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ユーラシア大陸縦横断旅23

深夜、ナウシキでロシア入国手続きを終えて眠りにつく
そして、目が覚めたら朝日で輝くプラットホームの駅に着いた
駅名を見ると、Улан-Удэ(ウランウデ)だ
そう、この駅はかつて俺がシベリア鉄道版の鉄道唱歌作詞で省くか否かで迷った場所である
当時の苦労を思い出しながら車窓を眺める
そして、セレンガ川を渡るところで彼女を起こす
なぜなら、セレンガ川を渡ると、彼女も俺もシベリア鉄道の旅で1番楽しみにしていたバイカル湖畔の風景が見えるはずなのだから
ありがたいことに、湖畔の天気は晴れだ
そして、彼女は湖面に映る青空と小高い山の風景を見ながらボソッと尋ねる
「今も結婚願望ってあるの?昔は『25になるまでに嫁さん欲しい』って言ってたけど」
「あるようでない。」とだけ返す
「あるようでないってどういうこと?」と聞き返されたので、「今は言えないよ…俺たちがパリに着く日になれば答えが分かるから、それまで待ってくれ」と返すと、彼女がふと「もしかして、私って魅力ないのかなぁ」と呟く
だが、俺はその呟きを聞かなかったフリをして「俺が結婚したいと思っている相手は一人しかいないし、むしろその人ほど魅力がある女性には会ったことも話したこともないんだがなぁ…」と呟く
「変なこと訊いちゃってごめん。もうこの話は終わりにしよう」そう言われて話題が変わり、広いバイカル湖畔南部の町、スリュジャンカの駅でオームリという名物の食べ物を誰が買うのかという話になり、俺が買うことになった。
俺はホームにいた物売りからなんとか最後の残りを買うことに成功したのだが、彼女が美味しいと言ってガツガツ食べるものだから、俺の取り分がほとんどなくなってしまった
幼少期に弟とよく食べ物を巡って喧嘩したので、どうすれば穏便に済むかは経験上知っている
だから、残りは彼女にあげた
そして、彼女がバイカル湖をすぎて一言、「ゆう君(俺の幼少期の愛称)みたいな優しい人と結婚したいなぁ」と呟く
そして、俺も「こんな一途に俺のこと思ってくれて、健気で、天然な彼女と結婚したいなぁ」と呟く
「え?今なんて?」と彼女は訊き返すが、対向列車との離合の音でかき消されて聞こえなかった

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ユーラシア大陸縦横断旅22

午前1時、俺たちはノックの音で起きた
どうやらここは中蒙国境の中国側にある内モンゴル自治区のエレンホト(二連)のようだ
2人とも中国語が話せないので、彼女は英語、俺は片言のロシア語で対応して中国を出国する
そして、俺たちはすぐにモンゴルへ入国するが、列車は線路幅の関係上台車変更の作業中だ
車内に戻って2人とも一眠りするとカーテンの向こう側から朝日が差し込んできた
時計を見ると6:20とのこと
つまり、ここはゴビ砂漠の中にあるサインシャンドということか
実際、駅名標にはキリル文字でサインシャンドと書いてあった
ウランバートルの街は午後2時半ごろに見ることになるのかなぁと思い、二度寝した
チョイルという街の駅に着いて目が覚めた
そこで気付いてしまったのだ
そう、食堂車での朝食の時間は終わってしまったと
そして、彼女もまだ寝ている
暇を持て余していたので、モンゴル語で自分が歌える唯一の歌を歌いながら窓の外を流れるモンゴルの広大な荒野と草原の景色を見る
「ダルハン〜マンナイ〜ツスゲル〜ウルス〜♪」と歌っていると、なぜか隣の客室が静かになった
そして、昼食時に食堂車で隣の客室にいたモンゴル人の客に話しかけられた
お互いに英語で会話していると、実は俺が鼻歌で歌っていたのはモンゴルの国歌だったことを知った
そして、俺はモンゴル国歌を歌える日本人として男女関係なくモンゴル人の乗客から人気者扱いされてしまった
そして、その光景を見ていた彼女が嫉妬したのは言うまでもなく、その後客室で平謝りした
気付いたら列車は起伏の激しいウランバートルの郊外にある高原まで出ていた
その高原地帯に沈む夕陽を2人で見て、関係の修復に成功した
そして、夜になりスフバートルに着き、いよいよロシア入りすることになる

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ユーラシア大陸縦横断旅21

上海虹橋空港に隣接した虹橋駅からおよそ4時間半、北京の駅に着いた
そして、会心の友とはここで分かれるはずだ
ところが、彼は「俺たちの先輩で日本大使館に勤務している人がお前に渡したいものがあるそうだ。それを受け取りに行かないか?」と言って俺とより長く一緒にいようとした
結局、日本大使館へ3人で行って紙袋の中に入ったプレゼントのように包装された小さな箱と俺の名前宛てに書かれた便箋らしき封筒を渡された
そして、封筒の中を開けてみると手紙が入っていた
俺が朝鮮半島にルーツがあることを誰かが知っていたのだろう
内容は日本語だが、ハングル表記で書かれていた
要約するとこうだ
「この紙袋の中には、あのガイドをしていた友達から教えてもらった情報を元に、彼女へのプロポーズ用の指輪が入った小さな箱が入っている。北京で開けずに、『愛の街』として知られるパリまで開けるなよ」とのことだ
それを読んで俺は自分のメンツを潰された気がして茫然としていた
彼女は「ハングルって難しい。解読して」と俺にねだってくる
「これはちょっと見せられないよ…」と言うしかなく、彼女もそれ以上は追及しなかった
そして、いよいよ北京を発つ時間になり、友に感謝の言葉を述べて俺たちは寝台列車に乗り込む
次に起きる頃にはもうモンゴルだ

