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転生するのも案外良くないものだ p.5

 ただし不満がない訳ではない。

 例えば宗教学的に見れば、宗教は古代的なアニミズムがあるようだが、立派な神殿や聖典、確固たる教義は存在しない。

 御天道様にお祈りを捧げる、埋葬する、といった文化はある。しかしキリスト教をはじめとする前世に存在した宗教、また街の方の宗教のような、支配と結びついた宗教ではない。一神教と支配について好んで学んだ身としては非常に残念である。

 人文科学の点から見ても、我々の使用言語にはそもそも文字がない訳だから歴史研究や文学の発展もないに等しい。勿論口伝の神話や寓話は存在するが、それ以上の『文学』は私が見たところ存在しないようである。私は前世、本、殊に文学や古代史書、天文学書をよく好んで読んだのでその点落胆した。

 また、コマ=リャケットには文字がないと述べたが、文字を覚えられる者が殆どいないのである。
 
 集落の中で公用語を話せる者は一割程度、その上記述が可能な者は一人といった具合である。それにはやはり鱗と鋭い爪で武装した使い勝手の悪い指という身体的な特徴の原因もあるが、主な理由としては知能の低さにあるであろう。

 元は人間である私も今では立派にコマ=リャケットである。知能の低下に抗う術は持っていなかった。

 まず思考力が低下していることが分かった。計算は随分遅くなった。小学生の頃と比べてもあまりにも遅い。
 それに、高校や大学で当然に説明のできた理論が理解できなくなった。知能の低下に気が付いたときに一つ一つ確認したところ、虚数が理解できなくなっていたのだから驚きだ。

 補足しておくと、コマ=リャケットの脳機能は十年程度で成熟する。私が他の者よりも極端に知能が低い訳でもないようだ。

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転生するのも案外良くないものだ p.4

 一体街はどれほど文明が進んでいるのかと思い行商の者に話を聞くと、あちらでは動力のない巨大な馬車が轟音を上げながら走っていると言う。恐らくは蒸気機関車であろう。電気が通っているかどうかは測りかねる。今の私にとっては灯油ランプと電気の違いを彼らに説明することは困難なことだ。

 彼らの話を総合すると、どうやら街は、あるいは人類は産業革命時程度の文明を持っているようだ。

 街の亜人らは魔力を持ち魔術を操るので産業革命時程度だが、それらを持たぬ人間はより発展した科学技術を有している可能性が高い。コマ=リャケットの文明は未だ中世の農村共同体程度で止まっている訳だから、人類、殊に人間と比べれば雲泥万里というものである。

 しかし、文明未発達といえども、周囲の生活に合わせていれば大した苦労はない。

 コンクリート・ジャングルで時間に追われた生活をするのも、充実感に満たされていて嫌いではなかった。ただ、今の自然の中の共同体的な生活も悪くない。時間が悠然と流れて行き、それに身を任せる。
 人の形をしているとはいえども分類上は爬虫類。子供は過酷な生存競争の中で生き延びねばならぬものと覚悟していたがそれも杞憂に終わり、成人するまで親の扶養を受け、誠実に秩序を遵守していれば成人したのちも集落の中で暮らすことができる。類稀な平和を享受しているように思う。

 現在の私は幸福感で満ち満ちている。

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転生するのも案外良くないものだ p.3

 さて、この身体は元人間の私には申し分ない身体である。文明未熟の点、始めは不安を抱かざるを得なかったが、コマ=リャケットとして生を受けて九年、慣れてしまえば問題はない。

 コマ=リャケットは三十人から五十人規模の小共同体を形成して殆ど自給自足で生活する。

 我々は一般に魔物に分類されており、人類からは文明とかけ離れた存在として扱われているが、魔物にも文化や文明といったものは存在する。魔物としては人類文化からは学ぶことが多く、少しでも彼らの文明世界に追いつこうという心意気を持っておおよその人類とは親しくしている。

 しかし人間はというとかなり鎖国的で、他種族との交流を持とうとしない。他の人類、例えばエルフや獣人、亜人すらも野蛮として扱っているらしく、人間の国にはとても近付けないという。

 思えば前世における人間もそうして発展していった。
 どの世界でも人間は愚かだ。

 いや、魔物や獣人のような身体的な強さもエルフや亜人のような寿命も魔力も持たぬ人間が種を守り抜くためには致し方がないことなのだろうか、私が知らないだけで魔物や人類の国でも差別や戦争が蔓延っているのだろうか……。

 兎も角も、私の浅い知見で判断できるものではない。

 話が逸れてしまったが、そういう訳で、人間が国家を建設するように、魔物や人間以外の人類にも立派に国家があり、都市や市場がある。そういうところでは公用語や文字が存在するが、コマ=リャケットに関しては国家とは乖離した農村共同体的な集落を形成している。

 年に二回、秋春に集落の行商男達が中央山脈とその向こうに横たわる大河とを超えて、人類の街に家畜や鉱石を売りに行き不足物、衣料品や物珍しい嗜好品を荷馬車一杯に買って帰ってくる。彼らがチョコレートやビスケットを買ってきたときは感嘆した。

