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ファミリーレストランにて

 口の周りをケチャップだらけにしてナポリタンを食べる幼児。
 可愛い。
 だがこれを大人がやったらどうだろう。
 醜い。
 可愛いと思われることもまれにあるが。
 危ないと思われることもあるね。
 子どものわがままは可愛い。
 駄々こねたりして。
 だがこれを大人がやったらどうだろう。
 そういうことである。
 子どもが可愛いのはなぜか。
 無邪気だからである。
 他者の気持ちに対する想像力が低いため、感情的になり、我を通すことで他者を不快にさせているということに気がつかず、いつまで経っても我を通すパターンから抜け出せない。
 そんな大人が増えてきた。
 つまり無邪気な大人。
 無邪気で語弊があったら半分無邪気。
 なぜ無邪気なままなのか。
 無邪気なほうが得することが多いからだ。
 金や物、サービスの点でね。
 物質主義の人はそれでよい。
 しかしながら、豊かな人間関係が得られることはないだろう。
 もっとも無邪気な大人は豊かな人間関係なんて言われても理解できないだろうが。
 それにしても、注文した目玉のせチーズハンバーグ定食がまだ来ない。
 俺は店員をつかまえ、怒鳴りつけた。
 もう三〇分近く待ってる。いくらなんでも遅すぎないか、と。
 さらに、この店がいかに低レベルか、食べログに書くぞ、と。
 したらすぐに目玉のせチーズハンバーグ定食が来た。
 会計時、店長らしきが、割引券を何枚かくれた。
 さすが、大人の対応だ。

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ディナー

 いい店ありますよ、と部下に耳打ちされてから数時間後、わたしは自宅とは反対方向の電車に揺られていた。
 目当ての雑居ビルはすぐに見つかった。近代的なビル群のなかで、さびれた外観がひときわ目立っていたからだ。
 エレベーターの扉が開くと、キャミソール姿の女がピンク色の照明に照らされ立っていた。直接部屋に出るとは思っていなかったのでやや面くらったが、すぐに気を取り直した。のん気に面くらっている場合ではない。神経を研ぎ澄まして料金ぶん堪能しなくては。
「予約した鈴木です」
 こくりと女はうなずき、ジェスチャーでついて来るよううながした。
 通されたのはリノリウム床の、高度経済成長期に流行ったようなダイニングキッチンだった。ばかでかい食器棚の中央にブラウン管のテレビが納まっていた。映るのだろうか。単なる飾りか。女にきこうとしたが、すでに調理を始めていた。話しかけて集中力を削ぐのは愚だ。
 きっちり十分で料理が運ばれてきた。飴色のスープ、ちぢれ麺、正真正銘のインスタントラーメンだった。
 我を忘れてスープ一滴残さずたいらげ、余韻にひたっていると、缶コーヒーを渡された。渡されたはいいが、どうやって開けるのかわからなかった。女は察したらしく、手を伸ばし、開けてくれた。口のなかで転がし、鼻から息を抜き、香りをじっくり味わってから食道に流し込んだ。至福のひとときだった。
 缶コーヒーを飲み干してから女に、「あのテレビは映るの?」ときいた。女は何も言わず、曖昧な笑みを浮かべた。
「日本語わかる?」
 女は首を振った。
 目的は達成したのだ。長居してもしょうがない。わたしは会計してくれるようジェスチャーで示した。すると、「ありがとうございます。八万二千円になります」と元気のいい声がどこからかきこえた。テレビだった。ブラウン管に萌え系のキャラクターが浮かび上がるのと同時に女は目を閉じ、固まってしまった。わたしは戸惑い、女と萌えキャラを見比べた。
「その女は他律型ロボットです。指示を出していたのはこのわたくし。ラーメンはお口に合いましたでしょうか」
「ああ、もちろん」
 ぼそりとわたしはこたえた。
 こんな未来の到来を待たずに死を迎える世代は幸福である。

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河童にさらわれた話(後編)