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ユーラシア大陸縦横断旅20

3人揃って朝食を取った後、すぐに荷物を纏めて駅に行く途中のタクシーから京杭運河を見る
友曰く、「よく見ろよ。これが隋の煬帝の大運河を共産党下部組織の人たちが拡幅したもので、一部は世界文化遺産さ。」とのこと
俺たち2人の反応は少し違った
彼女は「これがあの大運河なの?すごい!初めて実物見たけどカッコいい」かなりと興奮気味
俺はというと、「大運河って、水の都の蘇州も通ってなかったっけ?」と質問する
「蘇州も天津も通るぞ。ただ、やっぱり終点の杭州が有名だな」とのこと
そんなやり取りを経て、杭州の駅に着いた
上海まではおよそ40分ほどだそうだ
実際、思いの外すぐに上海に着いた
ただ、列車の接続の都合上上海観光はお預けになった
それを聞いた彼女は少し残念そうだ
「超大都会の景色、見てみたかったなぁ…」
「俺も中国最大規模の貿易港の港湾の風景見たかった…でも、まだまだ超がつくほどの大都会には寄るからそこの風景見ようよ。夜景で輝くタワーブリッジとか、夕暮れのグランプラスとか、昼下がりの東京のアップローズの庭とかオススメだよ」
「昨日の情報、役に立つな」と耳打ちされて苦笑いするしかなかった
そして、彼女が疑問符を浮かべる
「アップローズってのは東京、それも俺が生まれ育ったエリアの施設の名前さ」と解説する
そして、友から「それも、結婚式場な」と補足されて2人とも頬を染め、沈黙が続く
車内でそんなやり取りをしていると早くも列車が蘇州を通過した
そして、最初の停車駅、南京南に滑り込む
南京南を出てすぐに長江を渡ったが、まだまだ北京への道のりは長い

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杭州での一幕(ユーラシア大陸縦横断旅)

宿にチェックインしてすぐ、俺たちはカーテンを開けて眼下の夜景を眺めてすぐ、部屋のベッドの上に倒れ込んだ
それもそのはず
飛行機でも2時間半の距離を高速鉄道で約5時間、そしてそこにプラスしてビエンチャンからの約5時間、合計およそ10時間も列車に座っていたのだ
そして、会心の友から内線電話がかかってきたので俺が受ける
「2人とも、あんな長旅してるんだから疲れてるんだろ?だから、明日の朝まで起こさないよ。
ゆっくり寝て疲れ取れよ。でも、お互いが魅力的すぎてまともに眠れなかったとかいう言い訳はしないでくれよ?北京からの列車に間に合うよう全て手配してあるんだからな?
あっあと、お前が列車内で寝ている隙にお前にとって将来必要になるであろうモノを注文するためのメモ書いてズボンのポケットに突っ込んで置いたからな。参考にしてくれよ?」
「そのモノって何だ?危ないモノじゃないよな?」「おいおい…いくら何でも、危ないモノ注文してお前らの人生破滅させるほど愚かなことはしないぜ?そのモノってのは、婚約指輪だ。それだけ2人ともお似合いってことは将来的には彼女さんの左手に着けてやるんだろ?だったら、あらかじめ指のサイズ測った方がいいと思ってな」
そのやり取りを彼女も聞いていて、そばにいた彼女は顔を真っ赤にしてフリーズしていた
「君のその粋な計らいは嬉しいし、俺としても指輪なら将来的に渡すつもりだったからありがたいんだけど、そばで彼女が顔真っ赤にして聞いてるからその辺にしといてくれ」「お前も爆弾発言してないか?」
「あっ…」
それ以降の沈黙を破る砲撃のような大声で彼女が一言
「2人とも、あまり揶揄わないでください!」
そして、お互い気まずくなってどちらともなく電話を切った
お互いに興奮して眠れないので、過去の旅での体験談を語り合った
そして、話し疲れたのか彼女が寝落ちしたので、ベッドに運んでやることになった…
こんな可愛い姿見せられたら、眠れんわ!
彼女の寝顔が窓から差し込む月と港町のネオンの光に反射して今まで見たことない輝きを発していた

