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LOST MEMORIES ⅢⅩⅢ

「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい。」
リビングにはチャールズ。決まってソファで本を読んでいる。このときだけはどうやら眼鏡なので、なんだか得をした気分になる。
「手を洗い、着替えてきてください。お昼ごはん準備しておきますから。」
栞を挟んで眼鏡を置き、立ち上がる。
瑛瑠は、はいと応えてリビングを出た。
多少の肌寒さは残るものの、暖かい日差しが心をわくわくさせる。洗面台にある窓は少し開いていて、昼の暖かさと共に、菜の花の香りを運んでくるようだった。そういえば,と通学路に菜の花がかたまって咲いていた場所があることを思い出す。
お腹はすいている。気化熱によって寒く感じた手を守るように、かけられたタオルで拭き、部屋に戻る。
楽な服に着替えて先生から渡された手紙を手に、再びチャールズのいたリビングへと戻る。
キッチンからテーブルへ、料理が運ばれてくるところだった。
「あ、お嬢さま。手伝ってください。」
王宮にいるときは絶対に言われなかった言葉。
付き人っぽくないと薄々思っていたが、瑛瑠はこちらの方が好感が持てた。
手に持つ手紙をテーブルの端に置き、イエスと応えるかわりにチャールズのもとへ駆け寄った。
「チャールズは、私の付き人の前は何をしていたの?」

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LOST MEMORIES ⅢⅩⅠ

「ありがとうございました。そろそろ失礼しますね。」
二人は頷いて手を振る。
「うん、また明日ね。気を付けて。」
鞄を持ち、扉に手をかける。
もう一度手を振ろうとして振り返った。
「あ、ねえ瑛瑠ちゃん。」
すると、瑛瑠よりも先に口が開かれる。
「はい?」
輝くような笑みは相変わらず眩しい。
「瑛瑠ちゃんさ、笑った方が断然かわいいよ。」
何を言われているのかわからなかった。
「わたしたちみたいにツボ浅いのもアレだけどさ、笑うと楽しくなるから。少なからず、これからは学校にいる間がほぼ1日を占めるんだからさ、楽しまなきゃ。どうせ同じ時間、みんな与えられてるんだしね。」
「知ってる?表情筋上げるだけで人って明るい気持ちになるらしいよ。」
そう言って頬を指さす。
なんて底無しに明るい子達だろう。これも、楽しくしよう意識しているのだろうか。
「今度こそじゃあね。引き留めてごめん。」
首を振り、微笑む。
「うん、またね、二人とも。」
手を振って教室をあとにした。
不思議な場所である。不思議な人たち。
思い返せば、瑛瑠には友人らしい友人はいなかった。
よく、この経験したこともない大人数との交流に、不安らしい不安を抱かなかったな自分。
妙なことに感心しながら情報を整理する。

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LOST MEMORIES ⅡⅩⅦ

「初めまして。ちょっといいですか?」
2人は驚いたように顔を見合わせる。
そして、笑った。
「初めまして。」
「大丈夫だよ。」
楽しそうに笑う2人を、瑛瑠は首をかしげることで笑う理由を問う。
ひとりの子がにっこりする。
「初めましてって、使い道あるんだね。
そうやって話しかけられたの初めて。」
そういうことか。では、何と言うのだろう。
尋ねると、ちょっと考えるようにしてもうひとりが答える。
「ねえねえ、とか?」
そう言いながらまた2人は笑う。
声をあげて笑うことが、今までにあっただろうか。はしたないと言われたか。はたまた、そもそもそこまで楽しいこともなかったか。
なんだか、羨ましいと思ってしまう。
「ごめんね。で、どうしたの?」
顔を向けてくれた。
「鏑木先生のことなんですけど……。
お二人は、中等部からの方ですか?」
「うん、そうだよ。」
「あ、瑛瑠ちゃんもファン入り?」
にこにこする彼女たちに瑛瑠は驚く。
「どうして私の名前……」
もちろん瑛瑠は彼女たちの名前は知らない。
「珍しい名前だったから、黒板のあの張り紙見て覚えちゃった。かわいくていい名前だよね。」
今日はたいそう名前が褒められる日のようだ。
「鏑木先生の何を知りたいの?さっき十分質問に答えてたと思ったけど。」
面白そうに彼女たちは聞いてきた。