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転生するのも案外良くないものだ p.2

 まず、繰り返しになるが苦痛がなかった。全くの無とは勿論言えないが、直前のあの一瞬だけの痛みであるから、比較的宜しい。

 次に転生を果たした。死後の恐ろしい無はなく、早死にの未練で現世にしがみつく怨みや何かはなく、両親より先に死んだ罪障もない。これは非常に宜しい。

 また、今まで歩んできた人生のことを思っても文句はない。勤勉な父上の馳駆によって食うに困ったことはない。几帳面な母上によって家庭環境は整備され、私は幼少の頃より剴切な情操教育を享受していた。良師、良友にも恵まれ、国立大学進学も叶った。
 就職も順調に行き、地方企業でプライベートを保障された独身貴族生活を送り、上司にも恵まれた。

 私の周囲は人格者ばかりで、しかし私自身は大した劣等感もなく、万事上首尾であった。その中で死んだのだから、これは非常に宜しい往生である。これ以上の高望みは足るを知らなすぎるというものだ。

 さて、転生したのちの話をしよう。

 私は人間には転生しなかった。
 人文学的には人類として分類されると言うが、生物学的には爬虫類として分類される。赤褐色の硬い鱗で身を包む、二足歩行の巨大蜥蜴。それが私の転生した高知能爬虫類コマ=リャケットである。恥ずかしながら異世界に知見がないため、現世でこれに当たるモンスターやクリーチャーを知らないのだが、読者諸君が想起しているもので正しいと思う。

 語意的な話をすると、コマ=リャケットの言葉で、コマが『人』、リャが『蜥蜴』、エットが『大きな』の意を示す。
 この言語では被修飾語となる名詞の直後に修飾語を追加していくが、『リャェット』は大きな蜥蜴という単語として存在しているため前記のように分けている。

 前世で言うところの『c』の発音が『〜のような』を示すらしく、それでは種族の自認として『蜥蜴ではなく人間だ』というのがあるのかと始めは思っていた。しかしよく聞いてみるとコマの後にも『c』が付いていたので、どちらでもないというのが自認として正確なところであろう。
 多分我々は蜥蜴も人間も大した違いのないように感じているのだとも思う。

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転生するのも案外良くないものだ p.1

 読者諸君には突然で申し訳ないが、私は死んだ。

 私にとっても突然のことだった。
 駅のホームで、酩酊する青年にぶつかって、入ってきた通過電車に轢かれて死んだ。大した痛みはなかった。それは本当に良かった。自分は死というのは一体どのような心地であろうかと無意なことを人生の中で時折考えたものだが、そのときはいつも、できるだけ苦痛なく、かつて読んだ小説の主人公が思い描くような当にそのような死に方をしたいと思っていた。現実に死に際し、苦痛を伴わずに死ねたことには、神や仏や、もしくはそれ以外の死を司る者らに深い感謝の念を抱かずにはいられない。

 とは言えども、その後が問題である。
 人は死んだ後どうなるのか。様々な説が飛び交っているが、持論を言わせてもらうと、それらの説の殆ど全てが正しいと考えている。結局はどれに当たるか、という問題なのではなかろうか。それが偶然にしろ必然にしろ。

 では私はどれに当たったのか。

 私の場合は転生だった。
 読者諸君の恐らく大部分が今頭に浮かべた『転生』の意で取ってもらって問題ない。巷では『異世界転生』といって、非常に大きな市場規模を誇るエンターテイメント・ジャンルの一つであり、若い頃には一度は皆憧れたであろうトピックである。私も幾分か読んだし、ある一作は我が短い生涯の愛読書となった。私は今、その渦中にいるのである。正直なところ、満更でもない。

 確かに私は寿命を全うせずに死んだ。親の死に目にも会えないままだ。当然ながら友人らに挨拶して廻った訳でもない。やり残したこともここらある。
 しかしながら、今のところは最大限に幸福だという自信がある。

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企画「短編集『残滓』」

 少し前に私が個人的に作っていた小説集を少し変えて企画にしたいと思います。
 規定は以下のとおりです。

1,テーマは『戦争の残りかす』
2,形態は詩、小説、評論、歌詞、俳句、など文章
3,主体は日本語
4,長さの目安は書き込み1つ分〜5つ分
5,戦争賛歌にはしない
6,タグの一つに「短編集『残滓』」を入れる

 今回の『戦争』は武力衝突全般を指します。そのため、第二次世界大戦のような現代的で広範囲の戦争ではなく、古代の戦争でも、地域紛争でも、宇宙戦争でも、ファンタジーで魔法戦争でも何でも大丈夫です。また、『残りかす』は何も戦後を描く必要はありません。『残ったもの』という感じで、結構広義的に捉えてもらえればと思います。人間でも、ものでも、人間以外の生物でも何でも大丈夫です。
 形態は文章なら何でも良いです。
 何も日本語が主体になっていればいいだけで、英語だって中国語だってラテン語だって使っても大丈夫です。日本語なしでも大丈夫ですが、私が読めないのでそういうときは日本語訳もつけてくださると嬉しいです。
 長さは、短編集なのでそんなに長くなるイメージではないなと思っているだけなので、上記より長くても問題ありません。
 戦争賛歌になってはいけませんが、演出上の賛美は大丈夫です。最終的に反戦を示唆していれば良いです。なお、戦争賛歌にならなければいいだけで、だからといって反戦を唱える必要はありません。
 できるだけ企画名を入れてもらえればいいです。タグが足りなくなったら入れなくても大丈夫です。

 重い感じとか泣ける感じの話でも、笑える話、くだらない話でも、反戦を唱えなくても良いです。とにかく、夏休みには終戦記念日もありますし、少しだけでもみんなで(まあひとりひとりではあれ)戦争について考えていけたらなと思います。
 企画参加作品にはすぐではないかもしれませんがレスします。
 ご質問等あればレスください。
 ぜひご参加ください!

