表示件数
0

 

もう
もう
もう

貴方のことは信用できないね
貴方の「好き」は信用ならないね
むしろすべての人の言葉が虚言のようだ
そして私の何もかも虚ろなようだ

貴方の、貴方の、最上級の言葉でさえも
私にとっては見透かせない海底からせり上がった
蒼い海水のように意味を成さない

ああ、
私が悪い、悪い
でもってみんな
貴方のことは信用してるか
してるか
しってるか
信用って、ねぇ
詭弁かもねと呟いて
それが大きく反響したのさ

ぐわん
ぐわん
って

私の想いを預けて
というより投げて
貴方が受け取ってくれるのか
って考えてしまうのだ
確信が必要、ともいう
私の、想いを前にして
貴方が逃げないという確証なんてないだろう

だめだな
貴方はそんな人じゃないっていうのに
本当に小さなファクターたちが
私の心を惑わしているのだろうか
それだけじゃないよな
それだけじゃない
私にはあなたが必要なのだ

さっきも言った通り
こころはまさに青い海底
奥底の暗い
くらい
見えないから、恐れるんだな
見えてたら恐れないのに

なんで、どうして、見えないのか
それはどうして、貴方がまぎれもない、人だからなんだな

ああ、だから
私は誰かに自分の想いを預けたい
というと誤解があるかもしれない
ソファに凭れ掛かるように、という比喩が
ピッタリくるだろう
そんな体たらくだから
私は誰とも馴れ合いはしないのだ
困ってる貴方を見たいわけじゃない
そのときは手ひどく振ってくれた方がありがたい

0

鬼とGW 下

「そんで今日は主要観光地が混んでいる予想と夏日に近い気温になる予報から、適当な近さであまり繁盛してなさそうな甘味処に案内してくれる予定だった」
「うんうん」
「……木村。お前今何やってる」
「仕事」
「だよなぁーー!! なんで前々から立ててた予定すっぽかして仕事にのめりこんでるのかなぁーー!! えらい! いやえらいけど! 休も!? 折角のGWだよ!? なんで休まないの!? 」
木村は絶賛仕事中だった。時刻は昼に差し掛かり予報通りの夏日近い気温がじっとりとした汗をかかせる。冷房をつけたかったが、多々良木が腹を下すので窓を開けている。汗でずれた眼鏡を指で押し上げつつ、詰め寄ってきた多々良木をどうどうと宥める。
「矢継ぎ早に言わないでくれ。それでだんだん顔を近づけないでくれ。角が刺さる。……そりゃ僕だって休みたいよ。でも入っちゃったんだよ、仕事」
「いつ」
「昨日」
「俺との予定は」
「それに関してはマジですまん」
「…………」
「ごめんって」
「…………日本〇ね」
「おいどっかの呟きパクってんじゃねぇ」
あーあこんなことなら幽世に誘拐すればよかったと割とマジトーンで呟く多々良木に、木村は苦く笑う。
「今の日本なんてこんなもんだよ。逆にいい観光になったでしょ」
「……確かに日本の裏側は覗けたわな」
どうだった?
まっ黒だった
あはは、それな
乾いた笑いが広くないアパートの一室にこだまする。

0

「見たい」と「見た」

フェンスの向こうに見た暗い夜を魅力的と思ってしまうのは子供の特権だろう。入れないけれど、小さな頭で必死に考えているとそれだけで楽しかったものだ。闇に入り込んでしまえばいずれは慣れて、こんなものかと客観視してしまう。というか見えてしまう。たしかに知りたいとは望んだが、遠足は準備が一番楽しいともいうように、叶わずにぶーたれていた時期がこの年からして既に羨ましい。年を取るというのは、それなりに惨い。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。見えてしまう。これはもう不可逆的なことだし、そんな理由で情報を厭うていると滔々と流れ続ける先の未来において不利この上ない。枯れ尾花。そう、それはとってもつまらないこと。人は未知を探すものだと、だからなのだろうか。
知り尽くす楽しみよりも、やはり空白を想像する楽しみ。これに尽きる。遠くから目を眇め、全容を頭に描いて動かしてみる。しかしそこまでしたら実際に見るよりほかに道はなくなってしまう。そこで少し年を重ねると実際に見る権限をもらえたり経済的な隔たりが多少改善されたり、ともかくついにフェンスの先の闇夜へ立ち入ることができる。果たしてそこに思い描いていた物以上の何かがあるだろうか。
「見たい」と「見た」の間には大きな隔たりが今日も存在している。

