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LOST MEMORIES~番外編Ⅲ~

放課後の教室。机に、コトンとあったかい缶コーヒーが置かれた。
「休憩しましょう。お疲れ様です。」
凄まじい勢いで動かしていたペンを一旦置いた英人は、瑛瑠を見上げた。
「お砂糖は要りませんでしたよね。」
そう言って瑛瑠は向かいに座る。『Dandelion』で注文したコーヒーには、砂糖は入れなかったから、そのことを言っているのだろう。
ありがとう。そう微笑んだ英人は、コーヒーに口をつける。瑛瑠も同じものを手にしている。聞けば、瑛瑠も砂糖は使わないと言う。しかし、続きがあった。
「ただ、角砂糖なら入れたくなります。」
「……何故?」
「魅力的な形じゃないですか。立方体って美しいと思いません?」
英人は呆れたように笑った。広げている数学の問題集に目をやる。瑛瑠が数学が得意だということで、教えを乞うていたのだ。別段、数学が不得手というわけでもないのだが、始業早々のテストで点数負けをしたことの悔しさから、こうした待ち時間に付き合ってもらっていた。
瑛瑠の言葉を思い、改めて苦笑する。自分が好きな分野が文学や哲学だから、数学好きはどうにも理解できない。
「待っててくれたの!?遅くなってごめんね!」
教室に飛び込んできた望と歌名。今日はいつもより会議が長引いたようで、外もだいぶ暗くなり、夜が顔を見せ始めている。
缶コーヒーはまだ温かかった。

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This is the way.[Ahnest]7

「しかしアーネスト。お前はえらく遅かったじゃないか。何かあったのか」
「ええ、まあ。大したことじゃないです。ガルタさんと話していただけで」
「ガルタのじいさんとか?お前、また何かしでかしたな?さてはあれか。今朝お前が寝坊したことか」ライネンはニヤニヤと聞いてくる。
「違いますよ。て言うか、僕がまだ寝てるのに気づいてたんだったら起こしてくれたって良かったじゃないですか」
「悪い悪い。夢の途中で起こしちゃいかんって言うしな」トルフレアの迷信だ。
「夢が現実に侵食してくるって言う話ですか。にわかには信じがたいですけどね」
「しかし否定もできんだろう」
「まあ、ね」
ライネンと話すときはいつもこんな風だ。頭がいいんだか悪いんだか。
「さ、俺は飯を作ろう。部屋で待ってな」
「へえ、ライネンさんも料理できるんですか」
「あったり前だ。自分が食う飯も作れんで男とは呼べん。期待しとけよ?」
またニヤリと笑うと、キッチンの方へスタスタと歩いていった。いつの間にかカルクはスヤスヤと毛布の上で寝ていた。いつの間に寝かしたんだ。

部屋に戻ると、すぐあの手紙を取り出した。封筒には、やはり「ケンティライムの封印」が捺されている。
アーネストは、ゆっくりとその封を開けた。中の手紙には、こんなことが書かれてあった。

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This is the way.[Ahnest]6

帰り道。大通りはすっかり人気(ひとけ)をなくし、昼間の喧騒が嘘だったかのように静かだ。二三人の働き人が肩をすぼめて歩いている。アーネストは、下宿への道を歩きながら考える。

商業の街、ソルコム。国内最大の港を持つトルフレアの玄関。しかし、ケンティライムの人間が来ることは滅多にない。なぜか。それは、ソルコムとケンティライムを隔てる、アイネ・マウア山脈のためだ。
何千メタとある山を越えることは難しく、山脈の北端まで行かねば、歩いていっても厳しい。それゆえにソルコムの物価はケンティライムよりも断然安い。つくづく滞在先にケンティライムを選ばなくて良かった.........。
そんなことはどうだっていい。ケンティライム兵の話だ。彼らでさえあの山を越えることは難しいだろう。わざわざ僕のためだけに来たわけではなかろう。きっとソルコム港に何か用があったのだ。そのついでなのだ。