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ユーラシア大陸縦横断旅19

2人分の荷物を3人で分担して大急ぎで目の前に止まっているバスに運び込み、昆明南駅から昆明駅に移動する
そして、すぐに和諧号上海西行きの列車に乗るため手続きを済ませて3人で車内に入る
すると、彼が「手配しといた宿に連絡入れるなら早い方がいいと思うから、検札済んだらすぐデッキ行っていいか?」といきなり尋ねてくる
彼に何か考えがあるのだろうと察して、「わざわざすまない。」とだけ返した。すると、すぐに車掌が来て検札が済んだ。
その時に彼が中国語で車掌に一言二言発したのだが、俺は「シャンハイシー」と「ハンチョウ」という2つの駅名、そして中国語で「私たち」を意味する単語を聞き取った。
ここで得られた情報から、直感で「もしかしたら行き先が変わるのかもしれない」と察して万が一に備えて彼に聞いた。
「もしかして、俺たちは上海じゃなくて杭州で降りることになるのか?」
彼は「そうだ。勝手に変えて申し訳ないけど、実は宿が上海だと値段は高い上に予約取れなくてな。だから、杭州に宿を手配させてもらったんだけど、切符だけは事前に上海までの分で買っておいて、手続きの関係上切符の変更が間に合わなかったんだ。あと、彼女さんもお前と同じ宿の方が心強いだろ?だから、さっきバスで彼女さんと話して宿の変更について承諾受けたから、彼女さんの宿も変えようと思ってな」と言ってスマホを持ってデッキに向かっていった。
それからおよそ20分、「おい、彼女さん起きたら伝えてあげて。『宿の変更できた』ってな。一応、俺も君たちと同じ宿取ってあるよ。部屋は分けてもらったよ。彼女さんとお前で一部屋使いな。」と言いながら彼が戻ってきた。
「甘い一時過ごしても良いけど、部屋の中だけにしてくれよ?俺は見てられんよ」という捨て台詞付きで
そして、列車が義烏の駅を通過する頃に彼女を起こして、降りる支度をする
あと、数十分で歴史と水路の街、杭州だ
明日の昼の列車で上海西へ行き、そこから北京行きの和諧号に乗り換えて北京を目指すことになっている
彼曰く、今回の宿では部屋から浙江省随一の大都市、杭州の夜景が一望できるそうだ
そんな話に俺たちカップルが想像を膨らませていると、列車は杭州の一つ手前の駅を通過した
目的の駅に着いて外に出ると、海の方から昇る月が綺麗だ

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ユーラシア大陸縦横断旅17

中国入ってからも昆明までは意外と時間かかるなぁ
どこかの駅に着いたようだが、今いるのはどこだ?
駅名標を見ると普洱と書いてある
そして気付いた
ここは俺が大好きな中国茶の一種、プーアール茶の産地であること
そして、ここで降りた少数民族らしき乗客の多くは、この辺りの茶畑やその周辺の集落で生活している人なのだと
トンネルだらけの区間で、しかもかなりの長旅で疲れたらしい彼女は寝ていたが、起きて一言
「大勢の人が降りたけど、ここって何か有名なものあるの?」「ここか?九州で言うと知覧みたいな町さ。お茶で有名なんだよ。中国茶の中で俺が特に好きなプーアール茶の産地なんだ。香りは少しクセがあるけど、味は美味しいからハマるよ。」「中国茶はほとんど飲んだことないから分からないなぁ」「俺は一時期、中国茶にハマってお茶っ葉ごと買って自分で淹れて飲んでたことあるよ。特に、福建や台湾の烏龍茶と雲南のプーアール茶が好きでよく飲んでたなぁ。まあでも、インドのチャイとかイギリスの紅茶にハマってからは中国茶飲まなくなったけど…機会があれば淹れてあげるよ」
シベリア鉄道の車両なら、サモワールで紅茶淹れて飲むことできるんだろうけど、モンゴル経由モスクワ行きの列車って、確か中国国鉄の車両を中国とモンゴル国境のモンゴル側に位置するザミンウードで台車を替えて直通させるんだよなぁ

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ユーラシア大陸縦横断旅16

列車はまだラオス領内だ
「どうして第三者呼ぶことにしたの?私たち2人の旅なのに」彼女はかなり不満そうだ
「中国ってかなりIT産業が進んでて、もう現金使えない店が大半なんだ。それこそ、田舎町の屋台であってもね。中国国民はホテルも列車の切符もみんな国からのQRコードアプリで支払いできるんだけど、中国政府から見た短期滞在の外国人観光客、つまり俺たちみたいな人はそのQRコードとそのアプリを使えないんだよ。だから、決済に協力してくれる人と一緒に動いた方が良いと思ってね。高校2年の頃に意気投合して1番仲良くなった同級生の男子生徒は中国人で向こうの市民権も持ってる人だ。しかも、彼は当局関係者の特権を持っている人だから、彼に協力してもらえればより円滑に旅を進められると思ってね。和諧号という高速鉄道を昆明と上海で乗り継ぐんだけど、その時の入場にはその政府支給のQRコードがない人は面倒な手続きを経なくちゃいけないんだけど、そのQRコード持ってる人に同伴してもらえるとその手続きが簡略化されて北京着いたらすぐに隔日運行のモスクワ行きの列車に乗れるんだよ。だから、申し訳ないけど北京まで辛抱してくれ」俺がそう言うと彼女は「流石私の彼氏だね。そこまで考えてなかったよ」と苦笑いを浮かべている
そして、しっかりしているように見えて意外と抜けているところがあるという共通点が見つかり、お互いに惚れ直して笑っている
ついに、国境まで来た
これから一気に中国領内を約時速300キロの列車で駆け抜けて華北まで向かう
一時的に漢字が見られるが、日本や台湾の漢字とは字体が異なるのでうまく読めるか分からないな