 企画は、何のレスポンスもないまま終わった。
 スポーツジムに入会した。もちろんプールつきのやつ。
 自分にはこれしかないんだ。
 水泳選手は無理でも、インストラクターだったらいける。
 学校帰り、久しぶりに水に入った。
 三往復したあたりで、わたしは何者かに排水口に引きずり込まれた。
 半身を起こすと、少し離れた所に河童がいるのが見えた。
 河童が口を開いた。
「俺の棲家の情報を誰からきいた」
「情報?」
 何を言ってるのだろうか。ここは、寒い。
「小説に書いただろう」
「……あれは、山椒魚の話ですけど」
「とぼけるな。とにかく、誰から教わったのか吐くまで帰すわけにはいかない」
 わたしは安易に作家を目指したことを本気で後悔した。
「誤解です。帰してください」
 河童が近づいてきた。小六のころ妖怪大百科で見た河童とリアルのやつは全然違ってた。干した毒蛙みたいな顔をしていた。
 首筋に息がかかった、腐った卵のにおいがした。わたしの恐怖心はマックスに達した。瞬間、脳内に強烈な光が広がるのを感じた。
 覚醒したわたしは左手をチョキにして目つぶしをくわせ、間髪を入れずグーにした右手を河童の頭頂部にたたきつけた。
 河童の皿割れた。

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河童にさらわれた話(前編)

 小説投稿サイトをスクロールしてたら、『本気で作家を目指す女子高生の集い』という企画が目にとまった。
 水泳部を引退してからとくに目標もなくだらだら過ごしていたわたしはこれだと思った。
 小説を書いたことはないが読むのは好きなほうだ。
 企画主の小説を読んでみた。
 本気で作家を目指すだけあってやはり上手い。
 初心者の作品なんかボロクソにけなされておしまいだったりして。
 同性同士の集まりだから派閥みたいなのができるかもだし。
 でもこれきっかけでデビューできるくらいのレベルになるってことも。
 とりあえず書いてみた。

 あなたは女子高生、校内の水泳大会に向け、市民プールでこっそり練習することにする。あなたはおとなしいが負けず嫌いで、かつ、努力しているのをひとに見られたくないタイプ。
 入念に準備運動をし、水に静かに入る。息を整え、背泳ぎを始めようとする。すると、監視員が笛を鳴らす。
「ちょっと君!」
 自分のことのようである。あなたは怪訝な表情で監視員を見返す。
「今日は背泳ぎ禁止デー!!」
 いつものあなたなら、何それ、と思いながらもしたがうのだが、今朝お母さんとけんかしてむしゃくしゃしていたのと、夏の解放感から、無視して背泳ぎを再開する。ターンしようとしたところで、あなたは排水口に引きずり込まれ、意識を失う。
 ひんやりとした空気。あなたは湿った岩の上にいる。身体を起こす。暗闇に目が慣れると、奥に何かがいるのがわかる。
「おはよう」
「……ここは?」
「わたしの別荘だ」
「あなたは?」
「わたしは大山椒魚だ」
「ここから出たいんですけど」
「無理だ。出口はわたしがふさいでいる」
「出してください」
「無理だ」
「どうして?」
「お前は若くて美しく、健康だからだ。手元に置いておきたい」
 あなたは立ち上がり、大山椒魚をどかそうと試みるが、びくともしない。
 一か月が過ぎた。あなたの命は終わりに近づいている。
「怒っているか?」
 大山椒魚がきいた。
「……怒ってなんかいない……怒ったら……自分との関わりができてしまう……わたしとあなたは、何の関係もない」
 あなたはこときれる。大山椒魚が、さめざめと泣く。

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子孫

 頭脳もなければ手に職もないぼんくらはむかしの農村部の中卒みたいに単純な労働を求めて外に出ていくしかない。これから二十年もしたら日本国内にそんな単純労働はなくなってしまうだろうからそいつらは外国に出て行くことになる。結果日本の人口は増えない。犬猫みたいにつがって子ども作ればいいってもんじゃない。シンギュラリティの世のなかになってそんなに労働力いらなくなるって予測されてるのに人口減を憂う。統合失調症としか思えない。

 政治家のブログにコメントを書き込んで送信した直後、背後に気配を感じた。振り返ると、若い女が全裸で立っていた。セキュリティが万全なのが売りのマンションなのに。まったくどうなってるんだ。
 女は全裸であるにもかかわらず、恥じる様子はまったくなかった。むしろ裸でいることのほうが当たり前のような顔で俺を見下ろしていた。
「君は誰だ」
「あなたの孫です」
 無表情で女はこたえた。
「俺は独身で子どもはいない。よって孫もいない」
「わたしは未来から来たのです」
「納得。なんで裸なの?」
「時間旅行者はみんなこうです。衣服は時空を超えられないので」
「へー。で、何? 若いころのおじいちゃんに会いたかったとか?」
「仕事を求めて来ました。未来は超就職難なので」
 未来の若者は苦労してるんだね。