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LOST MEMORIES ⅡⅩⅠ

職員会議を終えた先生は、軽く説明をして、生徒を廊下に並ぶよう促す。先程と変わらず、必要最低限のことしか話さない。番号順に並べということだったが、この団体行動に 瑛瑠は驚かずにいられなかった。
前も後ろも、廊下中に人、人、人。
チャールズが言うには『まわりの人の真似をしてください。式中はただ座っていればいいです。』
ふと、あの彼が目に留まる。
まわりの様子をうかがうでもない。
自分と同じような境遇であるなら、慣れていないことだらけではないのだろうか。
つかめない人である。
「瑛瑠さん、隣同士みたいだね。」
不意に声がかかる。望だ。長谷川と祝の間に人はいなかったので、どうやらそういうことらしい。列は2つということだ。
「ぼーっとしてたみたいだけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。」
言い辛そうに口を開く望。
「あの……別に、敬語じゃなくていいよ?」
呆気にとられる。
どうして急にそんなことを。たしかに、そうかもしれないが。
「癖のようなものですから、気にしないでください。」
それでも納得には至ってないように見える。
「……長谷川さん?」
「う、ううん、癖ならしょうがないよね!」
そう言って、前を向いてしまった。
基本敬語だ。それは、そうマナーとして教えられたからに過ぎない。チャールズやお世話係、メイドに使わないのも然り。立場云々ではなく、その場面には相応の対応があるということだ。
だからといって相手に強要する気はないし、自分と違うからといってどう思うわけでもない。口調も、個性のひとつだ。大切にされるべきものである。
と、瑛瑠は考えるので、唐突な望の発言には、どうしても疑問を抱いてしまうのであった。

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LOST MEMORIES ⅩⅨ

まもなくして大人の人が入ってくる。50代くらいだろうか。男の人である。どうやら担任の先生。寝癖だろうか、朝起きてそのままのような状態の頭の彼は細身で、いかにも低血圧といった感じがする。瑛瑠の思う統率力のある先生のイメージとは、かけ離れているといっても過言ではなかった。少なからず、このような人を王宮の中では見たことがなかった。
教卓の前に立つ先生。
「おはよう。今年一年このクラスの担任をやる鏑木(かぶらぎ)だ。
今日の日程は事前に紙で見ていると思うが、始業式のみ。昼には完全下校。」
なかなかの単刀直入タイプであった。たしかに、事前に予定は知らされていた。もちろん、チャールズ経由ではあるが。
「今日は時間がないから、クラス内での自己紹介や委員等の決め事は明日。
これから職員会議だから、静かに教室にいること。勉強でもしとけ。」
気だるそうに言う先生を、瑛瑠はまじまじと見つめる。
先生はそのまま教室をあとにした。
あんな先生、あんな大人は初めて見た。
クラスで話し声が聞こえる。
「ねえねえ、鏑木先生だったね!超嬉しい!」
「ほんとほんと!嫌な先生だったら1年間おしまいだもん。」
生徒間の人気は高いようだ。
今話している子達は中等部からの付き合いなのだろうと思いつつ、やはり彼の人柄は疑問だった。
「瑛瑠さんは高等部からの人?」
振り返るのは望だ。
「そうですよ。長谷川さんは?」
「ぼくもだよ。鏑木先生ってどんな人なんだろうね。」
話についていけない組発見。静かにとは言われているが、あくまで静かにだから、許容範囲だろう。それぞれやっていることはまちまちだ。

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LOST MEMORIES ⅩⅠ

本を閉じ、眼鏡をはずす。
「良い言葉?」
「はい。それは"いただきます"です。
この国では、食べ物や作ってくれた人への感謝の気持ちを表すそうですよ。
食べ終わったら"ごちそうさまでした"。
ね?良い言葉でしょう?」
瑛瑠も微笑み、頷いた。
「いただきます。」
チャールズはソファから腰をあげ、瑛瑠の前の椅子に座る。
瑛瑠は食べつつ、チャールズに聞く。
「昨日もだったけれど、あなたは食べないの?」
「はい、とりあえずは。」
そう言ってコーヒーを口にする。
瑛瑠はまた聞く。
「さっきの言葉、教えてもらったの?」
「ええ、そうですよ。」
「誰から?」
「友人から。」
「この国の?」
「もちろん。」
へーともほーとも言えない音を出す。そうして、ふと手元の料理をみる。
「……美味しい。上手だよね、チャールズ。」
「ありがとうございます。」
微笑むチャールズに、瑛瑠は言う。
「私にも教えてほしい。」
チャールズは不思議そうにする。
「ご飯は私が作りますよ?」
瑛瑠は首をふった。
「興味があるの。何か、作ってみたい。」
「そういうことなら。」
チャールズはおかしそうに笑った。
よくわからないけれど、笑われたということに関して頬を膨らませる瑛瑠。
「どうして笑うの。」
「可愛らしいと思っただけですよ。」
「からかわないで!」
横を向いてしまった瑛瑠に、今度は困ったように微笑うのだった。