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ユーラシア大陸縦横断旅13

ハットヤイの街を抜けてすぐ、進行方向右側に湖が見えた
「あの湖ってどこに繋がってるの?」彼女は見たことないものを眺める5歳の子供のようにはしゃぎながら尋ねる「アレか?アレは、ソンクラーの街に繋がっていて、そこから海に繋がっているよ。」「ソンクラーって、かつて日本軍が上陸したシンゴラのこと?」「そうだね。まぁでも、シンゴラはタイの領土だからタイ語ではソンクラーという名前になるね」「山田長政が最期を迎えたパタニーってどの辺?」「シンゴラの南さ。俺たちは西海岸に近い内陸部からタイ入りしたけど、東海岸に沿って北上するとタイに入って最初の街なんだとよ」「私が歴史好きなの知ってるでしょ?だから、山田長政ゆかりの土地行きたかったなぁ…」「センセープ運河の船乗りたかったけど、君のためならプラン変えるよ。ただ、アユタヤとバンコクって距離があるからアユタヤだけでいい?」「距離ってどのくらい?」「東京から函嶺洞門くらい」「箱根駅伝で喩えないで(笑)」「博多から下関くらいって言えば分かるかい?」「意外と離れてるんだね」「だから、アユタヤ行ってたら市内観光してる時間がないんよ。まあいいか、近代的な都会なら俺の故郷、シンガポール、KLの街並み見たんだし」「東京出身者は羨ましいなぁ…」「でも、君が俺の隣にいなくて故郷の福岡県にいたから俺、夕陽見るのがつらくなってたんだよなぁ」「そっか…東京から見たら福岡って西の方だから、まさに日が沈む方角か〜」
そんなやり取りを経ておよそ10時間、チャオプラヤ川をまず渡り、チャオプラヤ川に繋がるような構造で張り巡らされた運河を渡った。
そして、着いたのだ
正式名称がべらぼうに長くて全部言えない街、バンコクに!

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ユーラシア大陸縦横断旅12

朝飯はマレーやインドネシアでよく食べられているブブールというお粥に決定
そして、列車に乗り込む
「Любимый(ロシア語でパートナーを呼ぶ時に使う言葉、ただし女性が使う)、昨日は色々迷惑かけてごめんね。疲れちゃったんじゃない?」
「気にしないでくれよ。一昨日の昭南島滞在の方が頭使って疲れたから大丈夫さ。」「え?昭南島?シンガポールのこと?」「そうだね。これがその写真さ。古戦場のブキテマ高地、それから2・15の交渉が行われたフォードの工場跡とか色々あるよ。そうだ!昨日のKL、そして今朝撮った君の可愛い寝顔の写真も見るかい?」「寝顔は消してよ〜(笑)」「こんな綺麗な彼女の寝顔を消せなんて、流石に酷だろ」「そんなに綺麗だった?」「バシー海峡に沈む夕陽よりも綺麗だったけど?」「バシー海峡って?」「台湾とフィリピンの間の海峡さ。俺、KLを訪れてからおよそ2年半後に台湾島の最南端に位置する墾丁というリゾート地を訪れたことがあるんだ。その時に最南端の岬で夕陽を観たんだ。これがその写真ね」「糸島の海みたい」「まぁバシー海峡も玄界灘も東シナ海と繋がってるから同じようなもんだしな」
そんなやり取りをする2人を乗せ、およそ16時間かけてクルンテープまで向かう

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ユーラシア大陸縦横断旅⑧

「ちょっと遠回りになるけどモノレールにする?それとも、地下鉄で直行にする?ペトロナスツインタワーにはこの2通りの行き方があるんだけど、君に任せるよ」
「じゃあ、モノレールにしよっか」
そして、タワーの展望室へ
「アイツにもここの夕焼け見せたかったなぁ…」「え?」
「兄貴、覚えてる?私、好きな人のこと諦めきれないって言って兄貴の告白2回保留にしたの」「そう言えば、あったなぁ…」「その時の『好きな人』と付き合ったはいいんだけど、『君は俺にとって大切なことを理解してくれないのに愛情だけは重いから、もう疲れたんだ。悪いけどもうアプローチしないでくれ。今までの関係も白紙にしてくれ。』って振られちゃったんだ…」「そうだったのか…つらいこと思い出させちまってすまなかった」「兄貴、頭上げてよ。ここ、イスラム圏でしょ?(笑)」「そうだな。現地の人に誤解されたらどうしよう。って言うか、やっと心から笑ってくれたね。まだ会って数時間だけど、こっちは君が作り笑いしてばかりで心配してたんだぜ?」「気付いてたの?」「そりゃ気付くさ。誰だってあんなリアクションされたらな」「そっかwところで今、何時?」「あっ、あと2時間で列車行っちゃう」「夕飯食べて行かないと明日の朝まで飲まず食わず?」「そうだな。とりあえず、急いでセントラルまで戻るよ。ビュッフェだけどマレー料理の品揃え豊富な穴場食堂がセントラルの駅前にあるんだ」
そう言い切る前に、俺たち2人はエレベーターに飛び乗り、駅までの連絡通路を駆け抜ける

