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2

そういえば今日は、向こうの城でも結婚式が行われていた

無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡る。ばしゃんと下品な水柱を立てて青の舞台へ入場した僕の身体は、彼女から貰ったあれやそれで一杯のリュックを重りにみるみる沈んでいく。

ソーダのグラスに鎮座する氷には、すべてがこんな風に見えているのか。歪んだ月光で満ちた水面にそんなことを思う。美しさを言葉に昇華させたくなるのは、物語を作る者だけが患うことの出来る病だ。──病人で在ることを辞められなかったばかりに、彼女を失ってしまったわけだが。

孵る気配のないたまご作家の廃棄を決行した彼女は今、別の男と誓いのキスを交わしている。いかにも金を持っていそうな面をした、いけ好かない野郎だった。今日をもって正式に夫婦となる奴らめのお陰で、僕はこれからこの世界から居なくなるのだ。

穏やかに最低な気分だ。吐いた溜め息は星のような丸に形をなし、届くはずもない夜空へ向かって昇っていく。のを、眺めていた、ら。どぶんと鈍い入場曲と共に、大きな花のようなものが落ちてくる。とうに感覚のない両腕でどうにか受け止めたそれは、──ドレスを身にまとった『何か』だった。

性別は女であろう『何か』は短刀を握り締めていて、人と魚との間をさ迷いながら、煌びやかな布の中でしゅわしゅわと溶けていく。この世のものとは思えない光景だから、此処はもうこの世ではないのだろう。ふっと笑ってしまったのが伝わったのか、胸に抱いた『何か』は不思議そうに僕を見やる。

ごめんね、なんだか、愛しくて。声は音になんかなりやしなかったが、彼女と似た色の瞳にそう言った。下がる眦はますます彼女に似ている。さよならのない世界へ生まれ直して、また会おう。鼓膜に響いた甘い夢がどちらの唇から零れたものなのかは、もう分からなかった。

無責任なあの笑顔に、ずっと首を絞め続けられている。ついぞ書き上げることの出来なかったあの話、その一節ばかりが脳裏を巡って、──瞼を閉じる。次に目が覚めたとき、きっと僕はあの話を完成させている。泡沫に塗れたこの景色を言葉に昇華させて、彼女に読ませてやれたら。

幕を引いていく意識の中、抜けるような真珠の爪先だけが泣きそうに鮮烈だった。

0

恋なんかしなくていいから長く生きてよ、乙女

「秋雨を先取りしてきたの?」

さっきまで窓際のベッドから青空を眺めていたくせに、彼女は汗だくで駆けつけた僕をそんな風にからかう。彼女はいつも以上にいつも通りだった。満身創痍で病院に担ぎ込まれたこと、以外は。

──ぐっしょり濡れたシャツのにおいを気にして、彼女から離れて座っておいて正解だった。その肌のあちこちを覆うガーゼの雲を見ていられなくて、僕はやや目を逸らしながら切り出す。

「あのさ」
「別れないわよ」

彼が好きなの。彼女の硬い声に撃ち抜かれたかのように、Bメロを歌っていたセミが、窓のステージからはけていく。音にならなかった「どうして」は喉元で死んだ。すっかり床へ視線を落としきった僕に、彼女はなおも言う。

「人間って損な生き物だから、幸せよりも不幸せの方が深く残るのよ。柔らかな言葉はこころを包むことしか出来ないけど、包丁の切っ先は心臓の奥まで届くでしょう」

──だから私、貰った指輪よりも新しい痣が大切。キスをしてくれるよりも、傷をつけてくれる方が嬉しいの。

「次は命に関わるかもしれない」

ようやく絞り出した声は夏の風のようにじっとりと湿っていた。ここまで大事になったのは今回が初めてだというだけで、彼女の「服の趣味」が変わったのはもう何年も前の話なのだ。