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LOST MEMORIES Ⅹ

ぱち、と目が覚める。一瞬どこか考えた。
――人間界。
昨日、位置を確認した壁掛け時計。時間、6時。落ちそうな瞼で、緩い思考を巡らす。寝ては、駄目。
ベッドから体を起こし、メイドを呼び出そうとなるところをこらえた。ここは人間界。
顔を洗いに行く前に、リビングに寄る。そっと顔を覗かせると、チャールズが既にいた。黒いフレームの眼鏡をかけ、本を読んでいる。
瑛瑠に気付き、顔をあげた。
「おはようございます、お嬢さま。さすがですね。」
「……おはよう。はやいのね、チャールズ。」
おはようなんて、魔界にいて使ったことがあっただろうか。
静かに扉を閉める。
顔を洗って部屋に戻り、制服を着る。等身大の鏡の前で一回転をする。
「うう、やっぱり短い……。」
呟いて、先程寄ったリビングに戻る。すると、チャールズが先程と同じ体勢で本を読んでいた。
さっきは気づかなかったが、テーブルに朝食が置かれている。
柔らかいにおいだ。そして、瑛瑠は思う。
(これも、当たり前ではないんだよね。)
席について、チャールズに言う。
「チャールズ、ありがとう。」
チャールズは顔をあげた。少し目を丸くしている。
そして、瑛瑠に微笑んだ。
「どういたしまして。
……そんなお嬢さまに、良い言葉を教えてあげましょう。」

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LOST MEMORIES Ⅷ

瑛瑠が食べ終わるのを見計らって、チャールズは再び口を開く。
「先程も申し上げましたが、明日、とりあえず始業式に出席していただきます。そこで、同じような方を見つけること。ただし、情報云々は考えなくて良いです。魔力持ちを見つけること、人間に馴染むこと。まずはこの2つができれば上出来ですね。お嬢さまを侮っているわけではありませんが、他のことは考えないでください。欲張ると、出来ることさえ出来なくなってしまいます。」
迫力に圧されるように頷く。夕食前に聞いた話だ。
大丈夫、覚えている。
ふっと空気が緩んだ。
「それでは、ここはお任せください。
お嬢さまは、寝るまでの支度をどうぞ。」
微笑まれると、もう従うしかない。
本来、これから活発になるのだが、これもイニシエーションというのだから仕方がない。今までのサイクルを急に昼夜逆転なんて、拷問に近い話ではあるが、耐え抜くしかないのだろう。チャールズも、経験したといっていた。
1週間のうち、2日間は休みだと話していたか。10年前のイニシエーションの内容を、時間をかけて聞く必要があるなと考えた。
カーテンを閉め、部屋にあるものを大まかに把握し、シャワーをあびてから、チャールズから聞いた準備というものをする。それが、制服と鞄。相変わらず軽くて薄い衣類なのだが、それ以上にスカートの丈が短いことに驚く。ハンガーに吊るす。やはり、やったことのないことばかりだった。
メイドは私の身の回りのことをここまでやっていてくれてたのね,と感心してしまう一方、こういうことがなければ、私は他の暮らしを、文化を知らなかったのか。そう、うすら寒い思いがする。初めて、通過儀礼的だと思った。

