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もののけがたり

夜とも朝ともつかぬ淡い色をいっぱいに湛えた明け六つ、まだ微かに寝息が聞こえる長屋に面した細い路地に若い女の絶叫がこだまする。
女はへたりと地べたに尻もちをつき、片手で口を押さえながら震える体を辛うじてもう片方の手で支えながら後退りしているところだった。
「ひっ、人が…人が死んでっ……!」
女が指差す方には、仰向けに倒れている男がいた。目をかっと見開いているが、ぴくりとも動かない。気付けば背後にはわらわらと人が集まっていた。
「死人か?」「誰か死んだのか?」
「待て、こいつ、息をしている。」
男の鼻に掌をあてると、ゆっくりと呼吸をしていた。瀕死の呼吸、というよりは寝息のようなものだった。
野次馬がざわめく。ひとりの野次馬が言った。
「おい、こいつ、なんだか酒臭くねぇか……?」
そう言ったのはなかでも異常に鼻が良いことで有名な男だった。言われてみれば今更だが、酒臭いような気がする。一瞬の静寂が落ち、次の瞬間には大きな笑いが巻き起こっていた。
「ひっ、ひひっ、なんだぁ酒飲みが酔っ払って寝てただけじゃあねぇか大袈裟な!」
「いやぁーそれにしても、目を開けて寝る輩がいたとは。」
確かにそうである。目を開けて寝る奴なんてそうそういるものではないだろう。しかしこのまま寝かせておくわけにもいかない。
「ほらお前さん、起きな。」
男の脇腹をぽんぽんと叩く。男は余程酔っているのだろう、全くもって起きる気配がない。
しかしその瞬間、不意に男の眼球がにゅるりと一回転した。全員が息を飲む音が聞こえた。
この世のものとは思えない不気味さに空気が震える。

しかしそれ以前にひとつ、気付いてしまったことがある。左目の下の泣きぼくろ。その斜め下の頬についた小さな古傷。
見れば見るほど、その姿形は自分自身ではないか……。

2

妖怪と面

「なあ、多々良木。祭りにお面っていうのはやはりどこの世界でも共通なのか?」
木村が指を指した方向にはお面屋がある。
今日は祭日であり、そのお面屋の前では着物姿の子供が母親にお面を買ってもらっている。多々良木はしばらくその様子を眺めてから、言った。
「まあ、定番だよな。お面」
「妖怪がお面を被って、なにか楽しいのだろうか」
お面を買ってもらっていた少女には、狐の耳と尻尾がついていた。そして隣を歩く多々良木には鬼の角が生えている。
「どういう意味だ?」
「そのまんま。妖怪が妖怪のお面被って何が楽しいわけ?」
件のお面屋で売られているのは妖怪のお面である。妖怪のお面を妖怪が買って妖怪に化けるなど、変な話である。
「そりゃあれだろ。”妖怪じゃない奴”が来ても祭りを歩けるようにだろ」
「つまり?」
「つまり妖怪と”妖怪じゃない奴”――人間はひと目見て区別できるだろ?それじゃこの世に来た人間は祭りを楽しめない。なんたって人間は空想上の生き物だぜ?奇怪な目で見られるに決まってる。だからお面を被ってひと目で判断できないようにしてるんだ」
「へぇ」
「昔ばあちゃんから聞いた話だ。木村もなんか被ってみるか?」
「ああ。それじゃあ鬼の面、かな」
「おっ。俺と同じ種族になるってぇか。はは。いいな。んじゃ買ってくるわ」
「多々良木」
「なんだ?」
「ありがとな」
「いいってことよ。だからちゃんと祭り楽しめよ」
「ああ」
空想上の生き物が頷いた。

〜〜〜
妖怪は日本人が様々な現象に人格を与えたもの、と思っています。
この物語、舞台が妖怪の世界なのですが、まるまる人間の世界に置き換えるとって思うとわくわくしませんか? 祭りでお面をかぶっている人の中に妖怪が……。まあまつりでお面被ってる人なんて見たことありませんがね。

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0

rainyday

日は傾いて見る間に輪郭を溶かす
慌ててなにもかも袖の中隠そうとしても
薄暗さは動きを奪いとり
そっくりまるごと止めてゆきました
なにも目には映らなくて
瞼を閉じても開けても暗闇ばかり
きっと私が涙を流していても
自分ですら気付くことはないでしょう