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ユーラシア大陸縦横断旅⑥

「お呼びですか?」「クアラルンプール来るの初めてで、市街地への行き方が分からないのに、言葉も通じなくって…」「市街地のどの辺ですか?」
「ペトロナスツインタワーなんですけど…」「俺もちょうどそこ行こうと思ってたので、ご一緒しますね」「ありがとうございます。お兄さん、お名前伺ってもよろしいですか」「○○(俺の本名)です。」「かなり珍しいお名前ですね」「そりゃそうでしょう。自分、純日本人じゃなくて日韓ハーフなんですよ。それで、親が日本語でも韓国語でも呼びやすい名前にということで付けてもらったんですよ」
「お兄さんの下の名前って、漢字だとどう書きますか?」
俺が名前の漢字を書いてみせる
すると、向こうが驚いた
「え?もしかして、東京の兄貴?」「じゃあ、もしかして、君は俺がいつぞやの初夏に恋して忘れられなかった九州の妹分?君の名前の漢字ってこうだっけ?」
とりあえず九州にいる想い人の下の名前書いてみる「私の名前、それだよ!というか、あの時私に恋してそれ以来忘れられなかったの?」
「そうだよ悪かったな。あの時、オープンチャットで君に恋してお互いやり取りできなくなって以降、俺の好みに合う女性に巡り会えなくて、君のこと忘れられなくなってな」「そうだったんだ…
実は、福岡発だとまだクアラルンプール行きの直行便ないの。だから、バンコク経由かシンガポール経由なんだけど、安かったのがバンコク経由よ。
でも、鉄道旅でバンコク経由してラオス行くから、また戻る感じになりそうだけどね」
「え?バンコク経由して列車でラオス行くの?」「うん。ラオスからは中国が作った国際列車で雲南省昆明まで行って、そこから高速列車で北上して北京、モンゴル経由でロンドンまで行くの」「俺のとルート一緒じゃん。切符のデータってある?」「はい、これ」「こんなことってある?全部同じ列車だ。しかも、指定席は隣だし、寝台列車は2人用相部屋なんだけど寝台は俺と同室じゃん」「兄貴、これからロンドンまでよろしくね。」「こちらこそよろしくな。ここ、クアラルンプールもヨーロッパはベルギーのブリュッセルも、ロンドンも一度は訪れたことあるから、案内は任せてよ。」
そう、俺はかつてオープンチャットで恋した後輩のまだ見ぬ女の子と再会(?)したのだった
列車が来る時間が近づいたので、2人分荷物を持って駅へ行く。

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ユーラシア大陸縦横断の旅⑤

前泊まった時はここのホテルで朝飯食えずに朝イチの空港シャトルでターミナル行ってすぐにデンパサール行きに乗ったよなぁ
朝飯はビュッフェか
イスラム教を信仰する人が多いから、料理もハラールの物が多いなぁ
この国は他民族国家だから、他の国の料理も選択肢に入ってるけど、まあいいか
朝からカレーも食っちゃえ!
だいぶ食ったなぁ
さて、チェックアウトまでは時間あるし、空港行こうかなぁ
「バンコク乗り継ぎだったけど、無事着けてよかった〜」
え?今の日本語だよな?それも若い女性の声?
というか、この人は日本から安く行ける直行便あるのに、なんでバンコク経由という選択肢取ったの?そんなことを疑問に思ってた
「どうしたらいいの、言葉が通じない…」
「『どうしたらいいの』ってこっちが言いたいよ…
チェックアウト済んだはいいものの、この観光客助けてたら本数が少ない速達列車に乗り遅れちゃうんじゃないか?ここ、駅から少し離れてるもん」と思わず日本語で言ってしまった
「そこのお兄さん、ちょっといいですか?」
呼ばれたら無視することはできないもんなぁ
しょうがねえ、一本後の特急乗るか
あの時はこの会話から運命の出会いになるとは思わなかった

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ユーラシア大陸縦横断旅②

2つの観光地に近いチャイナタウンのホテルでチェックイン
ここ、シンガポールは中国にルーツを持つ人、いわゆる華僑とか華人と呼ばれる人が多い
しかも、その多くは福建省とか広東省と言った中国南方の美食で知られる地方にルーツを持つ中華料理、それも南方の料理が美味しいはずだ
でも、インド系の人も多いからインド料理も旨そう
シンガポール名物の海南鶏飯でも食べるか!
アレ、結構美味いんだよなぁ
海南鶏飯って、実は中国の海南島のあたりの移民が持ち込んだ鶏肉と米の料理だからそのまま海南鶏飯と呼ばれてるんだよなぁ
まあ、日本ではシンガポールチキンライスって呼ばれてるけど
タイ料理のカオマンガイと確かルーツは同じだから、バンコクでカオマンガイ食べるとなると2日連続で同じもの晩飯で食べることになりそうだなぁ
まあいいか
旅先の郷土料理の中でも、特に俺の好みに合う物を食べるのが俺の美徳なんだから
そうと決まれば、チャイナタウンで街歩きしながら、食べ歩くか〜
ー2時間後ー
あっ…食べ過ぎて歩くのキツい
いやまぁ、大好物だとは言え一品で一食賄える料理を店5軒回って同じ料理食べまくったからな
シンガポールは物価高いけど、その割にこの料理は安くガッツリ食べられるからって調子乗り過ぎた…
明日、長距離を列車で移動するのにこりゃ大変なことになるだろうなぁ
まあいいか
明日のJB(ジョホールバル)発の列車は夕方の便だから、午後2時くらいまでは観光できるかなぁ

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ユーラシア大陸縦横断旅①

ここは午前6時の成田空港1ター南ウィン
俺が乗るのはSQ637便、シンガポール・チャンギ国際空港行きだ
俺は念願の大陸縦横断の旅に行くつもりで起点をシンガポールに選んだ
なぜなら、シンガポール側のウッドランド駅からは世界最短の国際列車が出ており、対岸のジョホールバル経由で北上してKL、そしてクルンテープ、いわゆるバンコクを経由してさらにラオス経由で中国雲南省へと北上し、さらに北上して北京からモンゴルのウランバートル経由でモスクワへ行く
モスクワからはミンスク、ワルシャワ経由ベルリン行きでドイツ入りし、ベルリンからハンブルク経由でケルン、ケルンからブリュッセル経由でパリ、パリから先はユーロスターでロンドンまでの長旅だ
時は変わってここは機内
離陸してすぐ、利根川と霞ヶ浦が左に見えた
そして、今度は房総半島が右に見える
ここから太平洋に出て、フィリピンはミンドロ島のサンタクルズ上空を経由してリアウ諸島沖上空から着陸する8時間の旅
飛行機は日本時間の午前10時50分発
つまり、到着は日本時間で夜7時になる
俺は進行方向右列の窓側に座っているから、到着時はジョホール海峡に沈む夕陽が見えるはず
アレ?
到着早まった?
気づいたら、チャンギ国際空港の3ターに到着だ
さあ、今日はどこで晩飯食おうかなぁ