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トカゲの木 4

 さあこんな恐ろしい子供が近所にいたかな、と思慮を巡らしましたが、そんな子供がいた覚えはありません。そこで様子を伺い続けていると、箱から離れてトカゲの木の方に接近していきます。
 やっと全貌が見えました。
 ローブを着ているように見えましたが、よく見ると、それは黒褐色をした長い毛でした。体毛はところどころ毛玉になって、汚れてもいるので毛が固まって、よもや毛というより棘の様相でした。腰を曲げているのでトカゲの木の半分くらいの体躯に見えますが、実際は同じ程度と見受けられます。しかも、毛の隙間からは何やら粘液が出ております。それが白い月光に照らされて、ヌラヌラ光るんでございます。毛は顔のところだけ剥げ出ていて、血が通っていないかのように青白いのです。なのに顔中には細くて若いブルーベリーのような青の血管が張り巡らされています。また、縦方向に、鼻のあたりから顎まで裂けた口には何層にもなった草食動物の歯が無造作に生えております。その歯茎は融けているようにも、爛れているようにも見えました。口以外のところは全部、大小さまざまな、向く方もさまざまな、無数の目で埋め尽くされていました。
 それが、表情というのはありませんが、嬉々として煮干しのようにみすぼらしいトカゲを枝に刺しているのです。
 毎日トカゲの木にトカゲが刺さっているのは、彼が毎日やってきているからだったというわけです。
 あの子はすっかり納得して、満足しました。近所の怖い子供がやってきているからではなかったからです。
 そして、トカゲを串刺しにした犯人が去る頃には、その子は家に戻って、ベッドに入って寝てしまいました。

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トカゲの木 3


 箱の中は真っ暗で、ぼんやりとした月の逆光で、トカゲの木は踊る骸骨のようにおどろおどろしく見えます。その上、生暖かい風が板の隙間から鋭く刺してくるのです。四方を囲まれた箱の中は、その子の体躯からして、膝立ちをしていても余裕はありますけれども、心持ち狭く窮屈でした。そして閉ざされ蒸し暑いのにも関わらず、背中に井戸水が差された悪寒がします。ジージーというセミの大合唱も阿鼻叫喚に聞こえる心地です。
 不安を無理やりに噛み殺したとき、阿鼻叫喚に異質な音が混ざりました。
 ズーッズーッと何か引きずるような音です。例えば、浜辺の波打ち際で毛織物を引きずっていると言ったら分かるでしょうか、ええ、分かりませんか。まあ、そういったまとわりつくような音です。
 その子は音の方を見やりました。ただ、箱の中にいるものですから、音源を認めることはできません。大きくなる音に耳を澄ますだけです。
 音が大きくなるにつれて、ぶつぶつと、何かひっきりなしに呟くのも聞こえてきました。音源は先のものと同様に思われます。しかし何を言っているのかは一向に分かりません。唸っているだけだとも、異国の言葉だとも思われます。
 その上不思議なのが、いつの間にやら、先ほどまでの目眩のするほどうるさい蝉の音が、一つも聞こえなくなっていたのです。それどころか、横笛のような風の音や、賑やかな草木の騒めく音も一切聞こえないのです。もしかしたら、あの子も緊張していたようですし、聴覚を一点に集中していましたから、相対的に静かに感じただけかもしれませんが、何か異様な空気が頬を撫ぜるのは確かな感覚でした。
 にわかに音が止みました。その子がおやどうしたことかと思った瞬間のことです。……視界が大きく削れたのです。驚きましたが、これは、その子の入った箱のすぐ外側に、触れようかというすぐ近くに、何か現れたため影って黒く見えているわけです。
 唐突に現れたそれは、何かボソボソ呟いています。……毎日毎日、律儀にトカゲの死骸を持ってくるその張本人です!この、呟いている言葉というのは、その子に聞いたところ、おおよそこんな感じです。
「わーしわ……たあ、あ、あ、たれそ……た、た……」
 これを息継ぎなしに、ずっと繰り返していたのです。

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トカゲの木 2


 月が上品な乳白色の光を湛えて天頂に登りました。
 その子は一辺一米ほどの木箱の中で『トカゲの木』を静かに見つめていました。
 これだけではへんてこれんな文章ですが、これにはこういったわけがあるのです。


 ある街のよくある民家に、これもまたよくある、背高ノッポの木がありました。背高と言ってもせいぜいが二米程度で、枝も幹も鶏の脚くらいの太さだからそう見えるのです。その木がある家には齢十にも満たない幼い子息がいらっしゃいましたが、彼には『トカゲの木』と呼ばれています。というのも、この木には、いつも干からびて煮干しのようになったトカゲが串刺しになっているのです。口から尾の付け根まで、糸車の針のような枝が貫いています。
「これは、誰がやっているの」
 幼い子は母上に聞いたことがありました。
 その度に彼女は、きっと野良猫が遊んでいるのでしょ、取っていらっしゃいね、と答えました。しかしその子は決まって、こう反論なさるのです。
「違うよ、同じ野良猫が毎日来るわけないよ」
「じゃあ違うのが来るんだわね」
「いつも同じところに刺さってるんだ、同じのがやってるんだよ」
「あらそう。じゃあその猫の縄張りになってるんでしょ」
「でも僕、ここらで猫なんか見たことないや」
「そうなの。会えると良いわね」
 確かにトカゲの木の横にはそれの半分くらいの高さの箱が置いてあって、それに乗ったら猫でも届くでしょうし、第一、そんな気味の悪いことをするのなんて、野良猫くらいなものです。ですからその子の母上は本当にそんなことを思ってらっしゃいました。彼女はわざわざ外に出て、トカゲの死骸の刺さった木をまじまじと見たりはしませんから、それが毎日あるとは知らないのです。
 しかし子息の方はトカゲの木が気になって仕方がありません。もしかしたら近所の年上の子供が、自分に意地悪をしようとしているんじゃないかしらと思っているのです。これは大変!放っておいたらこれ以上何をされるか分かったものではありません。母上にも迷惑がかかってしまいます。
 そうした経緯で、この子は今、トカゲの木の横で、箱に隠れて息を殺して外の様子を伺っているというわけです。