「ノースリーブやミニスカートが似合わなくなるだけじゃ済まないんだぞ」
「わかってるよ」

──わからないの。彼女は曇り空と化した両の手で顔を覆った。その震える声は、セミの骸すら撃ち抜けそうにない。彼女の思う幸せの形が、僕の持つ型には嵌りそうもなくて泣きそうだった。ぼくはただ、きみにわらっていてほしいだけなのに。

5

さよならのない別れって、刃のないギロチンみたいだ

妻に子供が出来たんだ。私を蕩かすためだけに存在していると思っていた声が、一文で二度分私を打ちのめした。左耳に寄せていた液晶が急に冷たい。そう、お幸せにね。せっかく諦めを知っている大人を気取れたのに、彼の返事を待たずに通話を切ってしまったせいで台無しだ。私は天井を仰ぐ。

薬指の寂しい左手に握ったままの携帯が、いやに掌に馴染まない。きっと彼と私もこんな感じだったのだろう。だって彼の薬指は寂しくなんかなかった。いつも嵌めていたあの手袋だって、家庭の跡を隠すための代物に過ぎなくて、──サンタクロースみたいにさむがりやなのかと思っていた。闇の中で絡めた裸の指先は、あんなにも熱かったというのに。



仕事で失敗をした。終電に揺られながら目を閉じるが、上司の罵声とお局の舌打ちが頭の中を回って止まない。ぐるぐる忙しいそれは洗濯機のようなのに、なんにも綺麗にしてはくれなくて、私は瞑った瞼にぎゅっと力を込める。と、すぐ横に体温が腰掛けた気配を感じた。

他にいくらでも席を選べる状況で、見るからに疲れきった女の隣に座るなんていい趣味の持ち主だ。ご尊顔を拝んでやろうと目を開けると、見覚えのある横顔が在った。残業の長引いた日、酒に連れ回された日、終電で必ず乗り合わせる男だ。

きっと男も私のことを覚えていた。だって今日に限って一度も視線が絡まない。持ち主の判明した温もりは途端に心地よくて、私はその肩に凭れ掛かった。所在なく膝の上に置いていた手に、黒の皮をまとった男の掌が重なる。そうして彼の名前を知ったのは、彼の服の中を知った後だった。



太い骨を思い出す。硬い肉を思い出す。厚い肌を思い出す。薄い唇と、その隙間から漏れる濡れた吐息を思い出す。

妻に子供が出来たんだ。柔らかな言の葉で出来た尖りが、チェーンソーみたいに頭の中を回って止まない。ぐるぐる忙しいそれは洗濯機のようでもあるのに、なんにも綺麗にしてはくれなくて、──涙が零れた。私と奥さんとの違いなんて、きっと永遠を誓ったか誓っていないかの差くらいだというのに。貰ってきたばかりの桃色の手帳に携帯を叩きつけて、膝を抱える。

子供が出来たんだ、なんて。
そんなの、私もなのに。

7

僕たちの永遠は「ら」から始まる

窓から射し込む強光が閉じた瞼に痛くて、僕は思わず目を覚ました。覚束ない視界で辺りを見やれば、シーツに無数の錠剤。胸に冷たい温もり。サイドテーブルのデジタル時計は午後十一時五十三分を指している。

日付が変わるまで、・・・超ド級の隕石と地球がハグを果たすまで、あと七分。今日の終わりはこの世の終わりだ。世界はこのまま明日を迎えることなく、海と空と骸のミックスジュースと化す。

マジでか。もはや他人事のように呟く他ない。いがつく喉からこぼれた声はカスカスで、・・・笑い上戸の君に聞かれなくて良かった。僕は両腕で大事に閉じ込めていた彼女の身体を抱き直す。氷のようだ。だってこの娘はもう息をしていない。

一緒に、一緒に死ぬつもりだったのに。



一足先に、神様をボコボコにしに行こう。言い出しっぺは、どっちだったっけ。要は僕も彼女も、通り魔(いんせき)なんぞに恋人を殺されるのは真っ平だったのだ。

シートから錠剤を押し出しては口に含み、口に含んではキスを交わした。痺れる指と震える唇はやがて、真珠玉のようなそれを取りこぼしていく。吐息に色をつけただけのような声で、彼女は笑った。「泡になった人魚姫みたい」。―――そんなの、今の君の方がずっと。なんだか胸をじんと痛ませながら僕も笑って、重い瞼を閉じる。