「ただいまー」
「おお、坊主。帰ったか」
「帰ったかー!」
家に帰ると、二人の元気な声がした。下宿させてもらっている家のご主人と二歳のカルクが既に帰っていたようだ。
「今日は早かったんですね、ライネンさん」
「ああ、今日はボスの機嫌がよくてな。週末ぐらい家族とゆっくり過ごせーって。エナはいないんだけどな」そういうとライネンはわっはっはと笑った。
ライネンは鉄道会社で働いている。夜遅くに帰ることが多いのだが、今日は珍しい。

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オダマキ

彼女がオーディションに落ちた。
話によれば、彼女よりも演技力があって綺麗な人がそれこそ掃いて捨てるほどいたらしい。僕は彼女がそのオーディションにすべてをかけていたことを知っていた。
オーディションの次の日、彼女はそれはそれはひどい顔をしていた。どうしたんだ、大丈夫かい?そう聞いても、大丈夫、そう答えるだけだった。

それから彼女は、本当に糸の切れた操り人形のようになってしまった。夢を語る度にあれほど輝いていたその両目は、すっかり濁って伏しがちになってしまった。日に日に弱っていくように見える彼女は、次第に僕の話も聞いてくれなくなっていった。

ある日、僕は彼女の家に行った。その手には一輪の花。手紙を書こうと思ったけど、僕は文章を書くのが下手だった。僕はその真っ赤な花を、一言だけ添えたカードと一緒にポストへ入れた。

次の日、彼女がいつもとは違う、すごい早足でこちらに近づいてくるのが見えた。僕は彼女が元気になったのかなと思って嬉しくなったが、すぐにそうでないことに気づいた。
彼女は今までに見たことのないほどその目に涙をためて、怒りをその拳にためていた。その手には、一輪のオダマキ。
どういうつもりなの、どういうつもりってなんだよ、僕は君を心配して、人のことをバカにするんじゃないわよ!!!バカになんかしてない、僕は、もういいわよ!!!
彼女はそのオダマキを僕の足元に投げつけていってしまった。僕はただ、呆然と佇むしかなかった。

それから彼女は、めっきり姿を見せなくなった。今彼女がどうしているのか、僕は知らない。



オダマキの花言葉《愚か》











赤いオダマキの花言葉《心配して震えています》

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This is the way.[Ahnest]5

「これがそれだよ」
 そう言ってガルタはその封筒をアーネストに手渡した。いぶかしげに眺める。すると、その封筒の封印に気がついた。
「ガルタさん、この封印って......」
「ああ。王都の紋章だ」
「王都?!」
 永世トルフレア王国王都ケンティライム。世界で最も優れた街とされる。アーネストはトルフレアに来て三年あまりだが、まだケンティライムには行ったことがなかった。
「だからお前が、連行されるような何かやばい事でもしたんじゃないかと思ってだな...」
「余計なお世話です」
 とは言ったものの、一体何の件か全く覚えがない。アーネストは少し不安になってきた。僕の知らない間に何かとんでもないことをしでかしてやしないだろうか。まだトルフレアの法律はマスターしてないからな...。いや、そんなことはない。もしそうだったとしても、そんな大したことではない。しかし王都の兵が来たとなると...。
「とにかく、帰って読んでみることにします」
「ああ、そうするといい。気を付けろよ」
「はい。ありがとうございます。」
 