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トカゲの木 1



 ……まだ時間ございますが、お話は以上でよろしいでしょうか。さようですか。ええ、お代金ですな……こちらになります。
 ああ、焦らないで結構ですから。ほら、何か落とされましたよ。……どうぞ。いえいえ、今のお写真、お嬢さんでございますか。可愛らしい。違いましたか、これは失敬。へえ、わたくしの子もですって?何故そうお思いに……ああ、これでございますね。この写真の子供はわたくしの子じゃございませんで。友人の子供でしょうか。この子は何を指差しているのか……それがわたくしにも分からないのですよ。言われるまま撮らせていただいたもので。あの時、尋ねましたが、上手くはぐらかされてしまいまして。わたくしとしたことが、お恥ずかしい。子供には弱くってですね。いやはや、子供とは不思議なものです。我々には見えぬものが見えているのでしょう。何を言い出すのか、いつも楽しみにさせていただいております。あなたもお分かりですか。ええ、この写真の話が気になると。……良いでしょう。それでは、時間もしばらくございますし、のんびりお話ししましょう。
 この世にはいろいろとヘンな話があるもので、こんな職業ですから、スピリチュアルとは縁遠いわたくしにも、そういった『持ちネタ』はあるものでございます。とは言ってもわたくしの体験した話などではございません。これは、この写真の子供が話していたことです。
 それはこんな話です。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 12

 次の日の放課後。
 部活に参加した俺に、件の先輩がやって来た。部活の始まる前からソワソワした様子で辺りを見回していた。俺を見つけるとぱっと明るい顔で俺の名を呼びつつ駆け寄ってきたのだ。
「で、昨日どーだったよ!?」
 やっぱりな。
 先輩はおっかなびっくり訊いてきた。
「どうだったって……」
 甲斐田正秀はいましたよ。彼と話して、彼は噂とは全く違う人物で、空襲で死んだ中学生でした。
 ……とは言わなかった。言いたくなかった。
 あの少年は、そうやって大っぴらにして恐れられて良い対象ではない。もっと純粋で幼くて、切ないものだ。会って、直接話を聞いてやらなければならない。あそこに行こうと思った者だけが密かに確かに知って、ずっと心に止めておけば良いのだ。彼もそれを望んでいる。
 だから俺は
「何もありませんでしたよ」
 そう言った。
「……なあんだ、そうだよな、ははは、期待して損しちまったぜ」
「そうっすよ。それより、あれから大変だったんすよ!昇降口全部しまってて、職員室行ったら何でいるんだってチョー怒られて!」
「ははは、どんまーい」
「元凶先輩っすよ!」
「へへへ」
「もう!」
「おい!そこうるせーぞ!」
「すいません!」「すいません!」
 またも先生に怒鳴られ、部活を始めた。

 あれ以来、俺はあの時間にあの教室に行くことはなかったけど、後輩には教えてやった。
 甲斐田正秀の『恐ろしい噂』を。


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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 11

 そんな訳はないが、沈黙が10分くらい続いたように感じる。でも多分、本当は1分くらいなんだと思う。
 そんな沈黙を甲斐田が破ってくれた。
「マア、そもそも生きとる若いもんが死について考えんなんてのは早すぎるってもんじゃ。死ぬことなんて、考えんで言いなら考えん方が良かくさ」
「そうなのか……」
 よくよく考えれば、この頃、死のことばかり考えている気がする。確かにそれは健全ではない……のかも今の俺には分からない。だから中途半端な返事になってしまった。
「というか、もうこんな時間じゃないか」
 甲斐田が急に話を変えてきた。無理矢理な感じもするが、反射的に甲斐田が視線を向けた時計を見上げてしまった。
 時計の分針は7を指そうとしていた。
「じゃ、わしはここいらで」
「……は?」
 え、え……?唐突に話を終わらせようとし出したぞ。まだ話は終わってないにも関わらずだ!
 しかし、だからといって何を言えばいいのかも分からない。
「そいじゃあ、もうこんな遅くに残ってんじゃないぞ」
「えっあ、え、ま、また」
「もー会わんよ阿呆が。じゃあな、暗うなる前にはよ帰るんじゃぞー」
「ちょっと待てって」
 俺は焦って言葉足らずながらも止めようと試みる。甲斐田の方に手を伸ばすが勿論届かない。甲斐田は窓の外の藍の空をバックに幼く無邪気な笑顔を浮かべる。
 そうして最後に言った言葉に、俺は一言
「……無粋だ」
 それだけ呟いた。
 悪態は俺しかいない仄暗い教室に行き場なく響いた。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 10