きっと世界で一番の恋をしていた。

さよなら、



男の身体には薬の量が足りなかったのだろうか。回りきらない頭で考えながら、すぐそこまで迫り来た轟音から逃げるように身を縮めた。吐いた溜め息は程なくして嗚咽に変わる。一人で最期を迎えるのがこんなにも怖くなるくらい、君のことが好きだった。

君のことが好きだった。

握ると柔らかい掌が好きだった。いつもいい匂いの髪が好きだった。ボリュームに欠ける胸だって好きだった。・・・君をお嫁さんにもお母さんにもしてあげられなかったけれど、それでも。それでも僕は。だから。

だからそっちで再会のキスが終わったら、いつか渡そうと仕舞いっぱなしだった指輪を差し出そう。そうしたら僕を「遅いよ」って叱ってくれるかい。どっちのことを怒られているのかわからないような顔をして、笑ってみせるから。

世界で一番の恋をしていた。
世界で一番の恋をしている。君に。君だけに。

ありがとう。

さよな

2

失えるだけしあわせだと思えよ

太陽のようなまるい煌めき。月のように濡れた嫋やかさ。要するに僕の愛する女性は、兎にも角にもすばらしい。ファーストキスに似た色のドレスに身を包み、ルビーを思わせるバラたちに囲まれ、物憂げに空を見上げる彼女は、今日も夢のようにきれいだ。僕は息を漏らす。

彼女は変わらない。青空の下であっても、夜空の下であっても、彼女はうつくしい。そして僕もまた、変わらない。台風がやってこようが、大雪に見舞われようが、僕はこうして彼女を見つめに通うのだ。

恋に落ちてから随分経つのに、僕は彼女の名前はおろか、その唇から零れる声すら知らない。ダイヤモンドを砕いて閉じ込めたかのような瞳は、これからも僕を映してはくれないのだろう。雲に何を思い描くのか、陽に誰を思い出すのか、僕は知るよしもない。どうしたって彼女は僕のすべてなのに、彼女をとりまく景色に、僕は爪先数センチだって存在しない。存在、し得ない。

だって彼女は油絵の具で出来ている。

辺りを巡回する館員たちの目を盗み、僕はその額縁をそっとなぞる。金の剥げかかった、僕と彼女とのキリトリ線。うすっぺらい長方形をした地球の住み心地はどうなんだい、なあ。報われなくたって、叶わなくたっていい。君を想うことの許される世界で生きたかった。

―――「申し訳ありません、お客さま」。骨に肉をくっつけただけの雌の手が、それはそれは控えめな無遠慮さでもって僕を現実に引きずり戻す。「館内の『絵画作品』には触れないよう・・・」。ああもう、うるせえ、わかってる、わかってるよ、このブス。

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二足のハイヒール

彼女が地上に舞い降りた天使だとしたら、その翼を狩り落としたのはこの僕だ。相も変わらずシーツのドレスがよく似合う、むき出しの背中を撫でる。シャワーも浴びずに寝てしまったから、ちょっと汗くさい元天使。

月の欠伸と彼女の寝息が、鼓膜に甘くうるさい。今夜もきっと静かな夜ではなかった。何かが始まった以外のすべてが終わった、あの夜とおんなじ。花占いをするように服を脱がせて、結果が「嫌い」でも「好き」でも傷ついて、それで。

心の一番脆いところで綻んでいた蕾は、優しい誰かにさくりと踏みつぶされて、その足を彩るペディキュアは、彼女のものとよく似ている気がして、祈りのような恋は、呪いのような愛になって、それで。それで、?