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自分らしさ

 自分らしさとは何だろうか。
 そもそも自分とは何だろう。
 自分はいつできたのか。
 生まれたときから?
 あなたは〇歳児のころにすでにいまと同じ自分ができていた?
 んなわけはない。
 要するに何が言いたいの?
 自分とは、あらかじめ用意されているものではない。作られるものである
 つまりだから自分らしく、なんてのはいまの自分に対するこだわりでしかない。
 いまの自分にこだわっているということは、いつまで経っても中途半端な状態にとどまっているということである。
 中途半端な状態だからちょっとしたことに惑わされる。
 惑わされぬよう、頑固になるという戦略をとる者もいる。
 だが、頑固さ、なんてものは確固たる自分の産物ではないから、強烈なインパクトを受けたらすぐに崩れてしまうのだ。
 真に自分らしさを求めているのなら、自分を捨てることである。いまの自分を捨てなければ新しいことは吸収できない。
 マンガやアニメ、ライトノベルに顕著だが、いまどきはみな、こだわりの強い超人を求めているようだ。
 憧れの投影なのだろうが、想像してみてほしい。
 こだわりの強い仙人いますか?
 こだわりの強い修行僧いますか?
 書いていて気づいたのだが、結局、ずっと子どもでいたい、子ども時代が続いてほしいってのが現代日本なんだな。
 もう勘弁してくれ、長寿アニメ、長寿〇〇。
 あなたの考えている自分らしさの実態は、子どもっぽさなのだ。
 いや、ちょっと待てよ。
 子どもっぽいから、たくさんものを消費してくれるわけで、だから経済が発展する。
 金になるから長寿アニメは終わらない。
 個人が成熟すると社会は停滞してしまう。
 こんなことをいまごろ知った俺は、なんて子どもぽいのだろうか。

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ダイエット 前編

 空気は乾燥してるし毎日嫌なことばっかだし周りは嫌な奴ばっかだし田舎だし学校遠くて通うのめんどくさいしでも行かないとお母さんうるさいからしぶしぶ荒れた唇を噛んで前歯で皮をむきながら、ぷぷぷってむいた皮を吐き出しながら雪道歩いてたら電車来てたから胸揺らしながらホームに向かって階段ダッシュしたんだけどそしたらわたしの胸はお母さんゆずりの巨乳でずっとコンプレックスでいつか絶対小さくする手術するんだって一年前から定期的に浮かんでくる強迫観念に支配されちゃってわーってなっちゃってホームにうずくまってたら大丈夫ですかって声かけられて顔上げたらトレンチコートに肩かけ鞄、ハット姿の老紳士。うつむいて大丈夫ですってこたえたら、「そんなに世のなか素晴らしい人いますか? あなたは周りにばかり求めているようですがあなたは素晴らしい人に見合うだけの人なのでしょうか……まあそんなことはいい。あなたを不愉快にさせるような人はあなたより劣った人なのです。そんな人に出会ったとき、わたしだったらほっとします。自分の劣等感を刺激されずにすみますからね」なんてぬかしやがる。
 何言ってんだこのじじいって心のなかでつぶやいてから今日はもう駄目だ。もう帰ろって思ってとりあえずベンチに座って呼吸整えてたらじじい、肩かけ鞄から稲荷寿司出してきて、「朝ごはん、食べてますか? 朝食べないから貧血起こすんですよ」って。わたしはずっとうつむいてたけどじじいがにやにやしてやがるのはわかった。
 むかついたわたしは稲荷寿司引ったくってむさぼり食って顔を上げたら地元の観光協会の作った稲荷大明神のオブジェ。
 田舎は変化しない。老化するだけだって最近きいた。あと、同じことの繰り返しがいちばん脳に悪い。単調な生活は精神病、認知症のもとだって。絶対東京行こ。