不安と若干の好奇心を手に、アーネストは下宿へ帰った。この手紙が、彼の運命を大きく変えることになるとは、彼に知るよしもなかった。

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This is the way.[Ahnest]4

 [ガルタのパン屋]の営業時間も終わって、明日の準備をしている頃。
「アーネスト、ちょっと来い」
 不意に、ガルタに呼ばれた。朝の遅刻の件だろうか。またこってり絞られんだろうなあ、等と考えながら、厨房の奥にある小部屋に入る。
「...何でしょう、ガルタさん」
「今朝はどうして遅れた。珍しいじゃないか、いつも俺より先にここに来るのによ」
「すいません」
「怒ってる訳じゃない。理由を聞いておきたいと思ってな」
「はあ...それが、夢を見たんでして」
「夢、なあ」
「ええ、ひどい夢でした」
 ガルタはなぜか訳知り顔のようである。気のせいか?
「どんな夢だった」
「それが全く覚えてないんです。ひどく恐ろしい夢だったことはしっかり覚えてるんですが」
「ふん...そうか。まあそんなことはもうどうでもいい。それよりお前......何かしたのか?」
 アーネストは首をかしげた。ガルタは何の話をしてるんだ?全く見当もつかない。一体なんのことだろう。
「どういう意味ですか、僕がなんかしましたか?」
「いやな、昨日のことなんだ。お前が帰ったあと、俺はまだ暫く仕込みを続けていたんだ。したら、突然ドアが開いて、数人の兵士が入ってきたんだ」
「!」
「そりゃあ驚いたよ。もうとっくに店は閉めていたから、何のようですか、と聞いたんだ」
 ガルタのことだ、きっとそんな穏便に訊ねたのではないだろう。アーネストはそう思った。
「そしたら、その兵士たちはお互いに顔を見合わせて、うちの一人がこう言ったんだ」

『アーネスト・イナイグム・アレフはいるか。』

 アーネストは怪訝な顔をした。なんだそれは?フルネームで訊いた、と言うことは、たぶん僕の知り合いじゃない。
「怪しいと思うだろ?俺も何がなんだかわからなかった。で、もちろん俺はいない、と答えた。するとその兵士はこの手紙を寄越したんだ」
 そう言うとガルタは一通の手紙を取り出した。

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This is the way.[Ahnest]3

ガチャッ、バタン!!!
「おはようございますッ!!!」
「全くお早くねえわッ、何しとったんじゃ貴様ァ!!!」
「すっすいません!!!」
「このクソ忙しい日に寝坊たぁいい度胸だ、それなりの覚悟あるんだろうなあ!!!」
「すいません、ガルタさん!!!」
「もういいからさっさと着替えんか!」

 [ガルタのパン屋]はいつも賑やかだ。ダルケニアにあったパン屋はみんなおおらかでふくよかでなんか、こう、フワッとしたパン屋特有の香りがあったのだが、ガルタはそれとは全く違った。ゴリッゴリのムッキムキなのである。短く刈り上げたごま塩の髪、そのガタイには全く似合わないエプロンをつけて、アーネストや他の店員に始終怒号を飛ばしている。
 なんでそんなパン屋で働いているのかというと、ガルタのパンは、それはそれは美味しいのだ。歯で弾けるようなバゲット、口の中でほどけていくクロワッサン、あり得ないほど甘いバターロール。
 別にアーネストはパン屋になりたいわけでもなんでもないのだが、なぜかここで働きたい!と思えたのだった。
「オーブン止まったぞ、さっさと開けんか!!!」
「なんだその切り方は、肉でも切ってるつもりか!向かいの肉屋にでも行ってこい!!!」
「とろとろしてんじゃねえよこのノロマ!!!」
「そんなんはいいから手を動かせ手を!!!」
「アーネスト!!!」
 とはいっても、思った通りではあるが相当に厳しかった。なんでこんなことやってんだろ、といいたくなるときもあったが、それが妙に楽しくもあった。別にマゾヒストではない。

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This is the way.[Ahnest]2

「......はあッ!!!」
 ガバッ!と、アーネストは突かれたように跳ね起きた。荒い息だ。全速力で100メタ走った時だって、こんなに汗ビッショリになったことはない。
「...はあ。また夢か...」
 このところこんな夢ばかり見る。しかし、どんな夢だったか、ハッキリとはいつも思い出せない。つい昨日のおいしかった晩御飯がなんだったか思い出せないみたいに、凄く悪い恐ろしい夢だったことは覚えているのだが、その情景が思い出せないのだった。
 アーネストは布団から出ると、
「うぅっ、さっみい!」
 ブルリと身を震わせた。ケヤキの月もじき終わりだから当然と言えば当然だ。窓際まで歩いていくと、サッと両のカーテンを引いた。朝の光がシャラリと部屋に差し込む。
「うーん、いい朝!...あれ?」
 ふと気づいた。いつもより人通りが多い。こんな時間におかしいな...。今日は何の日だったかな。いや、それとも...。
「まさか...」
 アーネストはドアのちょうど真上の壁に掛かっている時計に目をやった。