「ないているの」

僕に背中を向けたまま、彼女が言う。いつの間に起きていたのか、問おうとしてやめた。質問を質問で返してしまうからではない。だってきっと彼女はとっくに夢から覚めている。思わず彼女を両の手で縛り付けたのは、ないていたからではない。泣いてしまいそうだったからだ。

彼女は僕の胸に頭を擦り寄せて、「柔らかいね」と呟く。そうだね。どうしてぼくたち、おんなのこなんだろう。右も左も使わなきゃこの子を閉じ込められないような細腕、いらないんだよ、くそったれ。

4

どうかこの歌が、君に届きませんように

酒の空き缶と煙草の空き箱の散らばった、空っぽ検定1級相当、僕の部屋。深く眠っていたはずだった。時刻は午後11時35分。

今日と明日の境目、世界は終わる。

つまり突如観測されたとかいう小惑星が地球にぶつかるまで、残り30分足らず。目覚めなきゃ良かった。寝返りを打つと背中で何かを踏んだような気がした。どうせ彼女へ渡せなかった恋文もどき、だろう。

ま、どうでもいい。



「ライター貸して頂けます?」

一目惚れだった。

返事の1つもできないままその掌にライターを乗せると、彼女はありがとうと笑って、キスをするように煙草をくわえた。見慣れた喫煙所がまるで天界だ。

視線が絡んでいると苦しいのに、横顔を盗み見ているのはもっと苦しい。脳内へ浮かんでは消えを繰り返す、何の気休めにもならないあれこれが、牛乳と一緒にかき混ぜられているようだ。こんなカフェオレは飲みたくない。

「あの」
「はいっ」

背を伸ばすと、彼女はまた笑う。僕が彼女へそうしたように、彼女は僕の掌へそっとライターを乗せた。助かりました、って。何だか堪らなくなって、ポケットへ入れっぱなしだったレシートを引っ張り出し、ペンを走らせた。人生一熱を込めて記す連絡先。

が、最後のpの字を書き始めたところで、彼女は喫煙所の外へ向かって「はぁい」と返事をした。どうやら誰かに呼ばれたらしい。

私もう行かないと。あっさり向けられた背中。ちょっと待って。僕はペンを投げ出し、彼女の左手を握った。

あとは察してほしい。僕がライターを乗せたのは彼女の右掌。彼女が僕の掌へライターを乗せたのも右手。彼女の左掌なんて、左手なんて、知らなかったのだ。

―――薬指に、何が光っているのかも。

彼女とは、それきり。



生まれてすぐに死んだ恋だった。

pの成り損ないが目立つそれを背中に感じながら、考える。彼女と彼女の男は、今日をどのように過ごしたのだろう。弁当なんかを持って、海岸へでも行ったのだろうか。

ま、どうでもいい。

僕は足の指でピンク色の円盤をたぐり寄せる。「エロいお姉さんはお好き?」。イエス。時刻は午後11時40分。世界が終わるまであと20分。1回くらいは気持ち良くなれるだろうか。君が好きだと、呟けるだろうか。

4

彼もまた、嘘色のハートマークに撃ち抜かれた被害者なのだ

「猫踏んじゃった」のリズムのノック。いつもの合図だ。私は特に急ぐでもなく玄関へと向かい、扉を開ける。一欠の星も見えない夜空、と、同じ色の学生服。彼が、来た。

「ママと喧嘩でもしたの」

笑う私を押し戻すように乗り込んで来た彼は弁当屋の袋を提げているが、うちまで晩餐をしにやって来たわけではないのだろう。その証拠に、ほら、私はもう彼の腕の中だ。彼の低い声が鼓膜を揺らす。

「ね、いいですか」

何が、とは問わなかった。あんたのメシ下に落っこちたけどいいの、とも問わなかった。私は大人の女なのだ。―――大人の女の私は、それらしく、大人のキスでもって返事をしたのだった。



「うわ、フライが遠征してる」

パンツ一丁で弁当箱を開いた彼はげんなり呟いて、ソースの小袋と格闘し始めた。私はふたり分の汗を吸ったシーツを大雑把に畳みながら、先ほどまで爪を立てていた背中に言う。