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裸の王女

 むかし、ある王国に、とってもおしゃれな王女様がいた。
 トレンドはすべてキャッチし、また自らもトレンドを作り出すファッションアイコンになっているにもかかわらず、まだまだもの足りないなあ、なんて思っていたところに、世界各国を放浪して服飾ビジネスの勉強をしてきたという仕立て屋が現れた。
 仕立て屋が王女様にすすめたのは賢い者にしか見えない生地で作ったドレス。王女様はドレスが仕上がるとさっそくおひろめパレードを行った。
「王女様、裸だったね」
 パレードを見送ってから、息子がわたしにぼそりと言った。わたしは、「そうだな」と言って息子の手を引き帰路についた。
 十年後、息子は宮廷画家になった。息子は単に絵が上手いだけでなく、営業的な才能もあった。息子の名前は近隣諸国にたちまち知れ渡った。
 先日、久しぶりに息子が会いに来た。息子はわたしに、「何か描いて置いてくかい? 俺の絵なら、らくがきみたいなのでも売れるんだ」と冗談めかして言った。わたしはもちろん断った。台所で妻が舌打ちするのを息子もきいていたようだが、「気が向いたら、声をかけてよ」と言い残して帰った。
 たとえ気まぐれにでも、これから息子に絵を描いてもらうなんてことはないだろう。なぜならわたしは、息子の最高傑作をすでに所持しているからだ。
 裸の王女、というのがその絵のタイトルだ。
 下絵はわたしが描いたんだけどね。

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いい女ばっか来るラーメン店

「外国にも狐の面ってあるのかな」
 なかなかのイケメンが連れの女にきいた。
「検索すれば」
 素っ気なくこたえた女は、目のぱっちりとした、鼻筋の通った、色白の、立派なバストの、つまりいい女だった。
「それが面倒だからきいたんだよ」
 二人とも、シメのラーメンを食べ終え、いい時間を過ごしている。
 わたしは熱々のもつ煮込みを口に運び、はふはふしながらテレビに視線を移した。
「アジアはわかんないけど、ヨーロッパでは狐はずるい動物ってイメージなんでしょ。日本では稲の害獣である鼠を食べてくれる益獣として認められてるから神にもなってるわけじゃない」
「稲荷大明神は狐じゃないぜ。狐は稲荷大明神の使いだ」
「原始信仰では狐が神なんだって」
 へーえ。テレビより面白いのでついきき耳を立ててしまう。
「狐の面は稲荷信仰から来てるわけだな……お会計」
 ほろ酔い加減で店を出ると、さっきのカップルが正面に立っていた。狐の面をかぶって。わたしは言った。
「美男美女だと思ったら狐が化けてたんだね」
「当たり前でしょ。こんなさびれたラーメン屋にわたしみたいないい女が来るわけないじゃない」
 そう言って女が笑い声をあげた。なぜか、不快な感じはしなかった。
「おにいさん、よかったら、俺たちの店に来なよ。俺たちこの先でスナックやってるんだ」
 一瞬好奇心に駆られたが、明日のことを考えた。
「遠慮しとくよ、狐が経営者じゃ何を飲まされるかわかったもんじゃない」
 すると二人は(二匹か?)顔を見合わせユニゾンで、「そう、残念だ」と言って去った。
 わたしは帰路についた、はずだった。
 暗闇が広がっていた。
 振り返ってみたが、ラーメン店はどこにもなかった。

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或る男達の行程

五人の男が歩いていた。
以下は彼らの末路である。
一人は上を向いて歩いていた。その結果、ほんの少し頭を出していた石ころに気付かず躓いて転んでしまった。
一人は下ばかり向いて歩いていた。その結果、頭の高さにせり出した木の枝に気付かず、頭から突っ込んで驚きのあまり倒れ込んでしまった。
一人は横を向いて他の奴の様子ばかり見ていた。その結果、前の二人が次々と脱落していくのを見てまごついているうちに、はぐれてしまった。
一人は、ただまっすぐ前だけを見て歩いていた。その結果、迷わず歩き続けることができたが、星の美しさも雲の美しさも草花の美しさも知ることは無かった。
一人は、キョロキョロとしてばかりいて、落ち着きが無かった。その結果、様々な美しいものを見ることができた。
以下は彼らを見た人間の言葉である。
一人目は駄目だ。上しか見ていないのでは足を掬われる。
二人目は駄目だ。陰気に下ばかり見ていて、真実は何一つ見えていない。
三人目は駄目だ。一人で歩けないような奴が、どうして歩こうなどと思ったのか。
四人目は素晴らしい。何にも揺らがず真っ直ぐ行くべき道を進む。あれこそ人間のあるべきあり方だ。
五人目は駄目だ。あんな落ち着きの無い奴、社会に適合できるわけが無い。そもそもあんな奴と居るなんて、周りに何か言われたら恥ずかしくってしょうがない。