0

月の涙 19

今回の旅で二日分の疲労が溜まっている感じがする。普段インドアなのが仇となり、同伴者二人の見えないところで疲弊は着実に私の足を重くしていった。
とはいえ動けないほどではないけれど。というか妹の前でなよなよした姿はさすがに見せられないだろうということで、地味に踏ん張りどころでもあるのだけれど。
現在時刻は午後四時四十分頃。月涙花唯一の群生地である氷枯村までのバスの発車時刻の二十分前だ。

「そういえば圭一さんって」
バス停でバスを待つ間、私と陽波は圭一さんを質問攻めにしていた。普段会わない間柄であり、何より大学生という未知の存在ということが彼への興味を引き立たせたのだ。
「なんで大学に入ったんですか?」
街は閑散としていて人気はない。晩夏の長い陽が、それでもそろそろ赤くなり始めた夕日が私たち三人を照らし出す。
「なんでって」
夕日は町全体をも真っ赤に染め上げ、私はあふれ出す夕日の洪水に飲まれている。口や目を開けていれば夕日が体に流れ込んでくるので必要なとき以外は閉じた。
「……そういえば、なんでだろうねぇ」
らしくもなく歯切れの悪い言葉が返ってきた。彼を見ると目はまっすぐ前を向いている。どうやら真剣に悩んでいるらしい。
「でもなんでかわからなくても勉強さえできれば入れるからね、大学って」
ああ勿論、AOや推薦とかは理由があった方がやりやすいけどね。
「何か興味のあることはなかったんですか?」
と、今度は陽波。興味のある事ねぇと思案顔の圭一さんは、少し俯いた。
「ないことはなかったよ。でもわざわざ大学にまで入って研究したいほどの興味はなかったかなあ」
「じゃあなんで」進学しようと思ったんですか。
「……どうしたの、何か将来についての不安でもあるの?」
圭一さんは少しおどけるように言った。その様子を見て話したくないなら話さなくてもいいんですがと言おうと思ったが、それを言うより先に再び圭一さんが口を開いた。

「大学の志望理由なんて、好きな人一人いればそれでいいんだよ」
夕日のせいか、こちらを向いた圭一さんの目が翳る。

0

月の涙 18

妹と圭一さんはすでに店外に出ていたようで、しかしさほど待っていたようでもなかった。さしずめついさっき出てきた、というところだろう。
ふたりは何か話しているようで、店から出てきた私には気づかなかった。

「目当てのものは買えたかい?」
私がふたりに近づくと圭一さんが気付いた。隣を見ると陽波が小さな子袋を持っている。察するに何か買ってもらったようだ。後で礼を言わねば。
「ええ、おかげさまで。時間は大丈夫ですか?」
「……問題ないよ。十分間に合う」
圭一さんは腕時計を確認する。ちらりと見えた時計はいかにも大学生っぽい、大人な感じのデザインだった。少々イレギュラーな予定を詰めてもらったわけだが、どうやら計画に支障はないらしい。そのことにほっとすると今度は妹のことが気になる。私は陽波に視線を合わせると、何買ってもらったの? と訊いた。しかし彼女はただにんまりと笑うだけでなにも答えない。
「なんでも”お姉ちゃんには秘密”なんだとさ」
圭一さんが面白がるように教えてくれた。姉に秘密にするものとは何だろう。少なくとも圭一さんが妹に買い与えてもいいと判断したものなのだろうけど。
「漫画とかでしょうか?」
陽波は文字ばっかりの本は読まないが、絵本や漫画なら好んで読む。気になる漫画でもあったのかと思ったが……。
「さあね。直接教えてもらいなよ」
「できないから聞いてるんですけど……」
さっき”秘密”といったばかりではないか。嫌味な笑いをしている圭一さんを軽く睨んでおく。

まあいずれ分かるんじゃないのと曖昧な答えを出す圭一さんは、やはりどこか楽しそうに笑った。

0

長文――過去について

やがて憤懣の中においても私は声を上げなくなりました。
正誤の話しです。私は誤っています。
しかし相手方も、悪いとは思いませんか。
私のまだ定まっていない部分を突くのです。
プリンをフォークで突き刺すようなものです。
追い打ちをかけるように次々と決断を迫るのです。
そんな簡単なことすらできない私は、次第にうんざりとしてきました。
私は、誤っています。何も言わないのだから。
負けです。その時々において何を言えばいいのか分からなかった、私の。
私の中に渦巻いていた真っ黒い複雑、
そして相手と私との間に起こったわずかでありながら決定的なずれが、
私の黒い過去を象徴してやまないのです。
彼らと離れた現在でも私はそれに囚われています。
一生つき纏うでしょう。
しかしこれは、半ば仕方のないこと。
私が一軒隣の家にでも生まれていればこうではなかった。
とにもかくにも、私は自分を守るために硬直という方法をとった、
というだけのことです。
これがどんなに苦しい結末を呼んだのか、
いやそればかりが原因ではないのですが
それでもそのことが私に何か一般とは違う決定的な価値観を埋め込んだことは確かです。
苦しんでいる、というよりはそう停滞と錯覚させられている現状において、
彼らはまたこう嘯くのです。
私が間違っている、と。