 意外な反応に俺はもう一度、ちゃんと彼の顔を見た。彼は虚しそうに、なのに口角を上げていて、何というか、表情を歪ませていたのだ。俺はやっと、自分が酷いことを言ったと自覚した。
「散々嘆いて、平和な時代を生きとるお前らを呪い倒せばいいんか」
 先程と違い静かに抑えた声だった。なのに俺を制した言葉よりもずっと恐ろしかった。甲斐田の肩は力が入って小さく震えている。
「そんなのはわしの身が持たん」
 甲斐田は冗談めいて言う。俺は何も言えず、ただ突っ立っているだけだ。そんな中で俺よりも背の低い痩せた少年は続ける。
「わしだってなあ、兄ちゃんを、家族を救うために軍人になりたかった。でもな、そんなこと言ってられん世ん中じゃ、せめて国に尽くして死にたかった。なのにホントんとこはどうじゃ、こんな中途半端なところで死んで、何もでけん自分が情けなくってしょうがない。……今でもな、思い出す。あん時の激痛、苦しさも無念も……だから笑っとるんじゃ。笑っとらんといかんのじゃ」
 甲斐田は今にも泣き崩れそうな顔で、涙一つも流さなかった。
 俺はそこでようやく彼が笑顔を携え、涙を落とさない理由に気がついた。……余りに遅すぎた。
 甲斐田は悲嘆する訳にはいかなかったのだ。
 何も救えず何も残さなかった。最後まで足掻かずに日本人がまだ耐え忍んでいるうちに死んでしまった。最後まで死なずに苦しんだ人々を置いて闘いを『離脱』してしまった。
 彼にしてみれば、図らずともそんな卑怯な真似をしてしまったことは酷な罪なのだろう。だから彼は泣けない。何も恨めない。
「ごめん」
 やっと俺は謝った。
「いや謝らんでいい。わしこそ、変な話ししてすまんかったのう」
 甲斐田はケロッとして言う。
 そうしたらもう何を言えばいいか検討つかなくなって、折角重苦しい雰囲気から抜け出したにも関わらず双方黙ってしまった。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 9

「そこまで吹っ飛ばされた。バシィってな、叩きつけられた。窓硝子が体中に刺さってくるわ机や木片で顔も肺も潰れるわ炎が服に燃え移るわで……酷いんじゃぞ、破片が目やなんかにも瞼の上から突き刺さっとるから、霞む目ちょっと開いて、首も下を向いたまま動かんから、自分の体の様子だけ分かったんじゃが、あの時窓側に向いとった右上半身にワァーっといっぱい硝子片が刺さっとるんよ。その溶けたのなんかもただれた身と同化して黒いんだか赤いんだか何なんだか……お前、集合体は大丈夫な方か?」
 甲斐田はニヤニヤしている。
 俺は何も言わなかった。勿論笑いもしなかった。
「あん時の姿にもなれるが……まあやめとくか」
 何故こいつは、こんな酷い話をヘラヘラしてできるのだろう。幽霊であることよりもずっとその方が不気味だ。
 俺はこの話を聞いて、本当に辛く思った。戦争の不条理も悲しんでいるし、甲斐田の味わった痛みに胸も痛む。右腕に手を当てて、むず痒い感じもした。でも、そんな薄っぺらい感情よりも何よりも深く、そんな酷い経験を笑って語る甲斐田が腹立たしくて仕方ないのだ。
 俺は拳に力を入れてその怒りをできるだけ態度に出さないように堪えた。爪が手の平に刺さる。でも痛みはなかった。そんなのを考えられないくらい頭がいっぱいだった。
「……と、まあこんな感じだが……っておい、お前」
 話し終えたようだ。しかしその途端、何だか焦った様子で俺に話しかけてきた。
「やっぱり、嫌だったか」
 甲斐田は心配そうに俺の顔を覗く。
「……違う」
 俺の声は震えていた。
「何でそんな風に言うんだよ」
「何でってお前が訊いたからじゃろ」
「違う、そういうことじゃない」
「じゃあどういうことだ」
 鈍い甲斐田が恨めしかった。怒鳴ってやりたい。でも、彼にそんなことはできない。そんなことはしてはいけない。
「おかしいだろ。自分が死んだときのことだぞ。大したことじゃないみたいな」
「もうしばらく経っとるからのう。今じゃ気にしとらんよ」
「命を何だと思って――」
「じゃあ」
 俺がキレかけたところで、甲斐田は声を張って俺の発言を制した。大声ではあったのに、怒鳴っているわけではなくて、でも怖いという印象を受けた。それは霊的な力だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 8

