trans Far-East Travelogue㊵

俺達を乗せたエアポート急行は定刻通りの16:25 横浜に着いた
そして,長い行列に合わせて行進する要領で階段を下りて改札を通り,もう一度長い階段で地下へと下りると目の前に東急線の改札口が見える
更に地下深くの東横線ホームに下りると16時32分発の通勤急行・和光市行きの電車が入線して来た
天下の大ターミナルであり世界有数の乗降客数を誇る駅,横浜では乗客は勿論降りるお客さんも多く,まだ帰宅ラッシュが始まっていないのに早くも混雑の影響で遅延が発生している
そんな中、嫁に「これから東急線に乗る。電車は通勤急行だから集合場所は多摩川でも田園調布でも自由が丘でも構わない」という1通のメッセージを送ると返事が来た
「多摩川駅集合でお願い。4人で話し合いたいから,河川敷が良いかも」とのことだ
その旨を兄貴にも伝えると「丸子橋の近くの河原が丁度いいな。夕陽が綺麗な筈だ」と返って来たので「了解。多摩川駅には5時頃着くよ」と返信してスマホを閉じると知らぬ間に電車は地下区間を抜けて白楽の駅を通過している
そして,その勢いのままに妙蓮寺の駅も通過して定刻通りに菊名のホームに滑り込んだ
菊名に着いておよそ5分後,大倉山を通過して綱島,日吉の順に止まり,元住吉を通過して早くも武蔵小杉の駅に到着した
次の新丸子を通過すると,待ち合わせ場所の多摩川駅はもうすぐだ

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はるかぜと共に現れた旅人と過ごすのんびり生活 EP.2

あれからどれぐらい経っただろう。気がついた時にはすっかり暗くなっていた。
「ぽ、ぽよ…」(???)
アイツの声も聞こえる。どうやら2人とも気を失っていたようだ。
大丈夫かと声をかけようとしたが、その口から出てきた言葉は…
「ぽよぽよ!?」(僕)
アイツの声だった。
「ぽよ?ぽよぽよ!」(???)
しかも、アイツが話している方を見ると…なぜか僕の姿があった。
あー…これはこれで大変なことになったと直感が言っている。つまり、さっきの衝撃で体が入れ替わってしまっているのだ。
「ぽよ…ぽよぽよ?」(???)
ただ、同じ言語だからか、会話は成立している。そこで互いを知るためにしばらく話し合った。
初めに自分から話した。自分の名前、なぜここにいたのか、流れ星のようなものを見ていたらぶつかったことなど…
僕が色々話し終わると、今度はアイツから話してくれた。その結果、それなりに情報が得られた。
名前は「カービィ」。もちろん外観もおなじみのピンク玉だった。
なぜここにいるかというと、カービィ自体分かっていないらしい。プププランドをワープスターで散歩中の時に、いきなり次元の裂け目が出てきて、ここに飛ばされたのだという。
得られた情報はこれくらいだ。まあまあめんどくさくなりそうだな…
今ここで色々していても話が進まなくなりそうな気がしてきた。
「ぽよぽよ、ぽよぽよぽよ?」(僕)
「ぽよ、ぽよぽよ!」(カービィ)
家に帰ることを提案した所、すんなり受け入れてくれた。
こうして僕は、なぜか抱えられながら家に帰った。

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輝ける新しい時代の君へ Ⅵ

「坊やね、お父さんお母さんに言ってみるといいよ。皆、君のことを愛しているからね、言ったら行事とか調べて、やってくれるからね。君の家族は皆良い人達だ。ただ、子供にどうしてあげたらいいか分からないだけなんだ」
「なんでわかる」
「そりゃ分かるさ。っ……えっと、君の家族なんだよ。良い人達に違いない。マアでも、それでも忙しそうだったら、俺と一緒に色々やってみよう」
「でも、おじさんしらない人だ」
「エ?」
 男は一瞬止まってきょとんとしたが、すぐに思い出したように「アア、そうだったね、ウン、昨日会ったばかりだった。ホラ、君俺とこんなちゃんと話してくれるからね、話している間に会ったばかりだって事をスッカリ忘れていたんだ」と繕うように言った。
「ぼくも、しらないかんじしない。ずっとしっていたみたいで、へんなかんじだ」
「ウンウン、そうだろうとも。ところで、昨日は他に何をしたのかな」
「あのな———」
 この後も時間まで他愛もない会話を交わし、少年は伯母の家に向かった。


「昨日は端午の節句だったけれど、何かしてもらえたかな」
「うん。お父さんがおもちをかってきてくれた。お母さんは小さいこいのぼりをくれた。赤いやつだ」
 そう言って少年は両手を胸の前で自分の狭い肩幅くらいに開いて、大きさを表した。
 男に出会って早一ヵ月。少年は毎日この公園のベンチに来ている。男は、ここ二週間は少年より先に来て彼を待っていた。 
 少年は元々、数少ない両親の休日はこの公園に来ることはないが、男に会うためにこの一ヵ月で合わせて三日、散歩と称して公園に来た。毎日必ず三十分だ。あまり遅くなると両親が心配すると分かっていた。実際うっかりぼうっとしながら歩いて道に迷い、帰るのが二十分ほど遅れたことがあったが、心底心配されて、涙目の母親に叱られたことは少年が大人になった今では良い思い出だ。