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LOST MEMORIES Ⅴ

しかし、とすぐに続ける。
「日常的に起こるわけではないのです。この国は大きなことが起こりづらいと言われているので、使う必要はない。旦那さまは、そうおっしゃっていたのだと思いますよ。
……さて、これくらいでしょうか。」
瑛瑠は思わず叫ぶ。
「待って!肝心なところを聞いていない!
イニシエーション終了は?期間は?情報って何!」
チャールズはあくまで冷静だ。
「落ち着いてください。とりあえず、明日同じような方々を見つけてくればいいでしょう。そうでないと始まりません。」
瑛瑠は睨む。
「――策士。」
「お褒めいただき光栄です。」
やられた。まず、そう思った。
父が隠していたい部分を引き出し、あくまで明るみにしてもいい部分だけ教え、肝心なところを教えないと言う。
やはり、ただのイニシエーションだとはとてもじゃないけど思えない。
きっと、その"情報"とやらが、大人たちの欲しいものなのだろう。
「いつまでここにいなきゃならないの。」
「イニシエーションが終わるまで、ですよ。」
瑛瑠は黙って睨む。時間だけが流れる。
今まで飄々としていたチャールズが、始めて折れた。
「降参です。可愛らしいお顔が台無しですよ。」
「答えて。」
「長くて1年、でしょうか。」
「1年……」
そんなに長い通過儀礼があろうか。その間に成人を迎えてしまう。
イニシエーションが、ただの"イニシエーション"ではないと、確信に変わった。

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LOST MEMORIES Ⅳ

このチャールズとは、面識があるように思えてならない。しかし、記憶を手繰り寄せる限り、初めましてである。このような容貌の青年を忘れるだなんてことができるだろうか。
「……お嬢さま?よろしいですか?」
「え、ええ。続けて。」
チャールズは困ったように息をつくだけに留まった。
「そこで、ですが。ここは仮名文化なので。」
どういうことだろう。
「高校では、祝 瑛瑠(はふり える)と名乗っていただきます。」
「……はぁ。」
間の抜けた声になってしまう。
諦めの境地。いっそ、開き直りの境地である。
パプリエール、もとい祝瑛瑠は受け入れた。
「つまり、パプリエールではないまったくの別人として、人間として生活していけば良いという解釈でいい?」
「物分かりがはやくて助かります。」
にっこりと微笑む。
瑛瑠はその笑顔に聞く。
「それでは、魔力を使う必要がないと言われたのは、どういうこと?」
「人間は魔力を持ちませんから。」
一瞬の思考停止。
「……確かに。」
魔力を持っているからこそ、相手を傷つけ得る。傷つけられないために魔力を持つ。お互いに釣り合った魔力を持つことで、争いは抑止される。
そうなると、魔力を持たない人間はそういうことはないのだろうか。
またもや心を読んだかのように、
「人間は人間なりに相手を傷つけるものを作り、傷つけられないように再びにたようなものを作り、同じように抑止させるようなシステムになっているので、私たちとさして変わりません。」
そんなことを言う。

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LOST MEMORIES Ⅳ

このチャールズとは、面識があるように思えてならない。しかし、記憶を手繰り寄せる限り、初めましてである。このような容貌の青年を忘れるだなんてことができるだろうか。
「……お嬢さま?よろしいですか?」
「え、ええ。続けて。」
チャールズは困ったように息をつくだけに留まった。
「そこで、ですが。ここは仮名文化なので。」
どういうことだろう。
「高校では、祝 瑛瑠(はふり える)と名乗っていただきます。」
「……はぁ。」
間の抜けた声になってしまう。
諦めの境地。いっそ、開き直りの境地である。
パプリエール、もとい祝瑛瑠は受け入れた。
「つまり、パプリエールではないまったくの別人として、人間として生活していけば良いという解釈でいい?」
「物分かりがはやくて助かります。」
にっこりと微笑む。
瑛瑠はその笑顔に聞く。
「それでは、魔力を使う必要がないと言われたのは、どういうこと?」
「人間は魔力を持ちませんから。」
一瞬の思考停止。
「……確かに。」
魔力を持っているからこそ、相手を傷つけ得る。傷つけられないために魔力を持つ。お互いに釣り合った魔力を持つことで、争いは抑止される。
そうなると、魔力を持たない人間はそういうことはないのだろうか。
またもや心を読んだかのように、
「人間は人間なりに相手を傷つけるものを作り、傷つけられないように再びにたようなものを作り、同じように抑止させるようなシステムになっているので、私たちとさして変わりません。」
そんなことを言う。