「でな、実際ここいらにアメリカが爆弾を落とすことは殆どなかった。じゃから今回もそのクチだろうと思って油断しとったんじゃな。でもボーイングは確実に近づいていた。警報は依然やまない。もしかしたら今回は、と、ちと怖くはあったが、本を取りにこの教室に戻った。どうせ今日に限って落としてくることなかろうし、落ちても学校にピンポイントで当たるまいとたかを括っとった。それに何より、アメリカの兵器を前に、勉強すら諦めるのが嫌じゃった……そう思ったのが間違いじゃった。よう考えれば、学校がここいらで1番大きい建物じゃったし、軍の駐屯地は隠れとったから学校が狙われるに決まっとったんじゃが、そういう可能性はもっぱら排除して考えんかった。とにかく本を取りに行きたくてしょうがなかった。それで急いで3階まで駆け上がって、丁度、わしが机の上にあった本を手に取ったとき、この教室に焼夷弾がヒューッと落ちてきた。お前は見たことないじゃろう、まああっちゃ困るが、ありゃ考えた奴は本当の非道だったろうなあ。木造の日本家屋が燃えやすいように、火薬だけじゃなく油を入れるんじゃ。だから爆風と一緒に燃えた油が飛んできた。あん頃は校舎も全部木だったからのう、すぐに一面焼けた。もう遅い時間じゃったからな、わし以外には生徒はおらんかったから良かったと思うが、安心したのも束の間のことで、すぐにも第二陣が降ってくる音がする。でも火に囲まれて逃げられんし……背水の陣、四面楚歌、そんな様子じゃ。熱いを通り越して、皮膚がジリジリ唸るように痛んだ。自分は死ぬんじゃと確信した。わしは元々卒業したら早々に海軍に志願しようと思っとったから、もちろん死ぬ覚悟もできていた……と、思っとった。死ぬときになってわかったが、わしは本当は死にとうなかったんじゃ。まだ生きたい。そう思ったとき、2発目が落ちて、わしは割れた硝子や机と一緒に、そっちの方……」
 そう言いながら俺、ではなく、その後ろ――黒板を指さした。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 7

「わしはな、高等小学校2年の時分にここで死んだ。酷い死に方……確かにそうだったかも知れん。1944年の8月にあった空襲だ。わしはそんとき、兄ちゃんが海軍に志願して出てった後じゃったけ、家じゃ妹弟がギャーギャーうるさくって世話もせにゃいけんかったからのう、学校に残って考査の勉強しとった。そんとき……5時50分くらいじゃろか、空襲警報が鳴った。ありゃ気味悪い音でもう、忘れたくても忘れられん、何回何十回も聞いた酷い不協和音じゃ。今でもたまに鳴り出すぞ、頭ン中でな。当然それを聞いた途端にわしは荷物持って急いで教室から逃げ出して、防空壕に潜り込んだ。学校の防空壕ってのはな、不思議でどこからか人が湧いて出て、たくさん入っとる。もうすし詰め状態よ。それでも何とか入れたから、ボーイングが去るまでじっと待ってようと壕の入口付近でしゃがんでいた。そんとき、わしは重大なことに気付いた。本を1冊、置いてきたんじゃ。今思うと下らない。じゃがそんときは死活問題じゃった。命あっての物種というが、もう1冊買う金もないし、それがなければ技師を諦めなくてはいけないという焦りがあった。もうその考えで頭がいっぱいだった」
「技師?」
「ああ、わしはちっこい頃から飛行機の技師になりたくてのう。そんでわがまま言って母ちゃんに高等小学校に入れさせてもらったんじゃよ。兄ちゃんが海軍の戦闘機乗りで、それを安全に整備して、空の勇士たちが無事に帰ってこられるような戦闘機に乗せたかったんじゃ。後方で働けば殉死はできんが、せめて、兄ちゃんらに正しい戦死を遂げてほしかったんじゃ」
 正しい死。
 何だかもやっとした。
 正しい死なんてあるのか?実兄に死を望むか?本当の望みは正しい戦死なんてものではなくて、帰還ではないのか?
 俺の中に湧いた感情は確実に同情や悲観ではなかった。多分、多分だけど、軽蔑だ。何に対してかは分からない。目の前にいる小さくて痩せた少年の話を止めてやるべきだと思ったが、そのための理由付けもできないから、口をつぐんだまま甲斐田の話を聞くしかない。

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憧憬に泣く 9

 理想と現実の落差に戸惑う善。
 かつての自分のように大切な人を亡くした善。
 それでも現実と向き合うことを選んだ善。
 どうしても、そんな彼のことが尊いものに思えて仕方がなかった。STIは彼のような若人を失ってはいけないと思った。
 善の手が部隊長の胸元からはらりと落ちた。それも、一つの雫とともに。全身から力が抜け、その場に座り込んだ。
 涙は次々頬を伝い落ちてくる。それを必死に止めようと掌で拭うも嗚咽が漏れてくる。
「うっ……うっ……駄目だっ、駄目だっ……」
 善は嗚咽の間に歯を食いしばりながらぼそぼそ呟く。
「なあにが駄目なんだよ」
 部隊長は冗談めいて言った。
 十秒程度の嗚咽の後、善はかろうじてか細く声を漏らした。
「……泣いちゃっ、駄目なんだ……」
 ――和樹はあの瞬間、泣けないまま死んだのに。自分だけ泣くなんて。
 そう思うと情けなくて、切なくて、和樹に失礼な気がして、今まで一度も泣けなかった。泣きたくなかった。しかし今は涙が止まらない。
 部隊長は頑固な少年の不十分な回答に思わず苦笑した。
「別に泣けるときに泣いときゃ良いだろーが。こんなことでもねえと、スパークラーはおちおち泣いてもいらんねぇからな」
 部隊長はカラッと気持ちよく笑った。
 その言葉に、善は幼い子供のように声を上げて泣いた。
 善は一歩、前に進むことができた。