 8時40分。

「......?!」
 もう一度時計をよおく見た。やっぱり8時40分。アーネストは青ざめた。なんでこんな時間なんだ...!
 のんびり「いい朝!」なんて言っている場合ではない。アーネストは慌てて支度を始めた。昨日枕元に今日着る服を置いていたことも忘れて大騒ぎだ。見る間に彼の部屋に足の踏み場はなくなった。
 支度を終えると、アーネストは転がるように階段を駆け下りた。そこで気づく。
「あっ、そうだ奥さんいないんだった...!」
 アーネストの下宿の奥さんは昨日からバヴェイルに観光に行っているのだ。それをすっかり忘れていた。
『留守の間よろしくね。私がいないからって、朝ごはん抜かしちゃダメよ?』
 ごめん奥さん。早々に守れなかったよ。明日はちゃんとするから...。そう一人で呟くと、ミルクを一杯だけ飲んで、大通りへ飛び出した。

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This is the way.[prologue]4

ーーダルケニア国 ネウヨルクーー


「キャス、帰ったよ!」
「どうしたの、あなた。今日はえらくご機嫌ですこと」
「ほら、見ろよ!アーネストから手紙だ!」
「まあ!あの子、やっと手紙を書いたのね!それで、なんて書いてあったの?」
「まだ開けてないんだ。今読むよ。どれ...」

 ―――父さん、母さん、ウィル、元気ですか。僕がトルフレアに来てからすっかり年月が経ってしまいました。時が過ぎるのは本当に早いものです。暫く手紙を書かなかったことを許してね。忘れてたってのは、まあ、それもあるんだけど(ごめんよ)、何もかもが新しいことばかりで、そりゃもう大変だったんだ。最近になってやっと落ち着いたって感じかな。とにかく、ここには新しいものがいっぱいさ。
 今は僕の下宿の数百メタ先にあるパン屋で仮働きさせてもらってます。仮働きといっても、ダルクよりずっとお給料がもらえるんだ。まあ、そのぶん物価は高いんだけれども。と言うことで少しだけどお金を送ります。こっちに来るときにはいろんなものを用意してもらったからね。僕のできることをしなくっちゃ。これで何か美味しいものでも食べてください。
 じいちゃんとばあちゃんによろしく。あとリタにもよろしく言ってください。風の噂でダルクの人がトルフレアに来る予定があると聞きました。誰が来るんだろう。会えることを楽しみにしています。
              アーネスト


「元気にやってるみたいだ。安心したよ」
「そうみたいね。それにこんなにお金を送ってきて。やっぱり王国は違うのねえ」
「アーネストも頑張ってるんだ。俺もがんばんねえとな」
「そうね......新しい家族もできることだし」
「うん、そうだ.........何だって?!」
「なんかおかしいなと思ってお医者様に見てもらったの。そしたら......」



「...............」

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This is the way.[prologue]3

「......良くない知らせだ」
「.........!」
「今すぐに対処せねば。守衛長!!!」
「   何でしょう、閣下!」
「城の警備を警戒体制その三に置け。夜間はそれの一・五倍だ」
「承りました、閣下!」
「陛下、その三と言えば、最大級の警戒ではありませんか。一体何が......」
「その名を聞けばあなたもわかろう。」
「.........?」
「......"ゼノ"が、現れた」
「.........!」
「ゼノの予言は知っておるな」
「もちろんです。子供の頃に叩き込まれますから。」