なにも見る必要なんてない
暗闇と錯覚に蝕まれるのをひしひしと感じながら
手探りで空気をかき回す
なにもかも無意味な空間を

限りなく夜に流れた夕暮れに
車のヘッドライトが雨に反射して
止めどなく落ちる雨粒を見るのが好きだと
いつかあなたは言った
なにも考えなくて済むのだと

アスファルトに刹那触れて
ゆっくりゆっくり飛び散った破片
反射する光もないままに
忘れたようについてきた音を嗤う

なにをしていても離れないのです
このまま人間として生きていけなくなるのではないかと思うほどに
脳裏に焦げ付いて離れないのはあなた
写真に映ったあなたはきっと虚像
この手に感じた感触さえ信じられないのです

rainyday

ヘッドライト照らされた雨粒
どんなに目で追っても終わらない
それでもとめどなく溢れてくるのはあなたの影

rainyday

あなたがいなければなにも成り立たない
こんなときに気づいても
もう少しだけ
もう少しだけ早く教えてくれれば良かったのに

神様

すっかり暗闇に包まれてしまった
今も雨は降っているのでしょうか





1

もののけ

 酔って帰宅し、玄関に倒れ、猫が死にかけのゴキブリをもてあそんでいるのをぼんやりながめた。果たして俺は生きているのか死んでいるのか。
「この世は本当に存在しているのか。すべては幻ではないのか」
 俺はつぶやいた。すると、「人間は外部を知覚し、考察を加えることによって現実をものにするのだ」という声が部屋のどこからかきこえた。
「誰だあんたは」
 俺は転がったままたずねた。
「この世ならざるものとでも言っておこう」
 声のするほうに目を凝らすと、着物姿の、人間に似ているが人間ではないと思われるたぐいのものがこちらを見下ろしていた。
「なるほど。急に目の前に現れるなんてまさにこの世のものとは思えない」
 俺は起き上がり、流しの水道からじかに水を飲んだ。
「さっきからいたよ。急に現れたように感じたのはお前がぼうっとしているからだ。鍵ぐらいかけておけ」
「べつにもう。どうでもいいんだ」
 俺はそう言って口をぬぐい、座り込んだ。
「ずいぶん病んでいるようだな」
「いまを生きているという実感がないんですよ」
「若者なんてだいたいみんなそんなものだろう」
「そうかな。でも、病んでいるんです」
「いま生きているかどうかなんてどうでもいいではないか。人間は未来を志向する生きものだ。樹木を傷つけて一定時間経過後、染み出してきた樹液を食すサルなどもいるが、人間の未来志向にはおよばない」
「未来なんて不確かなものですよ。妄想の産物でしかない」
 俺がそう言うと、すり寄ってきた猫をなでながらこの世ならざるものが言った。
「人間は現実より妄想依存型なのだよ。確かないまより不確かな未来。人間はパンによってのみ生きるのにあらず、妄想の力によって初めて人間として生きる。幻を生きるのが人間なのだ。お前はいまでさえ幻と感じている。完璧だ」
「よくわからないけど、少し希望がわいてきました」
「正月休み、あるんだろ。ちょっと遠出してみたらどうだ」
「はい。久しぶりにツーリングに行ってみようと思います」
 数時間後、高速道路の中央分離帯で俺は血を流してうめいていた。見上げると、あの、この世ならざるものが、笑顔で立っていた。こういうのをもののけというんだろうな、と薄れゆく意識のなか、思った。

5

雪が、落ちてゆく。

                   ゆ       こ
                    き      の
                     が     ゆ
                     ひ     き
                     と     が
                    ひ      お
                   ら       ち
                           き
                           る
                 ゆ         ま
                き          え
                が          に
                ふ
           あ     た
           な      ひ
           た       ら
           に
           あ
           い         ゆ
           し         き
           て         が
           る        み
           と       ひ
                  ら     つ
                        た
                        え
               ゆ        ら
               き        れ
               が        る
                よ       だ
                 ん      ろ
                  ひ     う
                   ら    か



                あ    わ
                な  と た
                た    し