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憧憬に泣く 8

「俺はダチの死を知って十分後にはケロッとしていつもの業務に戻ったんだ。今だってあいつの死をどうとも思ってない。悲しくないし悔しくない。――だって、あいつのことはもう忘れちまったんだからな。
……あれからずっとそうだ。死んだダチは全員いなかったことにした。あいつらが仲間だったことは覚えてる。でも全然そんな実感がねえんだ例えるなら、『お前の生き別れの妹だ』って言われてブロンド美女の写真見せられるような感じだ。もうあいつらとの思い出は1つも思い出せねえ。姉貴が死んだときに何も思わなかったのは流石に自分でもビビったぜ。
今俺は、誰が死んだってなんとも思わねえ。現実を見ないことにしちまったからな」
 そこまで一気に話すと、善の反応を待った。しかし実際より小さく弱々しく見えるその少年は少しも動こうとしない。ただ、部隊長の襟にある手には一切の力がなく、少し後ろに下がっただけで勝手に外れそうなほどになっていた。
 いまだ説得に成功しない状況に部隊長は戸惑っていた。正直、自分で言っていながら説得になっているのかは甚だ疑問である。思いついたことを後先考えず連ねているからだ。
 でも今はとにかく、善に分かってほしいことがある。その衝動に駆られて止まらないのだ。
「なあ善。お前は強いんだよ。現実と向き合って苦しんで、そうやって得た信念ってのは実力行使じゃどうにもならねえくらい強い。俺はもう本気で人を救うことはできない。心が死んじまったなんてのは言い過ぎだが、まあ、死に対する感情は専らなくなっちまったわけだ。そんな人間が人を救おうとしたところで、救える命も切り捨てちまうのがオチだ。だから、つまり、俺が言いてえのはな――」
 部隊長は少し照れくさそうに言うのを躊躇ってから、思い切り良く言った。
「お前は俺なんかよりずっと、この仕事に必要なんだ」
 それが今、善に1番言ってやりたいことだった。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 6

「で、何でそんな触られるの嫌がるんだよ」
「ウーン、何かな、ゾワッとするんじゃよ、ゾワッと」
「ユーレイってそんなモン?」
「知らんがな。マァ、あの世のものとこの世のものが交わるってのは健全な状態じゃあないんじゃろ」
「ふうん」
 俺は生返事をし、次の質問を投げかける。
「幽霊なのは分かったけど……あんたホントに甲斐田正秀?」
「何故疑う」
「だってあれだろ、甲斐田正秀って『赤と青、どっちが好き?』って訊いて、どう答えても死ぬっていう怪談だろ」
 当然のように訊くと、甲斐田は軽く吹き出して馬鹿にするように笑った。
「んな訳なかろーもん。来る奴みんなに話しかけとるから、面白いように話に尾ビレつけてったら原型がなくなったんじゃろう」
「え、じゃあ酷い死に方をしたってのも?」
「酷い?」
 そう繰り返すと、少しの間自分の顎に手をやって考え込む姿勢を取って静止した。「あー」とばつが悪そうに話を切り出そうとするが、やっぱり駄目だというふうに頭を掻いてまた黙る。
 彼が個人的に話したくないというような態度ではない。どちらかというと、相手が良ければ話すけど、みたいな雰囲気だ。
 何度かそれを繰り返して俺も耐えかね「何だよ」とこちらから仕掛けた。俺がなにか言わないと何となく、彼が霞になって逃げてしまうような気がしたのだ。
「話したくないのか?」
「んなこたーない、まー確かに、酷いって言えば酷かったかもしれんと思っただけじゃ」
「話す気ない?」
「お前がえがったら」
「俺は良いよ」
「そんなら話すが……戦争の話じゃぞ、よくある話」
「へえ。試しに話してみろよ」
 俺が乗り気な様子を見せると、甲斐田は気不味そうに自分が死んだときのことを話し始めた。

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憧憬に泣く 7

「俺は知りもしない一般人のことなんかどうでもいい!俺がほんとに守りたかったのはっ、俺の大事な人達なのにっ」
 善は目に涙をためて叫ぶ。今まで本当に思っていたことを。
 人々を守るのに憧れたのではなかった。世界だなんてそんな大袈裟な話ではなかったのだ。ずっと、人々の安寧を守り『家族や友人を笑顔にできる』スパークラーに憧れていた。自分の周りの人が幸せに暮らす。それだけで良かった。
 それなのに。
「駄目じゃないか!何もできないじゃないか!スパークラーなんてなった意味ない!」
 善は膝立ちになって荒々しく部隊長の胸ぐらを掴んだ。部隊長はそれを拒まなかった。
「……スパークラーなんて……何もできないくせに……」
 うなだれて呟いた言葉は、高く積もった雪のように重く冷たく響いた。
「なあ善。お前、ホントは思ってんだろ。何もできないのは自分だって」
 部隊長の声はぶっきらぼうだが優しかった。彼の服を無造作に掴んだ手から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「でもな、そりゃ見当違いだ」
 それから部隊長は善からなんの反応もないまま続ける。
「……俺の話をするが、俺は、人を守るその勇姿に憧れてスパークラーになった。あの頃はSTIの宣伝を本気にしてた。丁度、今のお前みたいにな。でもな、初めてダチが死んだ時、お前みたいにはならなかったんだよ」
 善は俯いたまま「流石部隊長だよ、強いんだな」と震える声で皮肉を漏らした。強がらないと涙が溢れてくると分かっていた。
「誤解すんな善。俺は強かったんじゃねえ。人一倍弱い人間だったんだよ」
 部隊長の言葉に善はゆっくりと顔を上げた。部隊長は苦しそうに表情を歪ませながら笑っていた。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 5