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思春期

 ホルモンの分泌がさかんになる思春期に問題行動を起こす者が多くなるのは誰もが知っているが、問題行動を起こさない者もいる。なぜだろう。
 問題行動というのは基本的に男性的な攻撃性に由来するものである。
 男性的な行動パターンを示すかどうかは基本的には先天的な男性ホルモンの暴露量に左右されるが、後天的な男性ホルモンの分泌も、男性的行動パターンに少なからず影響する。血中男性ホルモンが脳に作用するからである。もちろん完全に脳が男性化するわけではないから、思考パターンは女性のままである。
 男性ホルモンが男性寄りの女性脳に作用すると、女性的な自己防衛心理、排他心理に男性的攻撃性が加わるため、いわゆるいじめ、言語での攻撃につながる。つまり脳と身体のアンバランスが問題行動につながるのだ。
 ところで僕は思春期だ。思春期の僕は当たり前のように恋をした。なぜなら思春期だからだ。
 で、僕はある日、決心して告白した。相手は同じクラスの同級生。好きになったきっかけは、可愛かったからということもさることながら、趣味が合ったから。まあ、思春期の恋なんて自己同一視の産物だってことはこんな僕でもわかってる。いやどんな僕なんだよ。そんな僕。
 彼女の返事はオッケーだった。が、すぐに別れた。彼女は僕と別れてしばらくしてから、一コ上のバスケ部のキャプテンとくっついた。
 恋に疲れた僕はいま、塾のない日は、お母さんの家事の手伝いをしたり、お父さんとCSの洋画を見たりして過ごしている。

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低血圧

 低血圧と朝の弱さに因果関係はないというのが医学界では常識らしい。
 果たして本当に関係ないのだろうか。
 脳には大脳動脈輪というのがある。
 脳への血流を維持するための血管である。
 大脳動脈輪の太さ、形には個人差がある。爬虫類なみに貧弱な人もいる。
 大脳動脈輪が貧弱だと、脳への血流量のコントロールが大脳動脈輪がしっかりした人と比べ困難となる。
 寝起きの悪さには、大脳動脈輪の貧弱さが関わっていることは間違いないだろう。
 寝起きが悪い人は頭痛持ちであることが多い。 
 血流量のコントロールが上手くいかないから頭痛も起きやすいのだと考えられる。
 そこに低血圧が加わるとどうなるか。
 そういうことである。
 低血圧でも、大脳動脈輪のしっかりした人は寝起きがいいのだろう。
 大脳動脈輪が貧弱であるということは、遺伝的なものなのか、胎児期の環境によるものなのかはわからないがとにかく、細胞分裂に問題があったということである。
 そもそも自律神経に問題があるから低血圧になるわけで、自律神経のバランスが崩れやすいような人は脳にも問題がある可能性が高いから、低血圧だから寝起きが悪いというのはあながち間違いではない。
 したがって、寝起きの悪い人はあまり長生きできないと考えられる。
 わたしの妻は朝が弱い。
 頭痛持ちでもある。
 中学を卒業後、食品工場に就職したが、朝起きれないから、と一週間持たずに辞めてしまったそうだ。
 それからアルバイトを転々とし、最終的に夜の仕事に落ち着き、足しげく通ってくれる客とつき合うようになり、結婚して、専業主婦となった。その客は、もちろんわたしだ。
 専業主婦だが妻は、朝食も弁当も作ったことは一度もない。昼過ぎまで、死んだように眠っている。
 朝が弱くなかったら妻はわたしと出会っていなかったわけだから、よしとせねばなるまい。
 ちなみにつき合い始めたころ、妻はまだ十七歳だった。妻とわたしは、二五歳違いだ。
 妻は家事は必要最小限のことしかやらないのだが、よしとせねばなるまい。

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コメディアンになることにした。なのでもう会社には行けない。これからどうやって食べていこう。まあ何とかなるさ。とりあえず朝飯を買いにコンビニへ。

したら書籍コーナーにコメディアンに関する本があるのを発見。手に取り、ページをぱらぱら。

 緊張からの緩和が笑い。緩和からの緊張は恐怖。

 自己客観化のできていない人間の演じるコメディは狂気でしかない。

 人間、未知のもの、理解のできないものには違和感を覚える。違和感は恐怖反応として表れる。無知な人間は冗談をきいても違和感しか感じない。無知な人間に冗談を言っても怖がられるだけである。