 必ずや人は彼を知る
 盾の城の夜も更ければ
 奇妙な声(ゼノ)は高らかに笑う
 朝は来るのだと高らかに笑う

「しかし、伝説だと思っていました。実在するとは...」
「予言はいつだって伝説のように語られる。ゼノはその最たる例だ。しかし、私もまだ先のことだと思っていた」
「アランビルの予言がその実不真だとは...」
「あなたはアランビルの予言が外れたことを知っているのか?」
「.........」
「彼女がする予言は占星術などのまやかしではない、神託そのものだ。これを無下になどできるものか」
「...では......?」
「あなたの配下に間諜がいただろう、エルムとアベデだったか」
「はい、陛下」
「彼らをトルフレアにやれ。ゼノを探すのだ、今すぐに!」
「わかりました、陛下。すぐにやりましょう。」




「ゼノ、か。百三十年ぶりに、それも一人ではない、か。これは面白いことになりそうだ」

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This is the way.[prologue]2



ーークリペウス要塞ーー

「陛下ッ、陛下ー!」
「どうしたガイオ卿、騒々しいぞ」
「陛下ッ、お告げの結果が出たのです!これをッ」
「ほう、お告げと言うと、アランビルだな」
「そうです、彼が三週間前から瞑想して...」
「ああわかったわかった。その話はあなたからさんざん聞いた。早く渡せ」
「あ、はい!こちらです、陛下。まだ封は開けておりません」
「当たり前だ、卿。私が見るより先にあなたが見ていたら、あなたはしばらくの間日を見ることはなかった」
「ささ、早くお読みになってください!」
「わかった、そう急くな。今開けるから」
「.........」
「.........」
「...............」
「...............」
「陛下、一体何が...」
「ええいうるさいッ!気が散って読めんだろうが!!!」
「も、申し訳ございませんッ!」
「いちいち叫ばずともよい!はあ......。どうしてこうも我が城の者はせっかちなのだ......」
「王よ、早く...」
「今読んでるッッッ!」



「...............」
「...もう急かさんのか」
「...叱られますから」
「学んだようだな」
「もちろんです」
「それでこそ我が僕だ」
「ありがたき幸せ」
「それに比べて奴らと来たらどんなにわ」
「陛下、わざと焦らしておられますか?」
「いや、すまない。今読み終わった」
「(溜め息)」
「...今溜め息をついたか?」
「いいえとんでもない」
「......なら良い。それにしても長い予言文だった」
「なんと、書かれていたのですか」
「......良くない知らせだ」
「.........!」

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LOST MEMORIES ⅡCⅡⅩⅣ

「クッキーありがとう。」
寝る前、ふと思い出してチャールズに声をかける。例にならって、チャールズは眼鏡をかけて本を読んでいた。
「使うべき時が、ちゃんと来たでしょう?」
顔をあげてこちらを見るその碧は柔らかく優しい。
察してくれて良かったですと微笑む彼は、ついでに、さすがに持ち帰ってこられたらふたりの立ち居振舞いを疑ってしまいますからね,なんて辛辣な言葉も添えて寄越したのだが。
「でも、どうして?」
野暮な質問であることに気付くべきだった。お嬢さま,とたしなめるような声の調子に、困ったような呆れたような笑みを貼り付けるも、チャールズは答えてくれる。
「きっと払わせてくれないと思ったから。そう言って、渡されたことがあるんです。」
チャールズは続ける。
「こちら側としては相手に払わせる選択肢は存在しないのですが、さすがに当たり前のような顔をされてしまうのは癪でしょう?」
さも可笑しそうに言う。
経験があると見た。
「だから、それが嬉しかったんですよね。
まあ、彼がどう思ったかは図りかねますが、嫌だと受け取られることはないでしょう。」
思い起こすが、嫌悪感はなかったはずだ。
「10年の差って大きいのね……。」
チャールズの話を聞き、違いを分かりやすく突きつけられ、改めて感心する瑛瑠だった。

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This is the way. [prologue] 1