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My memory in London 〜幼馴染の君へ〜

成田の2ターから香港経由で飛ぶことおよそ20時間
ロンドン西郊ヒースロー空港に降り立った
それから1時間ほど経ってかの有名な時計塔の前をタクシーで通ったら夜11時を告げる鐘が鳴った
君に会いにここまで来たんだ
大陸一個飛び越えたんだよ?
もともと母親同士が仲良くて俺たちも仲良くなったそんな君との幼稚園の卒園式以来の再会を楽しみに、日本海もウラル山脈もドーバー海峡も越えてブリテンの島に降り立った
君に真っ先に会いに行きたかった
でも、弟の幼馴染も英国にいたから、そちらを優先せざるを得なかった
大英博物館の展示品は圧巻だったし、オーストラリアのシドニーで食べて以来のフィッシュ&チップスも美味かった
一時的に君のこと忘れてロンドン観光を楽しんでしまった
タワーブリッジだって何度もバスで渡ったし、飽きるほどダブルデッカーバスにも乗った
チューブにも乗った
テムズにかかるウォータールーの橋から見る夕焼けは綺麗だったなぁ
君と再会したのは俺がヨーロッパ旅行の真っ最中で次の旅先であるコペンハーゲンに飛ぶ前日だった
君との再会の時は俺たち2人とも、ガチガチに緊張してめちゃくちゃ他人行儀だったな
それでも、俺はあの時君に会えて本当に良かったよ
デンマーク行きのスカンディナビア航空の機内で名残惜しくて泣いた
でも、EUレールパスの日付の関係で次はいつ会えるか分からない中シェラン島へ行かなくてはならなかった
それから3年、君が帰国して気付いたら同じ高校で、同じクラスになった
緊急事態宣言発令直撃で登校不能
オンライン学活でロンドンまで君に会いに行ったこと忘れられてたのは忘れないよ
結局、俺たち地元の幼馴染コンビでうまくやっていけたのはクラスが同じ最初の一年間だけだったよな
俺は誕生日も幼稚園の頃のかけっこもヨーロッパ行きも全て君より遅かったけど、今日やっと18になれた
将来のことで分岐することはあるだろうけど、どんなに離れていても俺たちは同じ地元のエースさ
これからもよろしくな
俺たちが20歳になる2年後にはコロナも収まるだろうから、その時は一緒に思い出の街、ロンドンでビールでも、いやイギリスではエールが主流か
まぁとにかくロンドンのパブでフィッシュ&チップスと思い出話を肴に酒飲みながら男同士語り合えることを願ってる
受験、頑張ろうな

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友へ

君との出会いは小学3年の秋だった
当時の俺は特定の相手にしか心を開かなくて君にも迷惑かけたっけ
お互いに色々あって、小学4年に上がったと同時に離れ離れになってたよな
俺は君と離れ離れになった頃に習っていた剣道でお世話になった鉄道好きの先輩2人の後を追って、先輩達と同じ中学に進んだ
そしたら、入学式の日に君がいて驚いたよ
俺は昔みたいに先輩達と話をしていたら、君も俺と同じ鉄道ファンだと知って俺たち3人と同じ会話のグループに入ってゆき、君の幼馴染の鉄道ファンも加わって5人のグループが出来上がったな
俺は中央線を駆け抜けた特急型車両のラストランには立ち会えなかったけど、君が代わりに行って、写真も撮って送ってくれて助かったよ
それから俺たち4人で集まったのはその年の夏の地元の阿波踊りだったな
俺はみんなと分かれた後、東京駅に直行して当時先が短いと言われていた特急の車両を見に行ったんだ
それから2年、俺たちの地元、東京でもコロナが流行り始めてヤバいことになるかもしれない時に君の企画のもとで半ば無理矢理行った卒業旅行でのことは忘れないよ
前日に急遽待ち合わせの時間を前倒ししたのに、俺が当日に寝坊して当初の予定通りにことを進めた結果3人揃って泉岳寺から歩くハメになってしまってごめん
俺は予定があって君たちより先に帰ったけど、あの時に降り立った砂浜で遊んだこと、それから河津桜と菜の花が織りなす色の絨毯は今でも印象に残ってる
高校が別々になったから、大学も将来歩む道も別々になるだろうけど、俺たち3人はいつまでも同じ中学の同級生鉄オタトリオとして永久に不滅の絆と友情で繋がっている
君の世話になったからこそ、次は俺が高校の卒業旅行を計画しようと思う
俺たちの友情を再確認するために、またあの砂浜で写真を撮ることは確定だけどね
そして、俺たちは新たなステージへ飛び出し、予定が合えば何度でもあの砂浜に行こうや
母校と同じくらい、大切な俺たちの原点だから