そのとき私はどう思うのか。
現在の私をおざなりにしてしまうのがとても怖い。
私は確かに進んでいるはずなのに
過去と私の性格ゆえに、精神面において全くの前進を許してくれない。
おかげで私は外皮に厚く、内面において不安定な流動的物質という二面性を兼ね備えるまでに至ったのです。

彼らに。
私は彼らに立ち向かうことができるのか。
それはつまり、ただ一つの言葉を抽出し出力できるのか。
私の価値観を捨て去ることができるのか、ということにかかっていると思います。

要は面と向かって「馬鹿だ」と言えればオールクリアなのですが。
あいにくと現在、会う予定は立っておりません。
会わなければ会わないに越したことはありません。

0

落涙

  始

かなしいね

涙がこぼれていたはずなのに
それがどうしてなのかを忘れてしまうのは

やっぱり、かなしいね

そんな
  ”かなしい”
は空っぽで
なみだやあめが落ちないのも
やっぱりかなしいんだ

  中

いつまでも
いついつまでも
同じことで泣いていたいというのは
この願いは、神さま
どうして許されないのでしょうか

上を向かないと涙がこぼれてしまうのは
下を、後ろを向いてはいけないことの証左
そう、涙は
こぼしてはならないのです
ひとつひとつが足もとを濡らして
滑ってしまいますから
やがて
溺れてしまいますから
花がしおで枯れてしまいますでしょう

 終

かなしい”かなしみ”を
わたしは、神さま
忘れとうございません

かなしいならかなしいままで
いいじゃないか

痛みと、傷みと、わずかな過去さえあれば
わたし達は生きていけるのです
パンなどはいりません
一汁三菜もいりません
わずかな糧でくちびるを濡らせば
いまはそれで満足
わたしは痩せ衰えますが
それをして肥えているというのではありませんか

 留

涙が流れていれば
わたしの中で鮮血のように飛び散った悲劇を
その美しいさまを
そして僅かなあなたの愛憎を
こころに留めておくことができる
涙を犠牲にして

それでも人間は脆いことに
ニンゲンの”さが”で
きれいに洗い流してしまうから
それをかなしいと呼ぶのです
それを虚しいと呼ぶのです



0

アナウンスメント

一応レス書き終わった……。
漏らしてるのあるかもしれないのであったらご連絡ください。全速力で駆けつけます。
今回レスを返したのはタグ付けされた作品とレスに書き込まれた作品ということになっています。「おや、これは……?」と思ったやつもありましたが、そういうことになるのでご了承ください。実はこの企画と全く関係なかった、とか言うこともあるかもしれないのでね……。僕は酷く臆病なのです。

ゲリラお題。
今までの他の人の企画と比べると極端に募集期間が短かったのですが(約一日!)、その点も含めてお楽しみいただけたでしょうか。
なぜゲリラなのかと申しますと、実は当初時間制限をかけるつもりはなくゆるい感じにしようと思っていました。しかし人集まらなかったらどうしようと思って一考した結果、時間制限をつけることで解決しようと……。ほら、あれです。タイムセールみたいなものです。テレビショッピングとか。
皆さんを時間で釣りました。汚い手使ってすみません。
実際にそれで参加人数増えたのかどうかは疑問符がつくところではありますが。
何はともあれ事前予告もないのに付き合っていただきありがとうございました。今後ともfLactorおよび月影:つきかげをよろしくお願いします。

またいろんな方が企画を画策中とのことで、そちらからも目が離せませんね!
(露骨な宣伝)

