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羅刹と夜叉

『私はあなたを殺しに来たの。』

秀麗な顏を歪めながらも低く落ち着いた声で彼女は言う。晩秋の冷たいアスファルトにはその言葉尻が抜け殻のように転がった。僕は彼女の口から発せられた言葉に大きな言雷を受けた。言いたいことはたくさんあるのに出てこない焦燥感にため息をつく。

「誰なんだ……?お前は……。」
怖かった。彼女はなんだと答えるのだろうか。しかしここにいるのはきっと、彼女じゃない。彼女の皮を被った化け物だ。そう思いたかった。
ふたりの間に木枯らしが吹く。それは僕と彼女を引き裂いていくようだった。しかし目を開けても、彼女はそこにいた。
『私は、羅刹にも成りきれない羅切。』
「羅切……?」
『そう、あなたを殺しに来たの。』
彼女の長い髪が風に煽られて宙に踊る。

どうして僕が殺されるのか。誰が一体そんなことを仕組んだのか。全く意味が分からない。
僕の心を読んだように彼女が言った。
『私は知らない。こんなことをするのは夜叉だから……。』
夜叉……?羅刹……?彼女は一体何を言っているんだ。夜叉……羅刹……

『人を惑わし、また食うという悪魔。』
それは彼女の声に誰かの声が重なったものだった。直接脳内に語りかけてくるようで、とてもおぞましい。眩暈がした。

「来い!!早く逃げるぞ!!」
……え?今のは、僕の声……?
そう思ったときにはもう、彼女の手首を掴んで走っていた。思考は全くもって追い付いていない。
大体、逃げる……?早く……?どこへ……?
馬鹿だ。意味もなく、宛もなく逃げるなんて。
しかし彼女の手首は温かかった。

「はぁ、はぁ……」
気付いたときにはだいぶ遠くまで来ていた。車でもたまに行くか行かないかという郊外だ。

悪夢はいつでも突然に訪れるものだ。

彼女が無事か振り返ろうとしたそのときだった。
『逃がさ……ないよ……?』

嗚呼、もう終わりだ。
逃げられない。
一瞬にして悟った。
馬鹿だった。

それは聞き慣れた彼女の声と、僕の声が重なったものだったのだから……。

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思い出した、僕は死んだんだった。

僕はふと目を覚ました。
別に寝すぎたという感覚は無いし、目覚まし時計が鳴ったというわけでもない。
ただ、本当に自然に目が覚めた。
あまりにも自然すぎて、朝が弱い僕は不信感さえ感じてしまった。
スマートフォンのボタンを押すと、まず目に入ってきたのは破顔した彼女。
僕はそれを見た瞬間、布団を投げ捨て、タンスから服を引っ張り出す。ああ、これじゃない。こっちの組み合わせの方が良いだろうか。

やっと着替え、髪をとかして、ご飯も食べずに家を飛び出した。
ご飯なんて食べている場合じゃ無いだろう?
愛用の自転車に飛び乗り、全速力でペダルを踏む。ああ、信号待ちなんてもどかしい。
やっと彼女の家の前に着いたとき、僕は息も切れ切れだった。息を一気に吸おうとしてむせる。
心臓の音が身体中に響き渡っているみたいだ。

呼吸が落ち着いてきた僕は、彼女の家の前に立つ。そうだ、彼女に連絡をしていなかった。仕方ない。今は家の中にいるだろうか。
2階の彼女の部屋を見上げると、電気がついていない。もしかして、今はいないのか。

インターホンを押す。数秒の静寂────
あれ、しっかり押したはずなのに。
今度は力を込めてしっかり押す。
また、インターホンは鳴らない。
インターホンが壊れているのか?

ふと、もう一度彼女の部屋を見上げる。


───思い出した、僕は死んだんだった。