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「君がいた夏は遠い夢のなか」

 今日はお祭りらしいよ。
 そんな言葉が、ふっと耳を抜けていった。
 ひぐらしの声と一緒に、熱を帯びた空気がお囃子の音を運んでくる。笛が提灯まで誘っているようで、ひどく酔いがまわったような気になった。
 ひとりでいるはずなのに、なんとなく“みんな”を感じて、ふわふわと熱に浮かされている今日は、どうにもうだるように暑い。私は主役なんて柄ではないが、世界が私を祝福しているようにさえ、今日という日は感じさせる。それが、祭りというものなのだろう。
 主役は、誰かに見られているものである。
 だから、夜の片隅にいるその見物人に私が気付いたのは、彼もまたどこかで主人公だからなのだろうと、漠然と思った。
 夏は日が長いとはいえ、夏至を過ぎているのだから、夏の夜はおそらく思っているよりも長い。祭りには適しているかもしれない夏は、やはり都合がよいものである。
 見物人は、喧騒の輪からはだいぶん外れていた。提灯の灯りが届くには厳しい範囲に位置取りしている。全人類祭りが好きである、なんて暴論を唱える気はさらさらないが、興味がないにしては距離が近く、興味があるにしては距離をとっているものだから、私には理解できないながらも不器用な人なのだろうと、遠くから思う。ただ一点、遠かったのは、私の方かもしれなかった。
 私は見物人に、

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「私は私が嫌いだよ」
「君が嫌いな君のことも、僕は好きだよ」

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『抗議 畢竟猫には敵わない』下

「おれのこと、どう思ってる?家族?友人?従者?……従者かもな」
 わからない言葉を次々と紡いでいくのは“ふぇあ”じゃないぞ。
 ただ、撫で方の質の良さは褒めて遣わす……。
「何かを期待しているわけでも、見返りを求めているわけでもない。ただ、そばにいたいだけなんだけどな……それが友人って形でも、恋人って形でも、家族って形でも、大切で特別な思いに変わりはない。これに名前は必要?」
 ……にゃー。
「しいて言うなら、ただただ“愛”なんだけどなあ……やっぱりしゃべるのが下手みたいだ。これで変に変わるくらいなら、言葉なんて消えちまえばいいのに」
 意思疎通が図れない方がいいというのだろうか。褒めて遣わすというのに、人間は変である。
「あ、ごろごろいうのやめたな。考えの相違でもあった?」
 笑っているが、あながち間違いではない。変わらないことを望むのは、幾分か贅沢なことである。しかし、少なからずおぬしは他より少し特別な人間である。願わくば、と思わないこともない。
「あ、またごろごろしてる……」
 畢竟なるようにしかならんのだ。おぬしが“じゅうしゃ”が望みとあればそう思うことにしよう。しかし、今までと変わりはないぞ。なぜなら、お互いの言葉が通じないんだからな。
 ただ、人間と人間は言葉を交わすことができるのである。変化があるのであれば、それを楽しむこともまた一つじゃないかと思うが。……我に褒めてもらいたくはないのか、人間。

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『抗議 畢竟猫には敵わない』上

 不本意に頭を悩ませているそこの人間は、どうやら言葉が上手くないことを自認しているらしい。よく4本足の高台に向かって何やら作業しているのを見るが、本日はその作業のお供であるペラペラの爪とぎと、追いかけ回したくなる細い棒はない。どうやら、“しごと”に向かっているわけではないようだ。
 先に4本足の高台といったが、別に届かない高さなんかじゃない。距離を測り、少しぐっと踏み込むだけで、ほら。着地はお手の物である。
 それにしてもこの人間、いつもならこうするだけで目を丸くし、顔をほころばせるというのに、本日はどうしたものか。“すまほ”に向かってうなっている姿は、さながらけがをした子どものよう。……けがをしているのか?
 この人間には、ごはんを用意させている。住処を整えさせている。日々、撫でさせてやっている。……けがをしているとなると、問題である。自分の生活に影響が生まれるからである、あくまで。
 顔をすりつけると、この人間は喜ぶ。それを知っている。たまには喜ばせてやるのも悪くはない。
「わ。どうした、今日は甘えたさんだな」
 喜ばせてやっているだけぞ、勘違いするでない。
 それにしても、一瞬の曇った顔をみたぞ。何がどうしてそんな表情にさせるのだ。やはり、けがなのか。
「にゃー」
 本日は“さーびす”である。人間は“さーびす”が好きだ。
「おしゃべりなんて珍しいな。構ってほしいのかー?」
 笑ってはいるが、なんだかさみしそうだぞ、人間。もしかして、けがをしているのはもっと他の部分なのか。
 それにしても、撫でる技術が上達している……ううむ、意思疎通が図れたのならば、褒めて遣わすというのに。
「お互いの言葉が通じなければ、信頼関係だけで成り立っていたかな」
 ……何を言っているのだ?