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往年の列車は心の中へ

幼き日の俺を乗せて韓国の大地を走り抜けたセマウル号はあの窓が楕円の客車から最新式の四角窓のITXセマウルになった
日本では俺が乗ることは叶わなかったが、名前が次世代の名前に受け継がれた列車は数多くある
遠い北陸と越後湯沢を結んだ「はくたか」は新幹線に、ブルートレインでお馴染みの「はやぶさ」、「さくら」も新幹線の愛称になった
1番の憧れだった大阪と札幌を結ぶことで有名な
トワイライトエクスプレスはクルージングトレイン
トワイライトエクスプレス瑞風になった
急行銀河もWEST EXPRESS 銀河となった
夢の超特急として知られた0系こだま
300系ひかり、500系のぞみも今はN700系,N700A,N700Sの3つの車両にその名を譲り、今は一線を退いた
それから最近,九州では特急かもめが無くなって新幹線の名前にもなってたな
甲州街道沿いを駆け抜け、後に他の私鉄にも譲られたことでお馴染みの往年の名車両の5000系は新たにデビューした京王ライナー向けの車両の形式番号を新5000系としたこともあったな
思い出の車両や憧れの列車は世代交代が進み、今はもう俺が乗ったことのない列車や乗りたくても料金が高くて乗れない列車ばかりだ
俺の思い出や子供の憧れとして日本全国を突っ走った先輩達のバトンを受け取った後輩列車は走り出す
今では,世間的にはまだまだ若いはずの俺よりも若い車両が増えている。
通勤電車では首都圏のE233系とか、車両の外見とデビュー当日のハプニングから電子レンジという蔑称で呼ばれるようになってしまったE235系もそう
新幹線なら俺のいる東京と想い人のいる街を結び恋愛成就という望みを乗せて走るのぞみ号のN700、はやぶさ1号のE5,H5系、こまちのE6系、北陸・上越新幹線で走る若手エースのE7,W7系もそうだ
往年の気動車、キハ40の後釜と呼ばれたGVE系統も忘れてはいけないな
「負けないでもう少し、最後まで走り抜けて」俺たち鉄道ファンが歌うこのワンフレーズの歌詞に乗せ、都営地下鉄三田線6300形や中央線快速電車の209系はいつ置き換えが終わるか分からない中、今日も走り続ける
俺は鉄道ファンとして、この先輩たち、いやその後輩たちの活躍も胸に刻み、今日も鉄道を乗り回す

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コロナ前最後の帰省

学校の終業式を終えて帰宅し、既に纏め終わった
荷物を持ってNRTに直行し
2時間のフライトを終えて親子3人
仁川国際空港第二ターミナルに降り立った
平昌オリンピックの前後だったな
オリンピックのマスコットがお出迎え
親父数日後に合流の予定
到着は夜の9時前後
空港鉄道で二駅ほど
ウンソ駅前のホテルに1泊
クリスマス前後の夜、非常に冷え込むので
駅の入り口側の食い物屋で串刺しのおでんとその場で蒸してくれる水餃子を人数分一パックずつ注文して部屋で窓から見える列車を見ながら食べる
一夜明け、叔母の住むソウルへ
しばらくは叔母の家に泊めてもらうことに
その後,母の郷里の田舎町へ向けてソウル駅へ
客車の窓が四角い客車列車の急行ムグンファ号南行麗水EXPO 行き
ソウル駅を出てからおよそ数分,龍山を過ぎたあたりで凍った川にかかる鉄橋を渡る
そう、この川は俺にとって思い出に残った出来事が多くまた韓国有数の大河として有名な漢江だ
そして、永登浦を過ぎるとソウルの郊外へ出る
世界遺産の城として有名な城のある水原に着く
懐かしいなぁ
この地にある世界遺産のファソン(華城)には家族4人で行ったことがある
台風のせいで華城列車という移動手段が使えなくて山のように建つ城壁の頂上から歩いて入り口まで雨の中傘もなく下りたのはいい思い出さ
そんな思い出の町を過ぎ、祖父母と俺と母さんとまだ幼稚園児だった弟と海を見に行ったアサン(牙山)の街まで南下して来た
ここまで来れば、禮山の町はすぐだ
大型の温泉保養施設で夏にはプールもやってる大型施設のパラダイススパの最寄り駅、道高(トゴ)温泉までやってきた
ここの駅は昔移設された経緯があって今の位置にあるそうだ
旧駅跡には廃線跡を活用したレールバイクの施設で親戚一同集まって遊んだっけ
そんな今までの母方の実家へ帰省した時の思い出に浸る12歳の日韓ハーフの少年、
目的の駅に着くまであと数分ということで下車準備をする弟,迎えの親戚から駅に着いたと連絡を受けた母親の3人を乗せてムグンファ号は田舎町、禮山の中心地から一駅手前の駅に着いた
数日後、親父を迎えにソウルの玄関口と言える空港に向けまた北上する
今度は客車の窓が楕円形のセマウル号が親子3人と故郷からソウルに戻る若者を乗せて北へ向かう