「お前、信じとらんな」
「確かに、にわかには信じがたい。証拠はないのかよ」
「証拠ォ?ウーン……」
 甲斐田は首を傾げる。こう言われて何も言えないとなると、何だか胡散臭く思えてきた。
 やっぱり嘘か。
 白けて踵を返しかけたたとき、
「仕方ないのう」溜息を吐いて無言で手招きした。やっぱり俺はこの子供が霊か否か気になって仕方がなかった。どことなく怪しいと思ったが自分の好奇心に抗えるほど、俺は大人ではなかった。
 空き教室に入ると、甲斐田の方もこちらに歩み寄り、目の前までやってきた。
 甲斐田は今、友達と雑談するとき程度の距離にいたものの、身体が透けて向こうの壁が見えるだとか、地面から浮いているだとか、そんな様子は見受けられない。だからまだ半信半疑だ。
「ちと手ェ触ってみぃ」
 甲斐田は右手を差し出した。俺は少し躊躇しつつ、不愉快そうに(まだ何もしていないし何も言っていないのに、だ!)じっと目を閉じる少年の顔をチラチラ覗きながらその手に触れようとした。
 触れられなかった。
 代わりに、甲斐田は「うう……」と唸り、俺の左手は空を切った。
 信じられない。嘘だ。
 俺はもう一度甲斐田の手に触れようと試みるが、何度やっても何も感じない。それを5回程度繰り返したところで、触れられぬ手の持ち主は身震いをしてそれを引っ込めた。
「もー分かったじゃろーが!」
「あーうん」
「……面白がりおって……」
 甲斐田は恨みがましく呟いて俺を一瞥した。気を悪くしたらしい。そっぽを向いてしまった。少し申し訳ない。
「いや、それはごめん。あんた、触られんのやなんだ」
「まあな」
「なんで?潔癖症なの?」
「別にそんなこたぁないが……お前、調子乗りすぎって言われるじゃろ」
「なんで知ってんだよ」
「……素直な男じゃのう」
「別に良いじゃんかよ」
 ……何か感心された。気に食わないな、さっき申し訳ないといったのは撤回しよう。
 しかし機嫌を戻したようなので安心する。奴も奴で、素直で単純だ。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 4

 そこには少年がいた。坊主頭に学ランをキッチリ乱さずに着ている、俺と同い年くらいの。まさに昭和の子供という様相だ。
 俺は驚いたのと怖いのと意外な展開についていけないのとで、声も出なかった。
 いやしかし、まだ生きた人間でないと決まった訳ではない。話してみれば分かるはず……。
「ええと……」
と思ったが、俺もそこまで社交的ではなかった。一度言葉に詰まるともう喉につっかえて何も出てこない。俺はどうしようもなくなって目を泳がせた。
「お前大丈夫か?忘れモンか?」
 少年が心配する声が聞こえる。それに答えるべきだったが、いろいろな思考が頭の中をぐるぐるして、結局質問には答えずに、俺の方から問いかけてしまった。多分、今俺が一番気になっていることなんだろう。何しろ、このことだけ分かれば何もかも解決するのだ。
「……あんた、名前は?」
「お前分かってないで喋っとったのか。面白い奴じゃのう」
 少年はハハハと声を上げて笑った。そして自慢気に告げる。
「甲斐田正秀だ。お前も聞いたことあるじゃろ」
 それを聞いた途端、胸がざわついた。身の毛もよだつってやつだったろうが、ただ、少し興奮もしていた。一瞬、風邪を引いたような心地になった。
「かっ甲斐田正秀?じゃあ、あんた死んでるってこと……?」
「そうらしいのう。別に死ぬつもりはなかったが」
 その言葉にゾクッときた。背筋に冷たいものが走ったという感じだが、笑いも込み上げてきて、要はテンションがおかしくなっていたのだ。
 いや、待て。
 現実的に考えろ。今俺の目の前にいるのは、ただ甲斐田正秀と名乗り死んでいると自称しているだけの男だ。彼が言っていることを信じられる証拠は一つもない。
 俺はいつの間にか怪訝そうな表情をしていたらしい。少年は……いや、ここは(確信はないが)甲斐田と言うべきか。甲斐田は口を尖らせた。

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憧憬に泣く 6

「善」
 少年の名を厳かに呼び直した。
 少年の方は気持ちが落ち着いてきたのか前と同じように目を伏せている。
「お前、親友が……よく闘ってくれたらしいな」
 部隊長は言葉をよくよく選んで、優しい口調で切り出した。
 善は未だ何も言わない。
「善。よく聞くんだ。これからスパークラーをやっていれば仲間を亡くすことは間々ある。これは仕方ないことだ。親しい人間を亡くすこともあるだろう。だが、我々はそんなことで止まってはいられない。今だって、いつどこでカゲが発生するかも、それによって一般人がどれほど被害に合うかも分からない。だから、立ち上がれ。強くあれ。お前だって、そんなスパークラーの姿に憧れたんだろ?」
 部隊長は善の目をずっと見ていた。善が彼のことを見ることはなかった。ただ、俯いたまま小さくだが口を動かして何かを言っている。
「どうした、善」
 問うと、段々聞こえる大きさになっていった。
「か……は……和樹は……」
「和樹は、何だ」
 部隊長はそれだけ言って、どもる善の目をジッと見つめ続ける。
 すると、10秒程度経って善は顔を上げて、部隊長の目を鋭く睨んで叫んだ。
「和樹はまだ15歳だった!やっとスパークラーになれたって喜んでた!それを何で!何で守れないんだよ!何で死ななきゃいけなかったんだよ!」
 善はずっと思っていたことを吐き出した。
 和樹が死んで悲しかった。虚しくなった。カゲと闘うのが怖くなった。でも本当は、それで籠もって震えているのではない。
 本当は、本当は――