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LOST MEMORIES Ⅲ

チャールズは1つ息をついた。
「旦那さまは、お嬢さまに何とおっしゃったのでしょう?」
質問に質問で返されたことを不服だと言わんばかりの顔で答える。
「イニシエーションとして、人間界の視察、そして私と同じように西洋妖怪がいるはずだから、その方々と情報を共有しろと。あなたに関しては、ウィザードであることしか聞いていない。」
空気が変わった。
……ほっとしている?
疑問に思う時間は与えられず、チャールズは口を開く。
「まずは自己紹介をしますね。
私の名前はチャールズ=エノワールです。チャールズとお呼びください。旦那さまのおっしゃっるように、ウィザードです。年齢は、お嬢さまのちょうど10個上ですね。」
つまりは26歳。
「私、あなたとは初めましてかしら。」
「ええ、もちろん。」
嘘くさい微笑みだと思ってしまう。
間髪いれず、チャールズは続ける。
「次に、こちらでの生活について答えますね。
お嬢さまには、高等学校生として過ごしていただきます。
今まではメイドや王室教師に学んでいたとは思いますが、存在くらいは知っているでしょう?学校。魔界にもありますしね。
それに、お嬢さまくらいの年齢の方が平日に昼夜私服で出歩くのは、怪しまれかねないので。」
そういうものかと納得してしまう。
先程のやり取りの方が、パプリエールの頭を占めていた。

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LOST MEMORIES Ⅱ

パプリエールはむしゃくしゃしてしまっていた。子供じみていると自覚しつつ、扉を音をたてて閉める。はしたないと、教育係からは叱咤されていただろう。それも、今はない。
深呼吸する。
優先順位は着替え、そしてチャールズに、父にかわされた質問をすることだ。
クローゼットを開くと、どれも軽くてラフなものばかり。確かにこれなら、と思った。マキシ丈のスカートを手に取る。
「……楽しいかもしれない。」
16歳の女の子に変わりなかった。

ドレスを脱ぐことが、もしかすると1番手こずったかもしれなかった。
落ち着きを払って、元の部屋に戻る。
促され、向かい合わせになっているイスのうちの1つに腰かける。
レモンティーが前に置かれた。
「先程は失礼しました。質問攻めにされそうだったので、とりあえず楽には成せるようにしたくて。」
肩を竦め、パプリエールの前にチャールズも座る。
「旦那さまはきっと、お嬢さまに説明なさってないのでしょう。」
パプリエールは頷いた。
「あなたに聞けと言われたの。だから、教えてほしい。
何をもってイニシエーション終了なのか、どのくらい人間界にいなければならないのか、何の情報を共有するのか、情報とは何か、視察では何に焦点を当てるのか、ここでの生活はどうなるのか。
そして、あなたは誰?」

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LOST MEMORIES Ⅰ

思いの外、パプリエールは冷静だった。
いつか絵本でみたような家具が備え付けられてはいる部屋。それを見渡す。暖炉はない。シャンデリアも長テーブルも、大きなレースのついたベッドもない。ドレスでいる自分を、家具が場違いであると主張するかのようだ。
「ここが、人間界……」
魔力も感じられない。
「その通りです。」
パプリエールは驚き振り向く。
「私はチャールズと申します。お嬢さまのお付きでございます。」
白髪で長身の青年。ラインは細く、端正な顔立ちのパプリエールを見つめるその目は、青く透き通っていた。
ラフな格好の彼は、お付きというには少し若すぎる気がした。
チャールズは続ける。
「ここは確かに人間界ですが、この部屋自体は人間界特有ではありません。
こういうのは、一般的、というのです。」
パプリエールは不思議そうな顔をする。
「暖炉もシャンデリアも長テーブルも、大きなレースのついたベッドも、あなたが姫という立場だったから存在していたにすぎません。」
まるで心を読んだかのような発言に赤くなる。
「箱入りの世間知らずなお嬢さまには、これから180度違う体験をしていただきます。身の回りのことはご自分で。まさか、私がお嬢さまのきつけをするわけにもいきませんしね。」
怒りと恥ずかしさでさらに赤くなる。
何か言おうとする彼女を、チャールズは制した。
「とりあえず、楽な服へお着替えください。いつまでもドレスではいられないでしょう。1人でも着られるような物ですのでご安心を。」
あちらがあなたの部屋です,そう言われた。
チャールズが話始めてから、パプリエールはまだ一言も発していない。何を言おうとしても無駄、そう悟り、従うことにする。睨み付けると、ふいと背をむけられてしまった。