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乗ってた時間こそ短いが

家族4人,2回台湾の地を踏んだ
1回目は、台湾の成田空港と言っても過言ではない桃園の飛行場から台北へ
2度目は、小港飛行場こと高雄国際空港から高雄市街へ
どちらもタクシー移動がメインだったけど、高雄と台南の往復の移動で乗った自強号や花蓮からの帰りで乗ったタロコ号、市街地の移動ではMRTの地下鉄は今でも記憶に残ってる
歴史の街,台南と港湾都市の高雄はかなり近いけど観光客も通勤客も運ぶ重要区間
島の西海岸にあって南端に近い中で1番栄えている港が高雄、そのやや北にあるのが歴史の街
まるで京阪間みたいだな
車窓も大都市とベッドタウンを結ぶような風景さ
タロコ号の沿線は、原住民が今も暮らし、国立公園があるタロコの山から流れた川が生み出した綺麗な海岸線がしばらく続く
海の反対側には山がそばにある関係で車窓はまるで伊豆みたい
いつか彼女ができたなら
見せてやりたいこの車窓
鈍行列車でノロノロと
乗れば海の風景を2人で独占できるはず
高雄の空港降りたなら
まずは地下鉄
北に行き
君に見せたい美麗島
駅の改札の天井は
ステンドグラスの装飾が
俺も一度は行ったけど
忘れられない美しさ
今もスマホの待ち受けに
そこから一駅
高雄駅
自強号で1時間
台南越えたらすぐに着く
嘉義の街にも行きたいな
不屈の闘志を示した高校の
球児が過ごした街なのさ
お茶の山地で有名な
阿里山行くにも都合がいい
そのあとガオティエ乗り込んで
着いた駅は
台北だ
ここはよく混むターミナル
だから俺の手離すなよ
MRTの赤線で
着いた駅は101
あの有名な
観光地
タワーから見る街の夜景
美しいこと間違いなし
台湾の
古い呼び名はフォルモサで
美しい島という意味の
ポルトガル語が由来だよ
自然と歴史,多様な文化が織りなして
できた魅力が溢れてる
島より素敵な君だけは
絶対手放す気はないよ

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思い出の鉄道は、数年の時を経て蘇る

ここはデンマーク、コペンハーゲン中央駅
スーツケースを持って俺と弟と母が横並びに3人、ここから出るハンブルク行きICE列車を待っている「本当に、列車ごと船に乗り込むの?」「そうだよ。かつて日本で、本州と北海道を結んだルートに準えてドイツの青函連絡船って呼ばれてるよ。俺、一度は乗ってみたかったから楽しみだなぁ」そんな話に「2人とも、今日の景色は一生に一度きりかもしれないから、よく目に焼き付けてね」と母親が言う。
そして、親子3人を乗せた特急はこの旅のメインルート,大ベルト海峡の航路、いわゆる渡り鳥ルートを過ぎてハンブルクに着いた。
親子の旅はまだまだ続き、場面は変わってオランダのアムステルダム中央駅
「まるで東京駅だ。東京が恋しいなぁ」そう呟く俺の声は母の耳に届いたようだ「ベルギーではハズレだったけど、こっちには美味しいと評判の和食屋があるから、寝台列車までの時間で食べに行こうか」そんなたわいもない会話を経て一家はCNLペガスス号のアムステルダム発チューリヒ行き寝台特急に乗り込んだ。
それから数時間,オランダのユトレヒトも、ドイツのアーヘンもボンも過ぎてスイスのバーゼル付近を走行中、俺は電車酔いに悩まされ、宿泊地のグリンデルバルトで体調を治してスイスの旅を楽しんだ
それから数ヶ月後、このドイツを中心に走るCNL寝台列車が全系統廃止された。その3年後、今度はコペンハーゲンとハンブルクを直線的に結ぶ渡り鳥ルートが廃止になった。
渡り鳥ルート休止の2年後に当たる2021年12月,名前をナイトジェットと変えてオランダ〜スイス間の寝台列車が復活した。
そして2022年現在、かつての渡り鳥ルートを船を介さずに結ぶ橋やトンネルの建設が進められており、ドイツからのICやICEが走る日も近いそうだ。
俺たち兄弟の思い出を乗せた列車は名前を変え、車両を変え、ヨーロッパを巡る旅人を乗せて新たな時代のヨーロッパを駆け抜けてゆけ!

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鉄道唱歌アレンジ〜別バージョン編〜

1:海のあなたに薄霞む
山は上総か房州と
歌に詠まれし品川の
駅より伸びる
京急線
2:江戸より伸びし五街道
海沿い進みし東海道
横浜近くの宿場まで
電車は旧道沿い走る
3:品川駅を出で行けば
坂を登りて急カーブ
今も忘れぬ鉄橋の
下行く列車は
数多し
4:品川駅は品川の
区より北の町にあり
それ故次の停車場は
北品川と呼ばれたり
5:ここはかつての宿場町
海苔とアサリの
名産地
海岸線の埋め立てで
面影消える悲しさよ
6:品川宿を後にして
次は梅の大森よ
お雇い博士の
モース氏が
見つけし塚は
北にあり
7:昔は開かずの踏切と
呼ばれし蒲田の駅超えて
渡るは六郷川の橋
川崎駅に着きにけり
8:京浜急行電鉄の
鉄道線の
発祥地
それはこの町
川崎と大師を結ぶ
大師線
9:川崎出でて花月園
名を変え花月総持寺の
駅より省線右に見え
電車の競走面白や
10:鶴見子安を後にして
今着く駅は
仲木戸ぞ
横浜線は乗り換えよ
11:絹糸運びし鉄道も
今は通勤路線なり
在京私鉄三線と
ケト線繋ぐ生命線
12:大船行きは乗り換えと
呼ばれて降るる
横浜の
旧駅名は平沼で
旧横浜は桜木町
13:桜木町の駅前は
世にも名高き
みなとみらい
デートスポット集まりて
夜景の綺麗な町となる
14:根岸線に乗り換えて
関内駅に着きにけり
災害復興されしのち
今建つ
横浜スタジアム
15:機械と車掌の声曰く
次に止まるは
石川町
歩きてすぐの名所とは
山下公園中華街
16:山手も磯子も打ちすぎて
右に見ゆるは
品鶴線
根岸線の終点は
今着く駅の大船よ
17:横須賀行きは乗り換えと
呼ばれて降るる
大船の
先の鉄路は
江ノ島や横須賀
神戸へ続きたり

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