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『祝福は似合わない』#3 Fin.

小さく笑って、私は絆創膏を持ってきた。
「諒さん、指出して」
 へそを曲げた子どものような面倒くささを持っている彼は、なかなか指を出さない。そんなに切れているわけではないと思うけれど、今の彼に必要なのは、休憩である。
「諒さん」
 語気を少し強めると、子どものような彼も子どもではないから引きを知っている。多少ぶすくれた顔ではあるが、おとなしく指を差し出す姿には笑みをこぼさずにいられない。
「この書類が悪いんだ。僕は悪くない」
「はいはい、誰も諒さんが悪いなんて思っていません」
 今だけは、仕事のことなんて忘れてしまえばいいのに。
 本当に、損をする人だと思う。これは、嫌味だ。
 なんて、吐き出しようのない燻りを、小さいながらも確実に育てながら絆創膏を巻く。彼が怪我をしたのは向かって右人差し指、つまりは彼の左手人差し指だった。
「なんだか指輪みたい」
 ちょっとだけ笑って吐いたこのセリフは、私なりの意地悪のつもりだった。一会社を背負う社長にあるまじきアクセサリーね、と。
 それが伝わっていないはずはないのだけれど、一瞬の間をおいて、彼はさらに不機嫌そうに睨み、口を開いた。
「言っておくけど、それはキミの役割じゃないからね」
 なんでもない休日昼下がり、そう言って書類整理に戻ってしまった彼に、私とコーヒーは置いてけぼりをくらった。

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『祝福は似合わない』#2

 あーでもないこーでもない、なんでみんな僕の邪魔ばかりするんだ、なんていう言葉をまた生産しては手を動かす。器用な人である。先程憎まれ口は叩かれたものの、これは別に嫌われているそれではないのだとわかる。本当に切羽詰まっているのだろう。私には手伝ってあげることはできないから、コーヒーだけでも入れてあげようとソファから腰を上げた。
 ついでに私の分も入れようと、マグカップを二つ並べる。一方は月の模様があり、もう一方はマグロを模した魚がプリントされてある。以前使っていたマグカップを割ってしまった時、キミのはこっち、そう言って彼が出してくれたものであるが、やはり感性については疑問を感じずにいられない。そうは言っても、お気に入りにしてしまっている時点で私の負けである。コーヒーメーカーに、水と挽いたコーヒー豆をセットし、スイッチを入れる。するとタイミングが良いのか悪いのか、彼のただならぬ声音が聞こえてきた。だから私は、マグカップもそのままに、慌てて様子を見に行ったのだ。その後に思わずため息をついてしまったことがバレなくてよかったと、今だから思う。
僕の邪魔をしてそんなに楽しい?僕の血はおいしかった?そう彼が話しかけるのは紙。どうやら手を切ってしまったらしい。思っていた以上に疲れているのかもしれない。色んな意味で。
 小さく笑って、私は絆創膏を持ってきた。