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LOST MEMORIES~prologueⅥ~

このことを、一体どれくらいの人物が知っているのだろうか。王室の行事ほど大袈裟にやるものもなかろう。それなのに。
自室へ戻るも、悶々としてしまう。今から、書物庫へでも行ってみようか。
いつの間にか窓は閉められ、風は入ってこない。メイドだろう。自分のもやもやした気持ちを吹き飛ばしてくれるものは何もなかった。
書物庫へ向かったものの、結局鍵がかけられていた。たまたまなのかもしれないが、それでさえも父の、イニシエーションとやらの中にいるようで、パプリエールは辟易していた。
父は確かに何かを隠している。ただの"通過儀礼"ではないような気がしてきた。
しかし時間は無情にも過ぎていく。すべては付き人を質問攻めの的にしよう。
夜が近づき、覚悟を決め、父の部屋へ再び向かう。その決心は、王宮以外での生活を知らない姫だから成せる技でもあった。

「ついておいで。」
パプリエールの存在を認知すると、立ち上がり言う。
「そこの本棚を、押しておくれ。」
ある予想をもって押すと、下に続く階段が現れる。地下にある隠し部屋といったところだろうか。
キャンドルに灯をともし、続くよう促す。
あまり歩かずして、扉が現れた。扉というより、枠,といった方が正しいような、そんな扉。そして、枠に囲まれたその空間が光っている。
「もう、時間だったか……。」
そんなことを、父は呟いた。父の方を見ると、うっすらと目元が光っている。
パプリエールは無意識的に視線をそらした。
「ここが、人間界に繋がる道ですね。」
確認だ。横ではうなずく気配がする。
「私、行きますね。」

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LOST MEMORIES~prologueⅣ~

王は一旦切り、そして繋げる。
「パプリ、お前のすることは2つだ。1つ、人間界の視察。2つ、西洋妖怪との情報共有。」
ここまで不親切な説明が他にあるだろうか。
百歩譲って、イニシエーションは納得できよう。人間界があることも、認めざるを得ない。それでは、どうしてもっと詳しい説明をしてくれないのだろう。
何をもってイニシエーション終了なのか、どれくらいの間人間界にいなければならないのか、何の情報を共有するのか、情報とは何か、視察では何に焦点を当てるのか。
頭が痛い。
個人的なことを言うのなら、付き人とは誰か、あちらでの生活はどのようになるのか、こちらでの公務はどうするのかなど、挙げればキリがない。
そんなパプリエールの様子を見て、父は言う。
「人間界には付き人を1人行かせてある。ウィザードだ。その者に聞けばよい。詳しいこと、そして人間界での生活について、必要なことを教えてくれるはずだ。」
――何かを隠している。
咄嗟にそう思った。
自分では襤褸が出るから、優秀なその付き人とやらに説明を任せるのだろう。
パプリエールの中で、イニシエーションという存在を、聞いたことも見たこともないということが最大のひっかかりであった。人間界には元々興味があった。存在の有無に関わらず。そして、様々な文献もあさった。
そういえば、と思う。
「10年前の事と、何か関係があるのですか。」
明らかに顔色が変わった。

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LOST MEMORIES~prologueⅢ~

「イニシエーションだよ。
お前は今年16歳、成人する。その、通過儀礼だ。」
パプリエールは固まる。
「……聞いたことがありません。」
「話したことがなかったからね。」
顔をしかめるパプリエールを気にせず、父は続けた。
「内容としては、人間界の視察だ。そして、お前と同じように送り込まれている西洋妖怪がいるはずだから、その者たちと情報を共有すること。」
頭がついていかない。人間界とは、いつか本で見たあの人間界だろうか。魔力も何も持たずして、自分たちと同じような容貌である人間という存在がいる、あの人間界。
「……聞いたことがありません。」
「話したことがなかったからね。」
デジャヴである。
父からだけでなく、母からだって聞いたことがない。まして、何らかの文献で見たことすらない。
「人間界なんて、本当にあるのですか。」
「ああ、存在するよ。」
「魔力がなくて、どうやって身を守るのですか。」
「それを視てくるのだよ、パプリ。」
声は優しいが、パプリエールは口をつぐむしかなかった。そういった圧力がある。
「あちらでは、基本魔力は使えない。そして、使う必要もない。そういった町で、お前は過ごすからだ。付き人を遣るから、生活について心配することはない。」

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