「私、出掛けるね」
「仕事ですか」

さっきから貴女のスマホ、光りっぱなしですもんね。彼は視線を小袋に落としたまま、つまらなそうに了承した。それから捲し立てるように続ける。社会人は大変そうだ。働きたくねえなあ。

「つうかこのソース、全然開かないんですけど」
「ハサミで開けたら」
「それは反則でしょ、なんとなく」

―――だって「こちら側のどこからでも切れます」って、書いてあるのに。

私はたまらず吹き出す。何を面白がられているのかまるでわかっていない様子の彼はいじらしく、それでいてひどく愚かだった。そっか、そうね。君はまだ知らないままでいい、ぜえんぶ。

笑いすぎて涙の浮かんだ私の瞳をじっとりと見やりながら、彼は不貞腐れる。「まるで貴女の心みたいだ、これ」。彼の手に温められた小袋がくちゃりと鳴った。

「出掛ける前にシャワーくらい浴びたらどうですか」
「そうする」
「行ってらっしゃい」

脱衣所に向かいながら、行ってきます、とは言わなかった。ただいま、を言うつもりもなかった。私は大人の女なのだ。ソースの小袋に最初からハサミを入れてしまうような、大人の女なのだ。―――大人の女の私は、それらしく、大人の笑みでもって、光りっぱなしのスマホをタップするのだった。

今から準備するね、もう少し待ってて、ハートマーク。

5

近くて遠い背中に爪を立てる

「今年も織姫ちゃんは素敵だった」

開口一番にそんなことを抜かしながら、目元も口元も緩みきった彼が帰ってきた。浮かれる彼の声に叩き起こされた哀れな私は、「そう」とだけ返して煙草をくわえる。ポケットの中からライターをつまみ出そうとしたところで、ようやく自分が素っ裸であることを思い出した。

「俺が帰ってくるまで、ずっとそんな格好でいたわけ」

「天の川に橋がかかるまで、もうしばらくあるから」と、昨日の夕方になるだろうか、私をこんな格好にした張本人は笑う。大河を挟んで遠距離恋愛中の恋人との、年に一度の逢瀬―――そのギリギリまで他の女を抱くような男のそれとは思えないほど、無邪気な笑顔だった。

「別に良いでしょう、放っておいて」
「別に良いけど、放ってはおけない」

私の唇から煙草を引っこ抜き、代わりに己の舌をぬるりと差し込んでくる彼に答えながら、ぼんやり思う。こいつの大好きな織姫ちゃんとやらも、どこの誰とも知れないような男と、私達と同じようなことをしているんだろうなあ。たった1日の純愛と、残り364日の不純愛。

彼の大きな掌が、私の体を再びシーツの海に沈める。昨日よりも少しだけ優しい手つきだった。三日月型の彼の瞳に見下ろされながら、その白い波に初めて身を委ねたのは、もういつのことになるだろう、そんなことすら思い出せないほど、熱に浮かされて、意識はあぶくに、ああ、もう、なんだかなあ。

「織姫ちゃんって、有名人に例えると誰に似てるの」
「綾波かアスカかで言うならアスカだわな」

超可愛いじゃん。なんだかなあ。

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土の中より、愛を込めて

紫陽花が色付き、露に塗れる様が美しいであろうこの頃、そちらに変わりはないですか。僕は相も変わらず土の中で、君の好きなところとその数を考えながら過ごしています。

ちなみに、先ほど思いついた「寝顔が意外とぶさいく」で6000と24個目になります。君が来てくれている間なんかは考えるのを中断しているので、そのうちいくつまで考えたのか忘れてしまいそう。

僕がこんな風に、もうほとんど形を成していないこの手で便りを書いているのは、君に謝りたいことと、君に聞いてもらいたい我儘があるからです。

まずは、謝りたいこと。僕が君にひとつだけ、嘘をついてしまったこと。「生まれ変わっても君が好き」。僕はこのように言って、君をお嫁さんにもらいましたね。

けれど、よく考えてみてください。生まれ変わった僕は、きっと僕ではない、別の僕です。僕ではない僕が君を好きになるのは面白くない、よって、今の僕に生まれ変わる気はないのです。