4

雨の中

「…」
日本の夏は結構雨が多い。地域によっては違うけど、最近は地域に限らず本当によく降る。俗にいう、『ゲリラ豪雨』ってやつである。
あいにく、今自分はゲリラ豪雨に遭っていた。残念ながら折りたたみの傘すらない。
家まではそれなりに距離がある。別に誰かの傘に入れてもらうことは最初から考えていない。―そもそも、そんな友達などいない。
だから濡れても構わない、と豪雨の中を歩いていた。
でもさすがに雨のせいで風邪をひくのは嫌だから、普段通らない公園を突っ切る近道ルートを歩いていた。
あたりはもう暗いけど、公園の街灯でわりと明るかったし、―これぐらい暗くても、十分あたりは見えるから、困らない。
こういう時ばかりは、こんな自分でよかったなとちょっとだけ笑えた。もちろん心の中で。
ただ夜目がきくんじゃない―暗くてもほぼ平気なのだ。でもこんなことができるのはこういう”人がいない”ところだけ。
そういうことを考えながらぼんやりと歩いていると、後方から人が走ってくる音が聞こえた。自分と同じように、傘を持っていないから濡れたくなくて走っているのだろう。
近付く足音を聞きながら、パーカーのフードを深くかぶりなおした。
足音が近づき自分を追い越す、そう思ったその時―
「―ほい」
不意に、後ろから呼び留められた。ちょっと振り向くと、そこには小柄な少女がいた。
「…」
少女は真顔で折りたたみの傘を突き出している。
「…使いな」
「…」
「遠慮はいらない。この通りこっちには傘あるし…明日回収するからさ」
少女はちょっと笑って自分が持つ傘を傾けた。
こういう時は受け取るべきなのか―困惑していると向こうからもう1つの足音が。
「おい、急に走り出すなよ… 誰こいつ」
少女の友達らしき、走ってきた少年がチラッとこちらを見た。
「誰だか知らない…でもかわいそうでしょ? 傘ないし」
少女はなぜか面白そうに笑った。
「まぁそうだな… てかお前、早く帰らないと親にまた怒られるぞ?」
「はいはい分かってます~ それじゃあね、ちゃんとそれ回収するから」
少女はこっちに傘をやや強引に押し付けると、向こうへと歩き出した。
「あ、おめ…じゃ、気を付けて…」
少年はこちらにちょっと会釈してから少女を追いかけた。
あの2人にも、自分と同じような匂いがした。

2

 引っ越しの荷ほどきを終え、近所を散策していると小さなジャズバーがあった。ジャズがそれほど好きというわけでもなかったが、ドアを開けた。動画配信サービスで見たラ・ラ・ランドの影響を無意識に受けていたのかもしれない。
 客の年齢層は高かった。だいたいみんな六〇がらみ。七〇年代、八〇年代に青春を過ごした世代。狭い店内に加齢臭が立ち込めている。テーブルに案内された。もちろん相席だ。総白髪の巨漢。こちらに頓着することなく、一眼レフをステージに向けている。隣のテーブルでは、夫婦らしきがジャズそっちのけで言い合いをしている。夫らしきが妻のよくない点を述べ、妻らしきがすかさず言い返す。妻らしきは脊髄反射的に言い返しているだけだから説得力がまったくないのだが、妻らしきのほうが優位だ。一対一の関係では、話の通じないほうが勝ちなのだ。
 こうした夫婦は鳩同様、平和で豊かな世のなかの象徴だ。貧しくて豊かになる展望のない世のなかでは、夫婦は協力し合うしかないからパートナーに対する不満を口にしたりはしない。不満を口にするということは少なくとも食べることには困らない世のなかに生きている証拠。協力なんてものは負の産物でしかない。
 二曲聴いてから会計し、店を出ると、高校時代につき合っていたCにそっくりな女の子が少し離れた所に立っていた。Cは日本育ちのベトナム人。大人になったら日本国籍になると言っていた。
 Cの娘、ということはない。ここは千葉県。わたしが育ったのは神奈川県だ。
 Cそっくりな女の子がわたしに向かって微笑んだ。突然、雨が降り出した。
 わたしはCそっくりな女の子に駆け寄り手をとった。すると、ふわり、宙に浮かんだ。わたしたちは雨に濡れながら抱き合い、くるくる回った。
 いつの間にか、空高く昇っていた。わたしとCそっくりな女の子は雲の上に腰かけ、歌った。もう雨に濡れる気づかいはない。

0
0

月の涙 17

「――でも最終的に妹に泣きつかれちゃって。まあ私も月涙花の本物に興味がないわけではなかったので、私が折れて一緒に見に行くことになったんです」
「へっへっ。ずいぶん省エネな姉ちゃんだな」
「そうですか? 私だって本を読むのに忙しいんですよ」
「腕っこ細ぇし」
「妹とそう大して変わりなくありません?」