ーーケンティライム特別収容所ーー

「えらく真っ暗だな…」
「夜だからな…。流石に今灯りをつけると大騒ぎになるぞ」
「ああ、だろうな、この血の気の多い奴らめ…。何かと文句をつけて騒ぎたがるんだから。この間だってそうだ、いびきがうるさくて眠れないとかで真夜中に大騒ぎしやがった。救護班も大忙しだったらしい」
「全く…。俺たちにはどうしようもねえよ。"ヤツ"以外はそれこそ何かにつけて騒ぎたがる野郎共ばかりなんだから」
「"ヤツ"って……あの、No.2のことか?」
「そうだ。…しかしそのNo.2の眼つきだ、No.1さえ凌ぐ凄みでいやがる。一体何をしでかしたんだか、まあせいぜい看守の俺たちには知るよしもないがな」
「だが、あの歳でNo.2たあ、さぞえらいことをやらかしたんだろうな。いつここに来たんだ?」
「ん?ああ、そうか。お前さんは十日前にここに配属になったんだっけか。"ヤツ"は、そう、ちょうど今日から三ヶ月前にここに来たんだ」
「三ヶ月前…ってことはまさか、"ヤツ"があの……?!」
「シッ、声をあげるな。そう、例の件の主人公だと、俺たちは踏んでる」
「ううむ…」
「ま、俺たちには関係のない話さ。俺たちは俺たちの仕事をする。それだけだ」
「うん…。故郷に置いてきた息子がちょうど同じくらいの歳で…うわあっ!」
「おい、静かに…!どうしたんだ」
「こ、こいつ起きてやがる…」
「ん?ああ、夜回りは初めてか?No.2はいつも目を開けたまま寝るって有名な話だぜ」
「これ寝てんのか…。なんて野郎だ」
「さあ、見回りを続けるぞ。ほら、気が散って足音がでかくなってる」
「ああ、すまんすまん。ったくそれにしても上は何を考えてるんだ。夜回りのやつにくらい、こんな軍靴じゃなくてもっと足音のたたない靴を.........」





「.........。」

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そういえば今日は、向こうの城でも結婚式が行われていた

無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡る。ばしゃんと下品な水柱を立てて青の舞台へ入場した僕の身体は、彼女から貰ったあれやそれで一杯のリュックを重りにみるみる沈んでいく。

ソーダのグラスに鎮座する氷には、すべてがこんな風に見えているのか。歪んだ月光で満ちた水面にそんなことを思う。美しさを言葉に昇華させたくなるのは、物語を作る者だけが患うことの出来る病だ。──病人で在ることを辞められなかったばかりに、彼女を失ってしまったわけだが。

孵る気配のないたまご作家の廃棄を決行した彼女は今、別の男と誓いのキスを交わしている。いかにも金を持っていそうな面をした、いけ好かない野郎だった。今日をもって正式に夫婦となる奴らめのお陰で、僕はこれからこの世界から居なくなるのだ。

穏やかに最低な気分だ。吐いた溜め息は星のような丸に形をなし、届くはずもない夜空へ向かって昇っていく。のを、眺めていた、ら。どぶんと鈍い入場曲と共に、大きな花のようなものが落ちてくる。とうに感覚のない両腕でどうにか受け止めたそれは、──ドレスを身にまとった『何か』だった。

性別は女であろう『何か』は短刀を握り締めていて、人と魚との間をさ迷いながら、煌びやかな布の中でしゅわしゅわと溶けていく。この世のものとは思えない光景だから、此処はもうこの世ではないのだろう。ふっと笑ってしまったのが伝わったのか、胸に抱いた『何か』は不思議そうに僕を見やる。

ごめんね、なんだか、愛しくて。声は音になんかなりやしなかったが、彼女と似た色の瞳にそう言った。下がる眦はますます彼女に似ている。さよならのない世界へ生まれ直して、また会おう。鼓膜に響いた甘い夢がどちらの唇から零れたものなのかは、もう分からなかった。

無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡って、──瞼を閉じる。次に目が覚めたとき、きっと僕はあの話を完成させている。泡沫に塗れたこの景色を言葉に昇華させて、彼女に読ませてやれたら。

幕を引いていく意識の中、抜けるような真珠の爪先だけが泣きそうに鮮烈だった。

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