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『祝福は似合わない』#1

 今日も今日とて仏頂面の彼は、ぶつぶつと文句を口から量産しては、その割にはやいスピードで仕事の書類であろう紙の束たちを整理していく。そういうところを見ると、やはり仕事ができる人なのだと思う。
 こんな天気の良い休日の昼下がりに、クーラーのきいた部屋でただただ仕事をこなしていくほかに過ごし方はないのだろうかと甚だ疑問ではあるが、口にはしない。そうして幾度となく嫌な目を見てきたからである。人間とは、学ぶ生き物だ。だから、私もただそんな彼をソファに座って眺めるだけなのだが、この時間は嫌いではない。眉間に皺を寄せているときのこの人の顔は、ゲームが欲しいのにクリスマスプレゼントが図鑑だったときの子どものような顔をしている。いつもは意地の悪い楽しそうな顔をしているものだから、日ごろやりこめられている分、やり返してやったようなそんな気持ちになる。
 こうして眺める時間は、最近また増えたように感じる。テリトリーに入ることを許されたとでも言おうか。人は、ずっと見つめられると居心地の悪いものだと思う。彼は特にそういうのを嫌っていると、感覚的に思っていた。そもそも彼は、興味を抱く対象が特殊である。心を許した相手とそうでない相手との差は歴然としており、対応もまた顕著だった。本来私は、興味を持たれない側の人間のはずなのだけれど。
 そんなことを考えながら視線を外さずにいたら、ばちっと音が鳴る勢いで目が合う。気象予報士でなくともわかる爆弾低気圧だった。
「なんでキミはそんなに僕の邪魔をしたいの。そこのおもちゃを使っておままごとでもしてなよ」
 訂正。何をどうしても機嫌の悪い彼は機嫌が悪い。そこのおもちゃというのが比喩ではなく本物のおままごと用のおもちゃなのがこの人の人柄をさらにわからなくするアイテムなのだが、まあ今に始まったことではない。

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『偽善とは』

 僕が育ったのは、自然が綺麗なところだった。近くには川があり、晴れた日には光が反射して、川辺に咲く花や木々はそれを見て眩しそうに、そして嬉しそうに風に撫でられていた。近くに寄ると透き通って見えたその川には、たまに魚やカニなんかが顔をのぞかせていて、僕を天敵と見なすとすばやく陰に隠れ、そして見えなくなる。かくれんぼはいつも彼らの方が上手だった。鳥が歌う声もよく聴くから、綺麗であるここは彼らにとって危なくもあるのかもしれない。そんな穏やかでいて危ういこの場所が僕は好きだったし、みんなここにいれば幸せだと思っていた。今、このビルの立ち並んだ光景に窮屈さを感じざるを得なかったし、僕の中の何かが枯渇していたから。
 いわゆる都会という町に出てきて、僕はまるで砂漠に打ち捨てられた草食動物のように、緑を求めた。しかし、求めた先に現れたのは光を弾いて輝く川なんていう宝石箱ではなく、何色とも形容し難い大量の水の塊だった。これを人々は海と呼ぶのだろうか。
 覗いても、濁った色しか見えない。工場も近くにあるし、良くないものがたくさん流されているのだろうと悟った。小さくため息をつき、元来た道へ足を返す。そこで、小さく躓いた。僕を躓かせたその石の陰からは、カニが姿を現した。人的排水によって、ここまで住処を汚されているなんて。僕が1番最初に抱いたのは、かわいそうだとういう感情である。このカニは、綺麗な水を知らない。自分に害のある物質が住処を侵しているかもしれないのに。それも、人間という極めて恣意的な原因に。
 その時、このカニだけでも綺麗な場所で生きてほしいと思った。もう少し進んだ場所に、川が海に合流する、比較的綺麗な場所がある。そこに、逃がしてあげよう。
 そう思ってからは速かった。着くと、やはり先の海よりは断然綺麗でいて、僕はほっとしたのだ。やっと綺麗な場所で生きていけるね。そう声をかけてカニを放した。
 僕が害を加えようとしていたと思っていたのだろうそのカニは、放されると一目散に僕から離れた。長生きしろよ、と海へ入ったのを見届けて、身を翻した。多少だけど、海が綺麗だったから最後まで姿が見えたな。可愛かった。

 そう微笑む僕の頭上から、腹を空かせていたであろう鳥が、海めがけて降り立ったことを、僕は、知るべきだった。

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