「でも時間にはちゃんと気ぃつけぇよ」
笑顔だった魔女が顔を引き締めて忠告してくる。
「あの花は彗星にもたとえられる。なんでだか分るか?」
たしかいつかの本で読んだことがある。月涙花は見る時間を少しでも誤ると見ごろどころか花弁の一枚さえ見られなくなってしまう。次にみられるのは一年後。こうした背景から月涙花を彗星に例えることがあるそうだ。
「毎年多くの観光客が足を運ぶが、不運なことに見られなった客だって数多くいる。そのうちの一人になりたくなきゃ、時間には普段の100倍厳しくなきゃいかん」
「……そんなにしないと駄目なんですか?」
「……さすがに100倍は誇張だよ。でも甘く見とったらいけんからな。あれには見るものを拒む魔力がある。時間に甘いやつは特に、だ」
花が魔力を持っているというのはファンタジーな感じがしたが、魔女が言うとすごく”それっぽく”感じた。
魔女は眉間に寄せていた皴を解くと、今度は優しい声音で呟いた。
「あたしも何十年も前に見に行ってな。そん時ゃぎりぎりで間に合って何とかこの目に収められたんだよ。一面の月涙花がな、月夜の下に輝いとって、それはもう壮観だった。次の瞬間逝っちまっても満足なくらい……」
魔女が一瞬だけ、昔を懐かしむように遠くを眺めた。その目の輝きを見て、私は何となく魔女が恋人と一緒だったのだろうなと考えた。恋人を目の前にして死んでも満足って、それは言いすぎな気もしたがそうでない気もした。
「……だからまあ、妹の願いくらい姉ちゃんが叶えてあげぇや。自慢の可愛い妹なんだろ?」

0

月の涙 16

 老婆は私が欲しい本をすぐに見つけ出した。これだけの本が雑多に散らばっている中ですぐには見つからないだろうと高をくくっていたものだから、「ほぅれ。こいつか?」と言われてまさにその本を差し出された時には再三驚いた。差し出す姿が超かっこよかった。私は敬意を込めて彼女のことを「寂れ本屋の魔女」と呼ぶことに決めた。
 寂れ本屋の魔女はカウンターに戻る途中、私にいくつかのことを話した。
 ――最近はなぁ、この店にも若ぇモンが来なくなって寂しかったから、お嬢ちゃんが見えたときにゃ思わず声かけちまったよ。久しぶりに若いお客さんだった。ここに来るやつぁ大抵年いったおじいちゃんばっかだから、お嬢ちゃんみたいなのが来たのが嬉しくってさ。……この店もじきに閉めることになってんだ。アタシも年だからな……。何も哀しい話じゃねぇさ。そんな顔しないでくれ。あとぁのんびりと暮らすさ……。
 この店は、何年続いたのだろうか。私は想いを馳せながら目の前を行く寂れ本屋の魔女に黙々とついていった。

 文庫本サイズで720円だった。私は財布の中からきっかりその金額分の硬貨を出すと、寂れ本屋の魔女の掌に差し出した。寂れ本屋の魔女の手は大きくて暖かかった。
「これからこいつを見に行くのかい?」
魔女は文庫本の表紙を指さして問いかけてきた。そこには黒の背景によく映える、冴え冴えとした青の可憐な花――月涙花が見事に描かれていた。『月の涙 著 佐崎重宜』。
「ええ。実は私、小さい妹がいるんですけれど。……あそこでお兄さんと一緒に本を眺めている女の子です。それで私の妹が突然これを見たいと言い出しまして」
「へえ。可愛い嬢ちゃんだなや」
「私の自慢の妹ですから。……本当は私、最初はやる気じゃなかったんですよ。正直言って面倒ですし。写真とか今じゃ世界中で見れますし。――」

0

月の涙 15

 低く、嗄れた声だった。突然かかってきた声に思わず体をびくんと震わせながら、先ほどの声の主を探す。しかししばらく見渡してみるがどこにもいない。あるのはただ崩れそうな本がうず高く積まれているばかり――。
「ここだよ。……なんだい、若ぇのに眼が悪ィのかいな」
 少々口の悪い声が飛び出してきた方を見遣ると、本と本の隙間に隠れるように一人の老婦人が座っていた。
「すっ、すみません!急に驚いたりなんかしちゃって」
「気にすんな。声掛けたのぁこっちの方だ。謝られる筋合いなんかねぇよ」
顔に幾本もの皴が引かれたこの老婆は、一体何歳くらいなのだろうか。少なくと八十歳は超えているだろうが、みれば元気ににやり、と笑ってみせた。
「今お前さんがいるのはカウンターだ。……望みの本は見つかったのかい?」
え、と思い改めてみてみると、確かに机のようなものが存在し、そこには「カウンター」と歪な文字で書かれてあった。なるほどここはカウンターらしい。
「……いえ。まだ、ですけど……」
「なんだい、歯切れの悪い姉ちゃんだなや」
再び謝りたい気持ちを我慢していると、老婆はかかと笑っておもむろに立ち上がり、少し歩いてこちらを振り返った。
「ほれ。案内してやっから、あんたが欲しい本教えろ」