―――だからね、どうか許してください。ぼくがむくろのまま、きみがすきになってくれたぼくのまま、きみをすきでいることを。これが、君に聞いてもらいたい我儘です。

君のことが好きでした。

結局のところ人が人を信じるなんてことは不可能で、真心は能天気な誰かの吹く口笛のようなものでしかなく、期待をすればしただけ傷つき、信じたら裏切られ、誰かを想って泣いたり笑ったりするのは馬鹿のすることで、「しあわせ」は、絵空事である。そう、思っていました。

思っていたんだよ、僕は。
君というたからものに出会う、あの日までは。

君のことが好きでした。

きみのことが、すきでした。



天候不順の時節柄、風邪など引かないよう気をつけてください。いくら蒸し暑いからって、お腹を出して寝たりしないように。それでは、僕は君の好きなところとその数を考える作業に戻ります。・・・・・・いくつまで考えたんだっけ?

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君と書いて希望と読む 2

なるほど、たしかに僕も、昔は誕生日が来るのを指折り待っていたかもしれない。「其奴めはいつ頃やって来るのです?」。「いつ頃やって来そうだと思う?」。女の子は楽しそうだ。僕も楽しくなってきて、そうですね、と腕を組む。

「春かな。君の頬は桜餅みたいだ」
「春か、春もいいなあ」
「違うか、それなら夏。君の瞳は蛍みたいだ」
「夏か、夏もいいなあ」
「またハズレか。秋?君の唇は紅葉みたいだ」
「秋か、秋もいいなあ」
「わかった、冬だ。君の手は雪みたいだ」
「冬か、冬もいいなあ」

女の子は肯定も否定もしなかった。意地悪しないで教えてよ、君の誕生日はいつなの?焦らしに焦らされ急いた僕に、女の子は今日見た中で一番の笑顔で言う。

まだ迷っていたんだ。いつにしようかなって。

「―――え?」
「でもね、決めたよ。私は春と夏の隙間が好き。だって、こんなにも空がきれいだ。」

瞬間、涼やかな風に煽られる。湿った大地のような、花の露のような匂いに包まれる。思わず閉じた瞼の向こう側、木々の合唱の中に、君の声が響いた。

それじゃあ、またいつか。今度は貴方が教えてね。桜餅のこと、蛍のこと、紅葉のこと、雪のこと。それから、せかいはだれもひとりぼっちになんかしないこと。

そっと瞼を持ち上げると、そこに女の子は居ない。辺りを見回すが、あの子らしき少女の姿はなかった。あの女の子は、君は、一体。

立ち尽くす僕の背中を、聞き慣れた声が呼ぶ。振り返った途端、両肩と両手に引っかけていた紙袋を押しつけてきたのは、言わずもがな彼女だった。わんぱく坊主みたいな笑い方をしおって、畜生。僕は肩を竦めた。

「随分買い込んだな、これ全部、お前の服?」
「いや、この子の服」

自らの腹を撫でて見せる彼女に―――時が止まったかのような、気がした。

「遅くとも、来年の今ごろには会えるってさ」

知っていたら徒歩五分程度の距離であれど一人で歩かせたりなんかしなかったし、荷物だって喜んで持たせていただいていたわ、この馬鹿!