 神はコメディアンである。真のコメディアンとなったあなたは神である。

 神じゃなくてコメディアンになりたいんだけどな。本を戻し、おにぎりとお茶を購入してコンビニを出ると、高級そうなセダンが駐車場にぬるりと入ってきた。
 助手席から降りてきたのは元カノだった。僕は元カノに近づき、「僕、コメディアンになるんだ」と得意げに言った。すると元カノはこうこたえた。
「あらちょうどよかった。いま新人のコメディアンをさがしてるとこなんだ」
 元カノはそう言うと、バッグから名刺を取り出し、僕にくれた。何とか劇場支配人とあった。
「劇場の支配人なんて凄いね」
「あの人がオーナーなの」
 振り返り、運転席の男を指差して元カノは言った。男はぼんやり、煙草をくゆらせていた。元カノが、いつだったか好きだと言っていた俳優に似ていた。
「あさってオーディションがあるの。直接劇場に来て。その名刺の住所のとこ。絶対来てね」
「もちろんだよ」
「じゃあ指切りしましょ」
「なぜ指切り」
「だってあなた平気で約束破るじゃない。はいっ、ゆーびきりげんま……んっ? あなた小指短くなーい? つき合ってたころ全然気づかなかった。小指がこういうふうに第一関節より短い人って人見知りか空気が読めないタイプなんだよね。平気で約束破るわけだわ。小指が短いってことは胎児期に細胞分裂が盛んでなかった証拠なの。しかも左右で長さが違うじゃない。細胞分裂が正常に進まなかったできそこないなのね」
 買いものをすませた元カノはセダンに乗り込むと、男から煙草をもらい、吸い始めた。元カノが煙草を吸うのを見るのは初めてだった。
 セダンが駐車場を出て行くのを見送り、帰路についた。オーディションには多分、行かないだろう。元カノの言葉に傷ついたからではない。僕は喫煙者が嫌いなのだ。

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教典 後編

 鴨盛りからの連想ではないが、詐欺のカモにされているのかな、などと思いながら本を開く。まず目に飛び込んできたのは、幸福になるための三か条という文言。

・他者に親切にしても見返りはないか、あったとしても忘れたころにささやかなお返しが来るだけです。短期的に確実な見返りが欲しい場合はクレームをつけましょう。

・この国は女性原理で動いている女性的な社会です。女性は守り、守られるという助け合いに喜びを感じ、助け合いのコミュニティを侵害しそうな存在を排除しようとする生きものです。男らしさにとらわれ、一匹狼でいたら出世はできません。自分に合った派閥を選び、自分をおびやかす存在は、つげ口、いじめなどで撃退しましょう。

・理想を語る人間を相手にしてはいけません。理想を語る人間は理想が実現しても満足できない異常者なのです。目の前の現実を処理することに長けた人間を応援しましょう。

 しばらくぱらぱらやって顔を上げると、ギャルふうが感想をききたそうな表情でわたしを見ていた。
「信者はどれくらいいるの?」
「日本人の半数以上が信者です」
「そうか」
 冷やを飲み干し、明日にでも教会に行ってみるよ、とわたしはギャルふうに言った。老後もこの国で暮らすつもりだからだ。

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教典 前編

 昼近く、ラジオをききながら散歩をしていると、熱燗の恋しい季節になった、なんてアナウンサーが言うもんだから、行きつけの蕎麦屋に入ってしまった。テーブル席が埋まっていたので座敷に上がる。わたしは座敷だとつい正座をしてしまいあまりリラックスできないのだが、老舗の美味い店なのでよしとする。座敷の残りのテーブル席も熱燗とつまみを待つ間にすぐに埋まる。
 従業員に、相席を頼まれる。焼き海苔をつまみながらちらり。ギャルふうの、はたち前後の女性。鴨盛りを注文すると、バッグからファイルを取り出し、読み始めた。
 冷やに切り替え、そろそろ盛りを注文しようかと考えていると、鴨盛りを食べ終えたギャルふうが声をかけてきた。
「あの、このへんのかたですか?」
「ええ、そうです」
 わたしはこたえた。気軽に声をかけられるのは老人の特権である。
「わたし、アキバ教秋葉原本部のシスターです。教会の教えを広めるために今日はこの地域をまわってまして」
「カトリックではないので」
 わたしがそう言うとギャルふうは、「キリスト教とは無関係です。こちら教典なのですが、どうぞご覧になってみてください」と、革装の本をわたしによこした。