0

月の涙 14

 その本屋は唐突に現れた。
 地図アプリ片手にここらへんかな、と少し周りを見渡してみたら、目の前にその本屋があった。突然現れたように感じたが、それは周りの寂れた街並みと完全に同化してたからであり、つまりは店舗が古めかしかった。この店やってるのかな、こんなところに目当ての本なんてあるのかなと思いながらも、「OPEN」の札はかかっているし私が欲しい本はまあまあ昔の本なので、一筋の希望は捨てないままに恐る恐るその店の扉を開いた。
「こんにちは~……」
 薄暗い店内から返ってくる声はない。意を決して、今度は一歩ずつ踏み出す。後ろから妹と圭一さんが入ってくる心強さを胸に借りながら、私はそのままどんどん奥へと入っていった。
 店内が薄暗いと思ったのは外が明るかったからで、目が慣れればある程度の明かりは確保されているようだった。かび臭い本のにおいがする。入り口から店舗の大きさは小さいと判断していたが、予想に反してかなりの奥行きがあった。もしかしたら本の数は私の町のちょっとした本屋より上回るかもしれない。明かりがともっているとはいえやはりどこか薄暗い店内は、まるで迷路のような構造になっていた。
「うわぁ……。なんだか不気味だよう」
 妹が後ろでお化けでも探すような目つきで店内をぐるぐる見渡している。圭一さんはそんな妹を、児童書が置かれてあるコーナーに連れていってくれたようだ。私は安心して一人で迷路へと踏み込む。
 私が例の本を探しながらさくさく歩を進めていると、突然知らない声が掛かった。
「……ちょっと、そこのお嬢さん――」

0

月の涙 13

 電車の中で寝てから妹は見るからに活気を取り戻していた。私はともかく小学六年生の妹にも大分疲れが蓄積されていたようで、今は下がった血圧を上げようとスーパーで買ったおやつに手を伸ばしながら街中をうろついているところだった。
「見つかったかい?」
「はい、一応」
私はスマホを片手に近くに本屋はないかを探していた。先ほどの電車に乗る前の町も田舎っぽいなとは思っていたが、この街はさらに鄙びていた。一瞬ここに本屋はあるのか心配になったが、地図アプリが何とか本屋の場所を見つけたようだった。現在は私が先導でその本屋に向かっている。
「何を買うんだ?」
「? 本ですよ?」
「……いや、君はまだ読んでいる本があっただろう」
「……ああー……っと」
確かに私が背負っている鞄の中にはまだ読みかけの本があった。しかし私にはある一つのたくらみというか、妹へのささやかなサプライズをしようと思ったのだ。
「……私が読む分ではないんです」
その言葉であらかた話の流れを読んだのか、圭一さんは分かった風な顔をしてそれ以上何も聞くことはなかった。心なしか少し楽しそうな顔をしている。圭一さんももとは男の子だけあって、”秘密”というのは魅力的なのだろうか。妹はそんな私たちのことなど意に介さず、見知らぬ街を興味深く見まわしていた。この様子だと妹には聞こえていなかったようで安心した。

1

鉛塊

宙に漫然と漂う巨大な鉛。
の、ような。
九年前。気づいたらそこにいた。
過去。もっと輝く未知だった。が。
そいつがいる、
青い空間を押しのけて
――万力をゆったり締め上げるように、
浮かんでいることが。
現在。日常となってしまった。
それが現在。さも当然、既知の事実。
見慣れた一枚の風景画。
と、なりぬ。
奴は。
鈍色の鯨とも似つかない。生命体ではないが。
が、しかし。それはどうしても生きている。
そのようだ。
観測的事実。
墜落はしないようだ。
だが、しかし。倦怠感のような巨大鉛塊は。
”気付いたら”いなくなっていた。
と、いうこともないらしい。
事は確かだ。と思う。
観測的希望。
空の一角を圧迫している。そんな程度の。
重さ。圧力。大きさ。存在。
やはり、倦怠感のような。
拭っても取れえぬ、疲労感のような。
もはや。奴を見上げることなど。
とうの昔にしなくなった。
見て。注視して。何が変わるのか。
届くわけでもあるまいし。
奴は影のみしか落とさない。
何も落とさない。
落ちないものを気にしていたって、
それこそが杞憂、というものではないか。
のうのうと。無いふりをして。
奴がいないふりをして。
――依然、空からの圧は感じるが。
歩くしか、ない。そう思い込んで。
黙り込んで。盲点に入れた。わざと。
わざと偶然的に。
鈍色の巨大鉛塊が浮かび続ける。大空。
勝手に。いつの間に。いたのに。
いつまでもいる。勝手に消えない。
いつの間に、消えてくれない。
いつの間に僕は。
消えてほしくない、と。
そう冀ったのだろう。