春と夏の隙間の水色に抱き締められながら、彼女を抱き締めた。ばさりと紙袋が地面とキスを果たしたが、そんなことはいい。

いいよ、教えてあげる。せかいはだれもひとりぼっちになんかしないこと、を重点的に。僕は泣いた。しあわせな意味で。

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君と書いて希望と読む 1

―――荷物が重いから迎えに来て。甘え上手な姫を持って、貴方は幸せ者ね。
―――言うと思いました、もう来ています。甘やかし上手な王子を持って、お前は幸せ者だな。

せっかくの祝日だというのに、僕を置いて買い物へ行ってしまった彼女に返信し、携帯をポケットにしまう。彼女の居るデパートからそう離れていない公園で、僕は大きく伸びをした。徒歩五分くらいは一人で頑張れ、姫。

ぐうんと腕を背中を伸ばしながら、何とはなしに空を見上げる。昨晩にテレビで見たサファイアよりも、ずっと鮮やかな水色をしていた。彼女の好きな色だ。ぼくもすき。

そうしてしばし日光浴に励んでいると、いつの間にか僕の隣には女の子が居るのだった。僕の隣で、僕と同じように、空を見上げている。

見たところ十歳にも満たないくらいだろうか。あどけないながらも利発そうな顔立ちをした、綺麗な子供だった。僕の視線に気付いたらしい女の子は、ソーダ水のように澄んだ声で、「こんにちは」と笑う。はい、どうも。僕も笑った。

「君は皆と遊ばないの?」

すぐそこで走り回る子供たちを差すと女の子はまた笑って、「うん」と頷いた。よく笑う子だ。きらきら揺れる髪の毛の柔さが、なんだか彼女に似ている。

「私ね、待っているから」
「ああ、親御さんと待ち合わせているんだね」
「待ち『合わせ』ているのは、お兄さんの方でしょう。私は待っているだけ。そんなことより、お兄さんが待ち合わせているのって、好きな人?」
「どうしてわかったの?」
「さっきから、ポケットの中を気にしているようだったから。そわそわしているのにしあわせそうだし。あとは、そうね」

おんなの勘よ。

お見逸れしました、名探偵。僕が降参のポーズを取ると、女の子は得意気に胸を張った。そんなところはちゃんと子供らしい。

僕は咳払いをして、恭しく尋ねる。「それでは名探偵、一体どなたを待っておられるのです?」。女の子は口髭を撫でるような仕草で、答える。「私はね、誕生日の奴を待っているのだよ」。

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は?ローストビーフ?無理です

早くて明日、この世が滅びます。

刻一刻と地球へ向かって来ているという小惑星の映像をバックに、テレビの中のアナウンサーは顔を青くして告げる。可哀想に、原稿を持つその手は震えていた。

それにしてもいきなりな話だな、私はどこか他人事のように思う。ぶっちゃけ午前七時の脳で受け止めるには、事が深刻すぎたのである。

「えっ、今朝は『おめざめジャンケン』のコーナー、ないのかよ」

おれチョキで勝つ気満々だったのに、とかなんとか抜かしながら、ボサボサ頭の彼が起き出して来た。先ほども思ったことなのだが、あの小惑星、彼の寝癖の形に似ている。不可思議なカーブを描いているあたりなんか、特に。

「ねえ、明日、この世が滅ぶんだって」

あんたはどう思う?私の隣に腰かけた彼の髪を撫で付けながら、問う。良く言えばいつも飄々と、悪く言えば所構わずヘラヘラしている彼も、『終わり』は怖かったりするのだろうか。しばしの沈黙の後、彼は言った。

「そんなことよりさあ、今日、海へ行こうよ」

私は目を瞬かせる。地球滅亡を『そんなこと』呼ばわりとは恐れ入るが、話がまったく噛み合っていない。あんたねえ、私の話、聞いていたわけ?詰め寄ろうとする私を制し、彼は続ける。

「とびきりお洒落をして、海へ行こうよ。弁当も持って、車でさあ。海岸で弁当を食べながら、色んな話をしよう。その後は一旦車の中に引っ込んで、日が暮れるまで気持ちいいことをしたいのね。それで、夜が来たら海岸に戻るわけ。そうしたら、おれと、」

ここで一呼吸置き、彼は私に口付け、言う。

―――おれと一緒に、せかいから逃げてください。突然やってきた『終わり』なんかに、きみを、奪われたくない。

それは慈しむような、懇願するような、うつくしい笑顔だった。思わず滲んだ涙を誤魔化すように、私は彼を抱き締める。私は、私の奇跡を、抱き締める。

「ちんたらしていたら、置き去りにしてやるんだからね」

うわあ、怖え、ちゃんと靴紐を結んでおこう。怖いだなんてまったく思っていなさそうな彼の笑い声を聞きながら、私も笑うのだった。きみとであえたこのせかいが、わたしはそうきらいでもなかったよ、って。

そんなことよりさあ、弁当のおかずは何がいい?