0

月の涙 11

 電車が来るまでの時間を使って昼食を食べた。駅のホームは閑散としていて、私たち以外客が見当たらなかった。こんなもんなんでしょうかと圭一さんに訊くと、こんなもんなんじゃないと片眉を上げて返された。高速道路を使ったので距離感覚をうまく掴めていなかったが、スマホで現在地を確認すると大分遠くまで来ていることを確認できた。私たち姉妹が住んでいるところは結構都心に近い方なので、だんだんとそこから離れてきた形だ。周囲を見渡せばところどころに田んぼが広がっている。熱い風に紛れて稲の香りがする。遠くまで来たんだなとしみじみしていると、圭一さんがまだまだ田舎になってくよと片頬を吊り上げた。
 電車が風を巻き上げてやってくる。
 
 電車の中は涼しすぎないくらいに涼しかった。日中の気温がピークに達しつつあるこの時間帯においてはもう少しだけ涼しい方が嬉しかったが、暑さの中薄着で汗をかいているという状況で、急にキンキンに冷えているところに入ってもお腹を壊すだけだろうと思ったので、それを考えると十分快適だった。
 私たち一行は電車内でもう一度旅程を確認した。迷惑にならない程度の喋り声だったと思うが、もとより私たち以外客もいないので気にする必要はなかった。
 この電車を降りた後に私たちが乗るバスは最終便だ。見ると到着予想時刻からバスの発車時刻までかなりの開きがある。そこで私は一つ提案してみた。
「この間に本屋寄ってもいいですか?」
圭一さんの息をのむ音が聞こえた。


 私の提案に圭一さんは一瞬目を彷徨わせた後、なぜか妹に確認を取るそぶりを見せた。妹はその視線を受け取ったあと、肯定するようにごく僅かに頷いた。少なくとも私にはそのように見えたが、実際のところどうなのだろう。後で圭一さんを問いただしてみるか。圭一さんは何もなかったように「いいよ」というと、旅程の一つの予定として組み込んだ。とりあえず本屋行きは決定したようだ。

0

月の涙 10

 さすがと言っていいのか、圭一さんに叱られた妹は、しかし叱られる前の落ち着きを取り戻していた。圭一さんの叱り方と慰め方がうまかったのか、それとも妹の気持ちが強いのか。むしろ叱られたあとの方が気持ちがすっきりしたみたいで、妹は圭一さんとよく話すようになった。私はそんな会話中に時折飛んでくる話の飛び火を適切にいなしながら、窓の外を眺めていた。
 そろそろ高速道路を抜け、一般道に入る。インターチェンジが見えてきた。

 車での移動は、圭一さんの友人宅に車を止めることでピリオドを打った。高速道路から降りて一般道を少し進んだところに、その目的地はあった。圭一さんが事前にお願いしたところ、その友人は快く車を駐車させることを許してくれたらしい。圭一さんには本当に頭が上がらない。お礼を言おうと思ったら、それはこの旅が完遂してからにしてねときれいなウィンクまで頂いた。どこまで爽やかなんだ、この人。
 友人宅から数十分歩いて、電車を利用する。時刻は昼過ぎである。途中でスーパーに寄って昼食と、ついでに夕食も買った。氷枯村にもコンビニはあるらしいのだが、最終目的地とは距離が開いているためタイムロスしたくないとのこと。山あいの”ちょっとの距離”は、その実”道のりが長い”に他ならないので、そこの部分は全面的に同意する。
 昼食にはまたおにぎりとお茶を選んだ。

0
0

月の涙 8

 「トイレ行きたい」
 そう妹が言い出したのは、車で進む予定の道のりのちょうど半分くらいに差し掛かったところだった。圭一さんがカーナビでSAの場所を探す。
「次のサービスエリアに寄るから、それまでもう少し我慢してて」
 ほどなくしてSAに着いた。

 SAに着くなり妹は走り出そうとしたが引きとめ、小学生の女の子ひとりでは不安だということで圭一さんも一緒についていくことになった。
「君はついてこなくていいのかい?」
圭一さんが車の窓越しにこちらに尋ねる。
「私は――」
鞄の中から一冊の本を取り出し、栞の挟まっているページを開いた。
「――本を読んでますので。妹のこと、お願いしますね」
私は朝以来ようやく本の世界に飛び込むことができた。
 主人公の女がとある男性に恋をして、さてこれからどのように近づこうかというところで顔を上げた。どのくらいの時間読んでいたのだろうか。時計を見てみると妹と圭一さんが出てから20分が経っていた。私の読書の体力はまだまだ有り余っているが、一応旅の途中ということもありあまり集中できなかったみたいだ。
(それにしても……)
圭一さんたちが遅い。さすがに20分もトイレに籠っていることなどないだろうから、まさか圭一さんが妹に何か買ってあげているのではと思っていたら、圭一さんが帰ってきた。
 慌てた様子で。

 「大変だ!!」

0

月の涙 7

 圭一さんの車に乗り込んだ私たちは、そのまま北の氷枯村方面へ向けて出発した。朝ごはんは途中コンビニで買う予定。妹は窓の外を見ながら早朝の閑散とした街の様子を見ているようだ。そのまなざしには楽しさと期待と、僅かな緊張が混ざっている気がした。
「どうしたの?」
私が妹に視線を送っていることに気付き、妹が尋ねてきた。私はいや別にと返すかどうか迷ったが、やがて
「……ちょっと緊張しているようだけど、大丈夫? 夜に疲れて眠くならないようにね」
「……ありがと」
妹はなぜかそっぽを向きながら応えた。心配されたのが癇に障ったのだろうか。窓の外を見つめる妹の表情は窺い知れない。
 その後私たち一行はコンビニに着くまで無言だった。

 妹はサンドイッチとジュース。圭一さんはパン数種類とコーヒー。私はおにぎりとお茶。それぞれの朝ご飯をコンビニで手に入れた私たちは車中でそれらを食べた。出発直後からの無言の時間とは一転、それぞれの近況を報告したり最近話題になっていることを喋ったりして楽しい食事となった。
「え、圭一さんって彼女いないんですか。意外です」
「そうなんだよ。なんでだか分かる? 中身が希薄そうなんだってさ」
「まあ、確かに」
「酷いな。そういう君は彼氏とかいないの? 高二でしょ?」
「私は……人付き合いとか苦手なので……」
「お姉ちゃんは美人さんだからお父さんが許さないの」
「へえ、そうなのか」
「違います」
……こんな感じで。
 お腹を満たした私たちは再び氷枯村方面に向けて出発した。途中までは高速道路を使って行くらしい。だんだんと熱気を帯びてきた街を抜けインターチェンジをくぐれば、いよいよ遠くへ旅に行く実感が湧きはじめた。本のことを気にしていた私も少しだけわくわくしてきたのは認めざるを得ないだろう。遠出するのは中学生の時の修学旅行以来だ。私の気持ちと同調するように、圭一さんの軽自動車はぐんぐんとスピードを上げて高速道路を駆け抜けていった。

1

月の涙 6

 翌日早朝。私たち姉妹は人もまばらな駅の入り口にたたずんでいた。日はまだ完全に登りきっておらず、藍色に染められた空が寝起きの目に痛いほど鮮やかに写る。昨日はあの後本を読む暇もなく、出発の準備だけして寝てしまった。完全夜型の私に早寝早起きは相当負荷だったらしく、先ほどからあくびを何回かかみ殺している。夏の朝はそれでも爽やかな始まりだった。今日も暑くなりそうだ。
 しばらくして、圭一さんが来た。今回の旅程は途中まで圭一さんの軽自動車で移動することになっている。そこから電車とバスを乗り継いで半日かけて氷枯村に辿り着く予定だ。軽自動車でやってきた圭一さんを見つけると、妹はぴょこぴょこ動き出した。これから始まる旅に心躍っているのだろうか。私は開いていた本に栞を挟んだ。
「お久しぶりです、圭一さん」
「お久しぶり。顔見るのは半年ぶりだね」
声は昨日聞いたけどね、と笑う圭一さん。朝早いのに全く隙のない笑顔だ。朝型の人なのだろうか。
「陽波ちゃんも久しぶり。大きくなった?」
「お久しぶりです。そうですか?」
半年前はこれくらいだったよと手を胸あたりに当てる圭一さんと、そのもう少し下を主張する妹。朝から元気がないのはどうやら私だけのようだ。

0