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殻の中のニワトリ

私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が酷いからだ。だってこの世はあの世に決まっている。この目で見たことがなくたって、引きこもりの私にだって、そのくらいのことはわかるのだ。

私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が憎いからだ。申し遅れたが私はニワトリなのであった。時間と絶望は同義である。私の体は日に日に育ち、産まれてもいないくせに、ヒヨコのままではいられなかったのだ。

私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば世界が怖いからだ。意味なく頬を伝っていた涙は、いつの間にかかわいていた。人の目を気にせず泣きっぱなしでいられるのは、独りぼっちの特権だ。

私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。簡単に言えば私が臆病者だからだ。飛べない空も泳げない海も見たくはなかった。広い世界の中のちっぽけな存在でいるよりも、狭い殻の中にいっぱいの存在でいた方がいいじゃないか。

私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るつもりなど、ない。私は殻の中で生きている。殻を破って外へ出るゆうきなど、ない。「現実」以外のどこかで幸せになりたかった。殻の中で生きている。殻の中で生きていく。きみのこえも、きこえないけれど。

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やわらかな激情

『この世の「きれい」を集めて、日の光と流れ星で繋ぎ合わせたものが、彼女という人だと思う。

春の花のようなてのひらを、夏の風のような笑顔を、秋の月のような眼差しを、冬の露のような声をした彼女に、僕は恋をしている。

身の程知らずにもほどがある、愚かしい恋だ。美しい彼女を、僕なんかの「すき」で穢すわけにはいかない。

恋人になりたいだとか、せめて友達になりたいだとか、そういう罰当たりな願いは、持つことも許されないのだ。たとえ世界が許しても、僕が許さない。

ごめんなさい、好きになってしまってごめんなさい。こんなにきみが好きでごめんなさい。諦められるまでは、諦められないままでいさせて。

すきです。きみが、すき。』

100均のルーズリーフに吐露した心中を握りつぶして、後ろ手でそのあたりに放った。勉強をしに来たはずの図書室で、僕はひとりため息をつく。下校時刻はとっくに過ぎていた。

開いただけの教科書を閉じてリュックに詰め込み、「戸締まりは頼むわ」と笑った先生の顔を思い出して、ここの鍵は一体どこにあるのだろうと視線を巡らせた。

息がつまる。彼女がいた。

胸がぎゅうっと締め上げられたように痛み、血が煮え立ったかのように全身が熱くなって、―――それから一気に冷たくなる。彼女の手には、先ほど僕が投げ捨てたはずの、ぐしゃぐしゃのルーズリーフがあった。

彼女は広げた紙面と僕とを順々に眺めた後、困ったように笑う。わたし図書委員でね、まだ勉強している人が居るって聞いたから、鍵を渡しにきたの、だって。何か、何か言わなければ。

魚のように口をぱくぱくさせている僕に、彼女は1歩、また1歩と近づいてくる。来ないで、来ないでくれ、きみがよごれてしまう。できればそのラブレターもどきも見なかったことにしてくれ。

そうしてそのまますぐそこまで歩み来た彼女は、僕の胸中などお構いなしに僕の手をとり、葬り損ねたこいごころを、そっと握りこませてくる。目を見開いた僕に、彼女はまた笑う。

「あなたにここまで想われるなんて、あなたの好きな人は幸せ者だね」

春の花のようなてのひらで、夏の風のような笑顔で、秋の月のような眼差しで、冬の露のような声で、ああ、ああ。ずいぶん変わった自己紹介をするんだね。

すきです。きみが、すき。